奇妙な夢を見た。
今回はその話をする。時事問題をいじくりまわしたところで、どうせたいして実のある原稿が書けるとも思えない今日このごろでもあるので、こういう時は身辺雑記を書き散らすことで当面の難局をしのぎたい。
夢の中で、私は、古い家族のメンバーとクルマに乗っている。私は明らかに若い。30歳より手前だと思う。運転はなぜなのか母親が担当している。クルマの少し前を父親の原付きバイクが走っている。父親は既に老人になっている。亡くなる少し手前。たぶん70歳前後ではなかろうか。
と、その父親の操縦する原付きバイクが交差点でモタついたせいで、右折してきた対向車とぶつかりそうになる。見たところ、トラブルの原因は父親の運転の危うさにある。
そこで、私が出ていって相手方に謝罪してその場をおさめる。行きがかり上、原付きバイクには私が乗って行くことになる。
すると、しばらく走ったところで、二人の警察官に呼び止められてバイクをその場に止めるように指示される。
警察官たちはニヤニヤ笑っていて態度を明らかにしない。どうやら私がヘルメットをかぶっていないことをとがめるつもりでいる。余裕の笑顔でこっちを見ている。
この時、私と母親の間で議論がはじまる。
「あなたがヘルメットをかぶっていないのが悪い。まったくなんということだ」
「オレはあの事故寸前の現場を収拾することで精いっぱいだった。バイクの運転なんか想定していないのだから、ヘルメットを持って歩いているはずがないではないか」
「それでも非はおまえにある。致命的なミスだ」
私は激怒してこう宣言する。
「わかった。もうごちそうしてもらいたいとは思わない(←なぜか、この日は母のおごりでレストランで会食することになっていたようだ)。オレは一人で歩いて帰る」
で、その空き地のような場所から見知らぬ街路に向かって歩き始めると、何人かの人間(著名な芸能人が一人と妹の友人だというはっきりしない人物が二人ほど)が、私をなだめにかかる。
「こういう場面で怒りにまかせて行動すると、必ず後悔することになる」
「お母様も年齢が年齢なのだから、あなたの方が折れてあげるのがスジだ」
などと、彼らは、口々に私の軽挙をいましめ、再考を促す。
ここで私が再び激怒する。
「何を言うんだ。オレは少しも悪くないぞ。どうしてオレばかりが責められなければならないんだ」
と、大きな声をあげたところで目が覚めた。
心臓がドキドキしている。夢から覚めたことはわかっているのだが、しばらくのあいだ、怒りの感情がおさまらない。仕方がないので、未明の中、起き出してメールチェックやらツイッターの新着メッセージの確認やらを済ませて、再び床に就いたわけなのだが、おどろくことに、夢で目覚めた時点で、すでに9時間は眠っていたのに、そこからまた4時間ほど熟睡してしまう。
この一週間ほど、体力が衰えているからなのか、丸1日をマトモに起きていることができない。今週に入ってからは、毎日14時間以上眠っている。どうかしている。昔からそうなのだが、私は、過眠傾向に陥っている時期に、奇妙な夢を見ることが多い。たぶん、肉体のみならず、アタマも相応に疲れているのだろう。夢の中で激怒せねばならなかったのは、おそらく私が疲労しているからだ。
さて、再び目を覚ましてみて、あらためて思うのは、夢の中で爆発させた自分の怒りの激しさと、その後味の悪さについてだ。
あんなに怒ったのは何年ぶりだろうか。いや、何十年ぶりかもしれない。
いまでも、怒りの余韻がカラダの節々に残っている。この感じは、端的に言って不快だ。
ちょっと前に、ツイッターのタイムライン上でどこかの誰かが言っていた言葉を思い出す。
彼は、現代の日本人が「怒りを表明したり怒りに基づいて行動したりすることの快感に嗜癖している」ように見える旨を指摘していた。それというのも、怒りは、多くの人々にとって、不快さよりはむしろ快感をもたらすもので、特に激怒して大きな声を出した後には、ストレスがきれいに発散されているもので、だからこそ、人々は怒りに嗜癖する、と彼は言うのだ。
そうだろうか。
