東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 国際 > 紙面から > 1月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【国際】

「字が読めない子増えた」 内戦8年 新年のシリア 疲弊する経済

新年のお祝いで首都中心部のウマイヤド寺院周辺に繰り出した市民たち=1日、シリアの首都ダマスカスで

写真

 8年にわたる「内戦」が最終局面を迎えているシリア。首都ダマスカスや北の商都アレッポでは平穏な暮らしが戻りつつあった。だが、欧米の経済制裁下、庶民の生活は厳しい。国外避難民の帰還や破壊された町の再建、教育の再生…。課題は山積していた。 (ダマスカス、シリア北部アレッポで、田原牧、写真も)

 今回の取材では、アレッポやダマスカス南郊に限って情報省職員が随行した。

 大みそかの夜。午前零時を回るや、家族連れでにぎわう首都のウマイヤド広場では花火が上がった。

 「いまは深夜でも人が歩ける。でも三年前までは日没とともに人けがうせた」

 シリア人の知人がそう言った。当時は花火ではなく迫撃砲の赤い閃光(せんこう)が夜空をよぎっていたという。

 現在、ダマスカス中心部で内戦の痕跡を見つけることは難しい。ただ、人や車が激増した。国内避難民が集中しているためだ。

 それでも車で十五分も走ると、別世界がある。内戦前は約四十万人が住んでいた南郊のヤルムーク・パレスチナ難民キャンプは完全に廃虚と化していた。ここは二〇一八年までイスラム武装勢力が立てこもっていた。

 北部アレッポでは破壊と平穏が混在していた。一六年暮れまで反政府武装勢力の支配下だった東半分では倒壊したビルが並んでいたが、西半分は昔のままだ。

 激戦地だった高台のアレッポ城では遠足の児童らを見かけたが、足元には機関銃の薬きょうが散らばり、いまも戦闘が続く西方のイドリブ方面から時折「ズーン」という爆発音が聞こえた。

 約六百年の歴史を誇る巨大な市場(スーク)には千軒を超す店があったが、再開したのは一割程度。ある店主は「避難で客が減り、制裁で交易も難しい。戦闘地域も残り、販路も制限される」と顔をしかめた。

 経済的疲弊は内戦前の人口(二千二百万人)の四分の一を占める国外避難者の帰還を妨げる一因であり、それは教員不足にも結果する。公立小中学校は半分ほどが再開したが、別の知人は「長年の内戦で字が読めない子が増えた。この国にとって時限爆弾だ」と懸念した。

写真
 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報