(前回のあらすじ:1573年夏、戦国時代に転生したオババとアメリッシュ。アバターとなった戦国時代の母娘を生かすため兵隊になる決意をした。鉄砲足軽隊として他の5人の仲間とともに古川久兵衛の配下に彼と共に密偵として小谷城へ向かう途中で、オババが敵の矢をうけて負傷、必死で逃げた)
織田軍の最前線基地、虎御前山
浅井勢の追撃を逃れ、私たちは、ほうほうの体で織田軍が設営した虎御前山の砦にたどり着いた。
信長の丘に築いた砦に登る林に入ると、追いかけてきた敵は消えていた。
敵もなく、砦の前でも心から安心なんてできるわけなかった。
息を切らしながら、しかし、久兵衛だけはオババを抱えて走ったわりに元気そうだ。
で、私ときたら、助かったと思った瞬間に、汗がど〜〜ん、足がふらっ、あっと思った瞬間、腰がぬけて尻餅をつき、呼吸困難に陥った。
「着到報告せよ!」
威勢のよい声で、机に紙を広げた官司が久兵衛に怒鳴った。
その声が妙に裏返ってると思ったけど、ま、それとは別に、できたばかりの砦は切り出した木材も新しく、内部の様子も活気に満ちていた。
「明智光秀が配下、古川久兵衛と配下の者だ。光秀殿の密命で伺った」
久兵衛の声はよく通る、しかし、へ?
そうなのか?
お前、その嘘、大丈夫か。
ここに織田信長が砦を築いていることも知らなかったろう。光秀から勅命を受けるほどの身分でもない。
配下の斎藤利三から間者として探ってこいと言われたその他大勢でしかないはず。
「一人、矢傷を受けた。どこに行けばよい」
「矢傷、どうした」
「この先の清水谷に至る林で襲われたんだ」
「おお、そうか。許す、入れ!」
戦国時代というのは、いい加減だと思う。見聞するにつけ、現代人の知識をもってすれば、抜け道などいくらでも見出せそうだ。
こんなふうに砦に口頭だけで入れるってことも問題じゃないか?
まあ、しかし、本人確認しようにも写真もないし、まして指紋認定などできるはずもない。時代が混乱していたから、いやね、もう、簡単すぎるわ。
そんなことを考えながら・・・
城内の簡易的な傷病施設に入った。
てか、これが病院か?
土ボコリは入り放題。ゴザが引いてあって、そこに寝るだけの場所だ。板張り屋根があるだけマシという代物。
現代の衛生管理からしたら、これもね、治療するなんて考えてないでしょ。免疫機能で、うまく生き延びたら儲けものって、そんなレベルでしょ。
後代では、虎御前山城とかいうけど、どうせ戦が終われば壊す城だから、それ自体も簡易的な木造建築なわけ。
いい加減、なんでもかんでも、ほどよくいい加減だった。
それでも、オババの太ももからの出血は止まっていたからよかった。
「オババ」
「ああ、アメ、酷い目にあった・・・」という声が前より確かだ。
夏のことだが、カラッと晴れた日で、日陰にいれば風が通り涼しい。
まだ、戦闘前ということもあり、負傷者はいなかった。
「私が金瘡医だ。曲直瀬(まなせ)の直弟子の長野である」と、貧相な男が名乗った。
矢傷などを治療する専門医を、当時、金瘡医と呼んだ。
といっても、21世紀の医者とは違う。
なにやら、薬草のようなもので傷口に塗るぐらいの処置だったが、それでもないよりマシだろう。
この曲直瀬道三という医師は有名だった。
漢方医学を学び、天皇や戦国大名の医師として活躍した。信長も治療を受け、褒美を出している。後世では日本医学中興の祖として名が知られることになる医師である。
その直弟子というからには、使うのは漢方なのだろう。
板塀の一方に薬草を置いた棚があり、そっちからツンとした独特な匂いが漂ってきた。
「オババ」
「アメ、心配するな。これしきの怪我、私の子供の頃にはな。ま、ツバをつけといたものだ」
「オババ、それ、戦後のこと? 昔といっても、未来だよ」
「そ、そうだな」
オババの心配
翌日、私は古川久兵衛とふたり、夫婦という名目で偵察に出かけることになった。
身をやつした姿で、私は、ひざ下まで着物の裾をあげ脚絆を巻き、髪にはほうっかぶり。久兵衛は古びた槍を背に、いかにも落ちぶれた浪人という雰囲気だった。
オババは、その夜は発熱もしたが、なんとか持ちこたえた。テンとトミは書状を持って明智光秀の家臣斎藤利三の元へむかった。
「おし、行くぞ、マチ」と、久兵衛が声をかけてきた。
「気をつけてな」
「大丈夫、オババ。危ないときはすぐに逃げる」
