2019年を振り返る個人GOTY:ジャンル複合ライティング業者・葛西祝が見た、ジャンル革命の瞬間の数々

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2019年を振り返る個人GOTY:ジャンル複合ライティング業者・葛西祝が見た、ジャンル革命の瞬間の数々 - 2019年版個人GOTY

IGN JAPAN編集部では常連ライターも含めて、毎年、ゲーム(たまに映画とかドラマもあり)のトップ10をそれぞれ発表してもらい、1年を振り返ってもらった。今回はジャンル複合ライティング業者を自ら名乗る葛西祝によるトップ10。


  1. 『Baba Is You』
  2. 『十三機兵防衛圏』
  3. 『Neo Cab』
  4. 『My Friend Pedro』
  5. 『DEATH STRANDING』
  6. 『Sayonara Wild Hearts』
  7. 『キングダムカム・デリバランス』
  8. 『フォーゴットン・アン』
  9. 『Travis Strikes Again: No More Heroes』
  10. 『YIIK: A Postmodern RPG』

2019年とは、ジャンルを革命してしまうような切り口のタイトルが揃った年だった。大規模なタイトルから小規模なものまで、ゲームジャンルの基本となるデザインを踏まえたうえで、まったく見たことのない体験がいくつも見られたからだ。

1位の『Baba is You』は既存のパズルゲームをベースとしながらも、過去にまったくない体験だった。単語を組み替え、プログラミングのような理屈で世界のルールを変えてしまう手触りや、結果的に生まれた文章が前衛的な詩みたいになることなど、『FEZ』や『スキタイのムスメ:音響的冒剣劇』以来の衝撃を受けた。体験としても言語SFのような一作とさえいえ、ゲームとSFに何らかの関係を見出すうえでも無視できないタイトルだろう。

SFということでは、2位『十三機兵防衛圏』と3位『Neo Cab』もそうだ。ADVで、制限されたゲームデザインながら、物語の断片を拾い上げ、広い世界観を想像させることに長けたタイトルである。いずれもゲームプレイの自由度は高くはないが、散らばった物語から、世界の全体像を想像させる広がりが豊かなことが共通している。特に『十三機兵防衛圏』は、クリエイターが一生に一度しか作れない熱量に満ちており、必見といえる。

オープンワールドという自由への限界が見えているなかで、そのエッセンスをきっちり解釈し、ゲームデザインに落とし込んだものも印象深い。5位『DEATH STRANDING』は配達やトレッキング、そして荒廃した世界として生かしたし、7位『キングダムカム・デリバランス』では凡庸な一般人が、激動のボヘミアで生きていくリアリティに落とし込んだ。

2Dプラットフォーマーだってここまで数多くの革命を見せながら、なおも新しい革命を見せる。4位『My Friend Pedro』は二丁拳銃とバレットタイムという、『マックスペイン』から使い古されたそれを、 “ふたつ同時にエイムする”というメカニクスを導入し、まったく新しいエクストリームスポーツみたいなゲームプレイを実現した。8位『フォーゴットン・アン』は、2Ⅾプラットフォーマーを生かすキャラクターアニメーションを特徴にしながら、 “命を与える”アニメの語源について描くゲームだったことが印象深い。

また2019年はビデオゲームのサブスクリプションサービスも始まり、Apple Arcadeのロンチタイトルにて6位の『Sayonara Wild Hearts』のような、先鋭的なタイトルを推していたことは興味深い。Googleが鳴り物入りでロンチしたStadiaが、PCやコンソールでリリースされたタイトルの評判が芳しくない一方、Apple Arcadeがモバイルにおいて、買い切りならではの野心的なタイトルを推す方向に踏み切ったことには意味があるだろう。

最後に革命とは違うが、無視できないアプローチのタイトルを上げる。9位『Travis Strikes Again: No More Heroes』と10位『YIIK: A Postmodern RPG』である。両作とも決して完成度は高くないし、いくつかの問題を残しているが、「現実をサブカルチャーを通して観ている」という点が共通している。

もはや今は、ある種のサブカルチャーが日常の隅々にまで浸透している現実を生きている、と言わざるを得ないわけで、ある種のリアルを描くとき、現実の)間にオタクやサブカルチャーが挟まっている、ということが行きつく先は何か?みたいなことを最近はよく考える。(映画になるが、たとえばバットマンのユニバースで現実的だった『ダークナイト』から10年、格差や貧困を描く『ジョーカー』に至ったみたいな、サブカルを通してある現実を描くことの行きつく先、というか。)

英語圏の映画やドラマでは「ある現実を表現するのにオタクやサブカルが挟まっており、それを通過したうえで表現する」という描き方で商業面でも批評面でも成功している作品が観られ、今後もそれは続いていくだろう。ビデオゲームにおいて、それはどう描かれてゆくのだろうか?

ヘッダーはオアシスの『Definitely Maybe』のパロディです……また来年もジャンルが複合する場には、だいたい自分がいる。


葛西祝は各所でジャンル複合ライティング業者として活動中。ビデオゲームを中核にアニメーション、映画、アート、そして格闘技などさまざまなジャンルの境界線にある記事を作り続けている。公式サイトはこちらから

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