様変わりする台湾総統選「主戦場」はネットへ

執筆者:野嶋剛 2020年1月10日
タグ: 台湾
エリア: アジア
ユーチューバーの波特王と話す蔡英文総統(番組画面より)

 

 1月11日に迫った台湾の総統選。本来は「お祭り」と言われるほど、賑やかで派手な選挙運動で知られる「民主の祭典」なのだが、今回は異変が起きている。過去の総統選に比べて選挙集会が少なく、巨大ポスターもあまり見かけず、全体的に控えめで静かなのである。

 では、選挙が盛り上がっていないのかと言えばそうではない。主戦場がインターネット上に移り、こちらで宣伝戦が繰り広げられていたのだ。

ファンページの運営がいちばん大変

 11日には立法委員(国会議員に相当)の同日選挙も行われるが、今回で3期目を目指す、与党「民進党」のある立法委員候補は、私にこんな話をしてくれた。

「選挙の予算をどう使うのかは、いつもものすごく悩まされる。いままでは、予算内で何カ所夜の集会を開き、何カ所に看板を出すかばかりを考えていた。でも今回は違う。ネットの宣伝にまず半分の予算を使い、残りを集会と看板などに使っている」

 この立法委員の陣営では、「小編」と呼ばれるネット発信担当の若者たちを数人雇用し、日々、フェイスブック、ライン、「PTT」と呼ばれる掲示板で、選挙運動の情報を発信してもらったり、シェアされやすいデザインのイラストを作成してもらったりしている。候補にとってネガティブな情報を見つけては、それに反論するのも、彼らの仕事だ。

 そして、ファンページの運営がいちばん大変だ。どの候補も「粉絲團」と呼ばれる支持者のグループをフェイスブックやラインで持っていて、数十万人規模に達するケースもある。支持者からの質問やコメントにきっちりと反応することも欠かせない。どの政党もフェイスブックのファンページの運営には相当の力を入れ、ファンの数を競い合っている。

重宝される「世論武器商人」

 ネット上の宣伝戦で重視されるのは、「網路聲量」と呼ばれるデータだ。これは、ある人物やトピックに関するネット上でのつぶやきやコメント、シェア数を統計的に処理するもので、この「網路聲量」が大きいほど、その人物やトピックに関する情報がたくさん飛び交っていることを意味する。基本は「網路聲量」が大きい候補者ほど勢いがついているとみなされる。

 そのため、「網路聲量」を高める能力や経験値が高く、状況に応じて「風向球」と呼ばれる観測気球的な情報も発信して、世論を有利に誘導したり、敵方のマイナスイメージを広げたりする、「操盤手(コントローラー)」と呼ばれるプロ集団がいる。数十人の社員を雇って会社化され、選挙前はどの候補と契約を交わすのかでしのぎを削っている。

「自分は数万人のファングループを持っている」として、選挙運動への協力をもちかけるプロ集団に対して、数百万、数千万円クラスのオファーが飛び交っている。

 昔の選挙では、ベテランの「選挙参謀」が雇われて、支持者へのアプローチなどを指南するような光景が見られたが、最近はこのネットの世界での選挙参謀がむしろ重宝されている。彼らは「世論武器商人」などとも呼ばれる。

民進党が「大敗」から学んだこと

 ネットのなかでは、フェイクニュースやフェイクニュースまがいの情報も飛び交っており、日々、政治家たちは「確認」「否定」の作業に追われることになる。

 たとえば、ネット上で、

「国防部は130億台湾ドルをかけて時代遅れのF16-V戦闘機を66機も米国から買おうとしている。馬鹿じゃないのか。頭がおかしい。中間マージンでどれだけ抜かれるのか」

 という内容の情報が流れた。

 これが瞬く間に広がり、国防部が「F16-V」は時代遅れではなく最新鋭の戦闘機であり、価格も機体数もまだ未確定だとコメントを出して火消しを行った。

 こうした類の情報を、ネット上でのうわさ話にすぎないと無視することはもはやできない。放っておくと、現政権与党の民進党が売りにする米国との友好な関係とその象徴としての戦闘機売却という問題に、火が燃え移ってしまうからだ。

 民進党は2018年の統一地方選で、ネット世論の怖さを痛いほど味わった。10件の住民投票も同日に行われ、民進党が推し進める同性婚合法化の是非を問う住民投票も、反対派からの提案で実施された。

 反対派は、ネット上で日々「同性婚合法化によってフリーセックスになる」などと現実にはありえない情報を活発に流すことで、民進党支持層で比較的年齢の高い保守的な考え方を持つ人々に不安を与えた。彼らはフェイクニュースに耐性が低い世代ということもあって一気に投票意欲を失い、同性婚を巡る住民投票は反対派が勝利。民進党は支持層を固めきれず、地方選挙でも大敗を喫した。

 そのなかで民進党が学んだのは、ネットでの宣伝戦こそがこれからの選挙のポイントであるということと、自らその世界に打って出ないといけないこと、そして、民進党のネガティブキャンペーンにおいては、台湾統一のために民進党の勝利を阻止したい中国の影がちらついている、ということだった。