まったく大丈夫な気はしなかったが、気休めにはなると思った。
「それが、怖い」
「へ?」
「あんたは、昔から逃げがうまいが、後先考えんから」
「オババ、心配ない」
私は無理に笑顔を作った。
「そうか、心配ないか」
「ああ、心配ない」
オババは力なく片頬をあげて微笑むと、行きかけた私の手を掴んで引き止めた。そのとき、実際の年齢76歳のオババの顔が、40代の女の顔に透けてみえた。
「気をつけよ」
「うん」
ゆっくりと外す手が熱かった。
古川久兵衛の憂鬱
織田信長が築いた虎御前山の砦から、清水谷までは、それほど遠くはない。歩いても10分ほどの距離。
砦の丘を降りて、まっすぐに向かうのは危険なので、裏から遠回りして気づかれないように行くことになった。
しかし、偵察といっても、できることは限られている。山城である小谷城に入り込むのは難しいだろう。まだ警備が手薄そうな、その下の町、清水谷に行くことにした。
急な山肌につくられた小谷城が見下ろす形の清水谷は、当時、浅井家の兵が居処としていた。
人影もなく、静かな獣道を歩いていくと、今が戦時だということを忘れる。いったい、今日は何日なのだろう。
「今は何日だ」と、聞いてみた。
「呼び捨てか。少しは畏れよ」
「はん、で、何日」
「日にちなど、覚えておらんわ」
いったい今は何日何曜日の何時なのだろうか。
現代では、日付や時間を常に意識していた。というか、意識する前に、空気のようにわかっていた。
現代人は時に支配されながら動いている。
グーグル検索すれば、西暦、元号、月日から曜日、時間、すべてが一瞬でわかる。例えば、
「今日は、火曜日だから、休みまで、まだ4日もある」
「げ! 会社、休むか」
てな会話を普通にしていた。
それがどうだろう。
戦国時代にきて、日付はそこまで情報として重要ではなくなった。
おそらく、武将レベルなら記録係から、この時代に使われていた太陰太陽暦、いわゆる旧暦で日付を知れるだろうが。
一般の下層庶民は、暗くなれば寝て、明るくなれば起きて働くの繰り返し。
土、日が休みで週休2日なんて概念がないし、そもそも何日なんてカレンダーなど必要がないんだ。
ともかく、気の遠くなるほど、いい加減だってことはわかった。
休日はないけど、みな、かってに休んでるから。
織田信長が虎御前山の砦を築いた時期が7月だから、おそらく今は天正元年7月か8月。旧暦の8月は現代では9月、少なくとも8月後半か9月に入っているだろうか。
「なぜ、そのようなことを聞く」
「いや、なんとなく」
「なんとなくか」
彼は知らないのだ。この時期の不穏で危険な状況を、信長側にとって綱渡りの時期だったんだから。
まずい戦に巻き込まれては、命が危険なんだ。
セミの声が大きい林を抜け、何かの棘に傷を負いながら、ひたすら歩いた。
蒸し暑かった。昨日はカンカン照りで暑かったが、今日は空気に湿気を感じる。雨が降るのだろうか。
小山をぐるっと回って歩いていくと、清水谷を守る砦が見えてきた。
「あれが」
「そう、あれだな」
「まっすぐ進むのか」
「さて、そろそろ物見はワシらを発見しているだろう、少し、休んでいこう」
久兵衛は岩に腰を下ろすと、竹筒の水を飲んでから、私に差し出した。
「飲むか」
「自分のが残っている」
「そうか」
「殿を呼び捨てか、おめえ、ほんと命知らずだ。まあ、そりゃ、信長様ってことも考えたが」と、ここで彼は大きく息をついた。「あの羽柴秀吉だって元は農民の出で、あそこまで出世できた、そりゃ夢のようだからな」
秀吉の出世はアメリカン・ドリームならぬ、ジャパニーズドリームとして広く知れ渡っていた。一介の足軽から、今では1つの兵団を従える城持ちの大将に出世したのだ。
「へえ、じゃあ、光秀に仕えたのは、織田の家臣になりたかったからか」
「いや」と、久兵衛は言って、それから、微妙に顔をしかめた。
明るくおおらかで、およそ悩みなどないという彼に、一瞬さした影。
なにか心に引っかかった。
彼は日に焼けたシワの多い顔をしかめ、それを打ち消すように顔中で笑った。
「いや、織田様んところじゃ、もう大所帯すぎてな。ちょっと遅かったようだ。これからどんな武功を立てようにも、それほど目立たんだろう。その点、明智殿なら、これからの働き次第じゃ、出世も夢じゃねぇ」
日頃は無頼をきめて、何事も大雑把な男だが目端はきくのか?
