2020年01月12日

春巻 うずらの劇団ひとり

● 徒党を組んで孤立させる

春松 うずら(0228登録)の【煽り記録】
http://lttlleo.seesaa.net/article/473051560.html
春松 春鳥朕(1126登録)の【口がドブ川の臭い】
http://lttlleo.seesaa.net/article/473049053.html
春松 春田遊(0825登録→ピンクソファ)の【煽り気質】
http://lttlleo.seesaa.net/article/473061573.html

うずら/ピンクソファ/春鳥朕に共通する、
【いじめの手法】
A:徒党を組み「仲良しの私たち」を見せつけて孤立させようとする
B:標的への「孤立」を中心とするガスライティング
C:嫌味当てこすりを繰り返し、標的の感情に揺さぶりをかけようとする

性根の悪さは言うまでもないが、
ひとつ思うのは、うずらから漂う【孤立への病的なまでの不安】である。

● 孤立への病的なまでの不安

誰だって孤立はしたくない。
人間にとって、孤立は生存に関わる重大な問題だからね。

しかしそれにしても、うずらの煽りにはいつも
「仲良しの私たち」と「ぼっちのガウガウエリンギ(はぁ)」
の構図があり、
「私」が「Erin」を批判する、
というすっきりシンプルな形であったためしがないのである。

一方、こちらはというと
Erin@反ミソジニー 自分語り
http://lttlleo.seesaa.net/article/472292924.html
さびしい人とかねたんでる人とかにして貶めたい人って
「フェミはブスBBAの嫉妬」にしたがるゴミソとまったく同じ発想なのね。

ツイッターでかなり親しくしていた人もいるけど、
自分は党派を結成するタイプじゃないんだな。


● 依頼心が強い

うずらがしつこく繰り返した【煽り】も
「相手の反応を期待する」が動機なわけで、

こちらが
「自分が考え、考えをまとめ、それを主張する」で、
他人に対しては
「同意の前にまず主張を理解してもらいたい、次にできれば同意してもらいたい」
であることと、
根本的に違うと思うんだな。

(なんか裸の大将みたいになってるけど)

自分は自分の主張について
「理解する人は少数派だろう、少数派だから分がないと読んで賛同しても無言だろう」
と思うことが多いのだが、
「でも自分はこう考えるから」と表明を続けてる。

「主張に賛同を得る」も「自分に肯定を得る」も動機じゃない。
「主張への賛同」も「自分への肯定」も、結果としてあれば御の字。

うずらの場合はそれが動機で、それが期待できなければ出さないと思うんだわ。

● うずらの劇団ひとり

一人芝居は本来の意味、演劇のジャンルとして実際に+現在進行である。
演劇の一人芝居は「一人芝居ですよ」を当然開示して、観客もそのつもりで見る。
そして一人芝居を演じる役者は、演劇のスタッフに支えられているといっても、やはり、相当に自立心が強いと思う。

※まぁ自分一人の演技で観客を感動させたいというのはある種の支配欲かもわからんけど。
でもそもそも役者なり芸能者なりの「観客を惹きつけ酔わせ感動させたい」が支配欲を含んでいる。

前置きが長くなったが、

うずらの場合は
「自分を大きく見せるための虚構で騙し」の自作自演だと思うんだわ。

「自分を大きく見せたい・多数派に属しているのを誇示したい」

・・・・・そんなのどうでもいいと思うんだけど。

スゴイ人、立派な人、大勢に支持されている、
そういうのはすべて、結果ですよ。
そしてその結果も、別に誇示することでもないでしょ。

グレタさんを見るべし。
彼女はたった一人で抗議運動を始めて、訴え続けて大きな潮流を作った。
彼女の思考に「私を認めて褒めて」はない。
「私の話を聞かなくていいから、科学者の話を聞きなさい」。
彼女みたいな人を「無私」と言うのだと思うわ。

※次記事へ続く。


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posted by Erin at 00:00| Comment(0) | MTF-16 カルト春巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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