旧東独の文化都市ライプツィヒ。すでに12世紀には神聖ローマ帝国の商都として繁栄し、その後も20世紀に至るまで、商業のみならず、学問、文化、芸術が咲き誇った。
特に音楽では、ここを訪れなかった有名な音楽家を探すのが難しいほど。18世紀、ヨハン・セバスティアン・バッハが26年間も音楽監督を務めたトーマス教会では、床の下に、今もバッハが眠っている。
大晦日の夜9時、そのトーマス教会でオルガンコンサートを聴いた。この教会には、2台の立派なオルガンがある。曲目は、もちろんバッハと、その他マックス・レーガーなど。オルガニストは若年20歳の青年で、瑞々しい才能が迸るような爽やかな演奏だった。
教会から夢見心地で外へ出たのが10時40分。あちこちから花火を打ち上げる爆音が聞こえた。空気がすでに火薬くさい。
ドイツの大晦日は大騒ぎの日だ。本来ならカウントダウンで零時を待ち、新年とともに皆が打ち上げ花火に興じる。しかし、ライプツィヒでは、それを待ちきれず、多くの人がすでに花火を打ち上げていた。これまで住んでいたシュトゥットガルトでは、皆が律儀に零時を待つので、地方色の違いが面白かった。
ちなみにドイツでは、花火の販売は、1年のうち、12月29日から31日までのたった3日間しか許可されていない。その代わり、かなり危険なロケット花火も店頭に並び、それが飛ぶように売れる。毎年、花火由来の事故で、怪我人も出る。
家に帰って年越しそばをいただき、零時に外に出ると、花火は上がっていたものの、シュトゥットガルトのように夜空が一面に明るくなるほどの迫力はなかった。それでも、「ああ、2020年が始まったのだなあ」という感慨に浸り、しばらく空を見上げていた。
ちょうどその頃、我が家から南に5kmも離れていないConnewitz(コネヴィッツ)という地区で、極左の暴動が始まっていた。
これまで全く知らなかったのだが、ライプツィヒのコネヴィッツ地区は、ハンブルクのRote Flora(1989年に極左が占拠したまま、自治という名で今に至るまで極左グループの活動の中心となっている建物)や、ベルリンのRieger通り(1990年に極左が幾つかの建物を占拠し、それを立ち退かせようとした警察とのあいだで戦闘行為が繰り返されてきた通り)と並ぶ、戦闘的極左グループの牙城なのだそうだ。
コネヴィッツには危険人物としてマークされている極左が百人以上もいるといい、当然、暴力沙汰は多い。暮れにもパトカー3台が炎上したし、現在、この地域で進められようとしている住宅プロジェクトに反対する勢力が、夜中に建設機材に火をつけたり、関係者の自宅に押し入って乱暴を働いたりしているという。