ほぼ日刊イトイ新聞

2020-01-11

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・昔といまの大きなちがいというと、
 ひとつはヘアスタイルの洗練ではないかと思っている。
 どれくらい前のことを昔というのか、むつかしいけれど、
 ある時代まで、いわゆるタレントと呼ばれる人たちと、
 カメラや照明にさらされていないシロウトでは、
 あきらかにヘアスタイルがちがっていた。

 タレントには、専門のヘアスタイリストがついていて、
 「これが完成形」というところまで手入れをされていた。
 一方、一般人というか、シロウトの人たちは、
 地元の美容院でカットやセットをしていたわけだ。
 ヘアデザインにも、カットの技術にも、
 撮影に関わるプロと、一般的美容師さんたちの間には、
 かなり大きな差があったと思う。
 やっぱり、シロウトの女の子は、
 ちょっと髪が重いというか、もっさい感じに見えた。

 しかし、ヘアデザインのセンスや技術は、
 いつのまにか全国的に向上していた。
 東京の繁華街を歩いている女性たちを観察しても、
 ヘアスタイルでは地方からやってきた人が
 見分けられるようなことはないのではないだろうか。
 人の顔にとって、髪のようすは額縁のようなものだ。
 みんなが「いい額縁」を持ったことは、
 昔から今に至る間の大きな変化だったという気がする。

 似たようなことを、もうひとつ思った。
 人の名前も全国どこでも同じようになってきている。
 時代小説や落語などでは、名前に「格付け」がある。
 身分や地方によって、いかにもかっこいい名と、
 雑に付けられた風の名前とがあったように思う。
 しかし、その差も、ちがいも、いまはなくなった。
 つまり、だれもがみんなかっこいいのである。
 そして、いままでとは逆のように、
 簡単そうに付けられた感じの、素朴そうな名前が、
 都会の両親によって付けられているような気もする。

 かっこよさの「民度」みたいなものは、これからも、
 さらに全体が底上げされていって、似てくるのだろうな。
 おれたち、昔の人たち、もっとダサかったんだぜー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なんか、若い人全体にきれいになってるよなぁと思うんだ。


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