だが、なにか違うものを感じた。
鉄砲に触れたこともない私たち雑兵を鉄砲足軽に取り立てたことだって、今から見れば、その場の勢いかって考えていたが、どうも違う気がする。
しかし問題はそこじゃない、信長も光秀もまずいってことだ。
1573年なら、あと9年で本能寺の変が起きる。
そのとき、彼はまだ無名の足軽小頭だろうか?
士官するなら秀吉か徳川家康だろう。
家康の家臣団は古くからの人間でがっちり固まっている。とすれば、選択肢としては秀吉が残る。
古川久兵衛は、まったく無名の男なのだろうか? 秀吉に鞍替えせよと言うには、ここも引っかかる。
未来の歴史に関係するなら放っておくしかない。このくちゃくちゃに顔を歪めて笑う若者に愛着さえ覚えはじめているが・・・
「それで光秀か・・・」
「なにか問題でもあるのか、巫女どの」
「いや、それは・・・」
「いつもの元気なあんたが、歯切れが悪いな」
「風が強いな」
天を見上げると雲が走っていた。
遠く、東方向が薄暗い。
嵐でも迫っているのだろうか。
「おっし、行くぞ」と久兵衛が立ち上がった。
そう、もう嵐は、そこまで迫っていた。
・・・つづく
登場人物
オババ:私の姑。カネという1573年農民の40代のアバターとして戦国時代に転生
私:アメリッシュ。マチという1573年農民の20代のアバターとして戦国時代に転生
トミ:1573年に生きる農民生まれ。明智光秀に仕える鉄砲足軽ホ隊の頭
ハマ:13歳の子ども鉄砲足軽ホ隊
カズ:心優しく大人しい鉄砲足軽ホ隊。19歳
ヨシ:貧しい元士族の織田に滅ぼされた家の娘。鉄砲足軽ホ隊
テン:ナイフ剣技に優れた美しい謎の女。鉄砲足軽ホ隊
古川久兵衛:足軽小頭(鉄砲足軽隊小頭)。鉄砲足軽ホ隊を配下にした明智光秀の家来
*内容は歴史的事実を元にしたフィクションです。
*歴史上の登場人物の年齢については不詳なことが多く、一般的に流通している年齢などで書いています。
*歴史的内容については、一応、持っている資料などで確認していますが、間違っていましたらごめんなさい。
参考資料:#『信長公記』太田牛一著#『日本史』ルイス・フロイス著#『惟任退治記』大村由己著#『軍事の日本史』本郷和人著#『黄金の日本史』加藤廣著#『日本史のツボ』本郷和人著#『歴史の見かた』和歌森太郎著#『村上海賊の娘』和田竜著#『信長』坂口安吾著#『日本の歴史』杉山博著#『雑兵足軽たちの戦い』東郷隆著#『骨が語る日本史』鈴木尚著(馬場悠男解説)#『夜這いの民俗学』赤松啓介著ほか多数
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』
1月11日、岐阜市歴史博物館2階に「麒麟がくる」にあわせて、大河ドラマ館がオープンするそうです。その他にも2館が岐阜で、そして、京都でも、京都大河ドラマ館がオープンします。
なんだかワクワクしてきたけど、関東は?
なにもない・・・、そ、そうですか。