「可愛い」と評判になった蔡総統

 蔡英文総統は総統選の期間中、積極的に「網紅」と呼ばれるユーチューバーたちと接触を重ねている。

 彼らの影響力はもはや侮れない。数万、数十万人のファンを抱えているだけでなく、政治的な発言も辞さない。

 蔡総統は、イケメンユーチューバーで知られ、フェイスブックに88万人のファンを有している「波特王」という若者と一緒にユーチューブの番組を制作し、そのなかでのやりとりが大きな話題になった。

「総統、私と付き合ったら、あなたはダメな人になりますよ」

 波特王が独身の蔡総統をナンパするという設定で会話するシーンがあった。

「なぜなら、私はあなたを可愛がりすぎてしまうから」

 彼がこう続けると、蔡総統はその言葉に照れて黙ってしまった。これが可愛いと評判になり、それまでは堅いイメージで若者とも距離があったところに大きな効果を発揮した形だ。

  このユーチューブ出演にはさらなる展開があった。

波特王は中国の会社の広告にも出ていたが、この会社から「総統と呼んではならない。台湾地区指導者と呼び替えなさい」という指示があった。彼は自分の番組で拒否を宣言。民進党の支持者から喝采を浴びて、彼自身の台湾での人気も高まった。

 蔡総統は他にも次々と「網紅」たちの番組に出演し、自らの堅いイメージを次第に変えていく。これは若手の票開拓に大きな効果を発揮するだけではなく、若者に近いという民進党のイメージ戦略にも有効な一手だった。

フェイクニュースで自殺した外交官

 一方、民進党政府は2019年以降、統一地方選での手痛い教訓から、フェイクニュースの厳罰化を一気に進めた。

 災害救助法や食品安全衛生管理法、放送法など7つの法律において、フェイクニュースの厳罰化を定める法改正を行った。死者を出した場合は、最高で無期懲役刑にもなり得る厳しいもので、野党の「国民党」は言論封殺に繋ると批判したが、フェイクニュースに対する懸念の高まりから世論の後押しもあって実現。

 さらにその総仕上げとして、敵対勢力の台湾への関与・工作を防止するための「反浸透法」を年末に可決。事実上、この法律は中国の台湾工作を想定したものと目され、偽アカウントを使って台湾に入り込んでいるとされる中国の「網軍(ネットアーミー)」による選挙への介入などを阻止するためにも大きく役立つとの期待が民進党側にはあった。

 ただ、ネット対策が諸刃の剣になってしまう可能性がある。

 今回の総統選では、国民党側が香港情勢などを受けてネット空間でもずっと押され気味だったと言われるが、活気づいた話題もあった。

 2008年総統選のとき、民進党の候補であった駐日経済文化代表処の謝長廷・代表の部下であったネット専門家の女性の問題だ。

 2018年9月、台風21号の影響で関西国際空港に多くの人が閉じ込められた際、台湾人の乗客を積極的に助けなかったとして批判を浴びて、大阪の経済文化弁事処(領事館)に駐在していた台湾の外交官が自殺してしまったケースがある。ネットによる台風並みの攻撃が、彼の心を追い詰めたと見られている。

 その際、最初に批判を浴びたのは謝代表だったが、悪いのは彼ではなく大阪の弁事処だという情報をネットで拡散させるよう工作したのが、この女性だった。台湾の地検がこの女性をフェイクニュースに関する罪で起訴して、謝代表との関係が浮かび上がったのである。

 連日、国民党は記者会見を開いて民進党への反転攻勢の突破口にしようとした。ネットで遅れをとった国民党が、ネット上の話題で民進党に攻め込もうとしたのであるが、女性の工作と謝代表の繋がりが立証されないため、大きな効果は上げなかったようだ。

 ただ、もともと2018年の統一地方選で国民党圧勝の主役になり、今回の総統選に担がれた韓国瑜・高雄市長も、ネットで自然形成された「韓粉」と呼ばれる強固なファングループが人気の土台になっており、ネットを誰がうまく使うかが勝敗の鍵を握るのは確かのようだ。

「ネットを制した者が勝つ」

 先の立法委員候補は言う。

「いい場所に大型の看板をかけようとすると、候補者同士の奪い合いで値が吊り上がって100万台湾ドル(約350万円)を求められることもある。それでも買っていた時代もあったが、いまそんなお金があったら『小編』の1人や2人を増員したいというのが本音」

 台湾の民主主義は、「党外」と呼ばれる非合法な活動をしていた人々が街頭で激しい抗議行動を行い、存在感をアピールする伝統のもと発展した経緯があり、街頭運動こそ選挙だというカルチャーがあった。

 もちろん、「晚會」と呼ばれる台湾の伝統的な夜の大集会や、「掃街」「拜票」と呼ばれる街頭での候補者の挨拶回りはいまも行われており、決して伝統的な選挙運動が姿を消したわけではない。

 しかし、昨今のネットの発達によって、台湾は街頭から電脳世界へと、主戦場を移しつつある。「ネットを制した者が勝つ」が、台湾政治のルールになる日もそう遠くはないはずである。

 

カテゴリ: 政治 IT・メディア
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執筆者プロフィール
野嶋剛 1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、「台湾とは何か」(ちくま新書)。訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。最新刊は「タイワニーズ 故郷喪失者の物語」(小学館)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com
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