コメント114件
武田
私が定年まで勤めあげた会社は、入社時点では零細企業、それが15年ほどで100倍超の売上高に成長。
当時の社長は、今で言うブラック。典型的なワンマンカリスマ社長。いつも会社の中に怒鳴り声が響いていた。
そんな中で、営業部長・総務部長などを務め
させていただき、その環境の中で歯を食いしばって仕事してきましたが、今となると成長の中で事故実現できたいい時代だったといわざるを得ません。...続きを読む十数年前に代替わりし、息子が社長になると親父を反面教師として建前上合議制になりました。
私は仕事上怒鳴ったことはありませんが、「怒りはパワーだ」「おかしいと思ったら正しく怒れ」と言い続けてきました。
会社の方向性、制度、行動原則等々、おかしいと思うことには体を張って主張してきたことが当時の社長に認められたのだと思います。
「まっいっか」「面倒だから黙っとこ」「皆んながいいならしょうがないか」とか言っていたなら、あの会社はそこまでの成長はなかったでしょう。
しかし、後継者の代では最後には疎まれていたようです。
「耳に痛いことを言う幹部を身近における器のある後継者」であることを祈り人生の賭けに出ましたが、掛けには負けたようです。
小田島氏に言わせると、これも時代の変遷でしょうか。
koharu
>昭和の人間は、おしなべて自分勝手だった。ついでに自分本位でもあれば、無神経かつ無遠慮でもあった。
>で、それらの迷惑千万な性質の反作用として、彼らは、他人の喜怒哀楽やマナーの出来不出来に対して、おおむね寛大だった。
人間とは本来自分勝手
なものであるという共通認識があったのではないでしょうか?だから自分が自分本位な主張をする権利を持っていると同時に、他人にもその権利を認めていた。自分勝手な人間同士が喧嘩や怒りによって、その主張をぶつけあうことによって、お互いの妥協点や最終的な着地点を調整していたのではないかと。
...続きを読む令和の時代の空気は、人間の本性である自分勝手さそのものを否定する方向にあるような気がします。
私は寅さん、大好きです。愛すべき人物として共感する世代です。本当は皆、寅さんみたいに、自分の感情に素直になって怒ったり笑ったりして自由に生きたい、でも社会の枠にはまって生活している人々には寅さんみたいな振る舞いは許されない、個人的なわがままや感情は抑えなければいけないという枷があるから、寅さんを疎むと同時に羨ましく思う。
昨今は、寅さんを「疎む」気持ちだけが残り、「羨ましい」と思う気持ちがわからなくなっているのでしょうか?
石の心
小田嶋さん 昔は良かったのに
ただの人
まず、昔から他人の怒鳴り声に寛容な社会などではなかったと思います。
むしろいまより内輪で済んでしまう(隠されてしまう)状況だったからこそ、声をあげたくとも出来ずに泣き寝入りした人も多かったのではないでしょうか。
ましてや今よりも「世間体」や
ら「お家の何とか」やらが理不尽レベルでまかり通っていた時代に、個人の人権意識なんてものがどれほどあったのか疑問です。
...続きを読む迷惑な人がスルーされることは多かったでしょうが、それは寛容とは別のお話しだと思います。
その上で現在の「おとな」の皆さまが言うところの、怒る、感情を出す、という対象は(もちろんすべてではありませんが)、その実、ただの疑問の声だったりもするわけで、彼らは決して「社会性の欠落したやんちゃな暴れん坊」ではなかったりします。
生きてりゃ疑問も出るし、それに対して怒りの声をあげることもありましょう。争えばいいとは言いませんが、ニコニコしているだけでは変化は起こりません。それに対しネットもリアルも未熟だの子どもだのと言いたい放題に感じます。ひょっとして自分が鈍くて気づかない、感情が波立たないだけかもしれないのに。
要は声をあげる輩を抑える大義名分に「おとなの態度」使っているだけ。これは上記の「昔」と方法が違うだけで根っこは同じなんじゃないでしょうか。
一方で多様性とか個人の権利なんてトピックが「当たり前」のように垂れ流されているこのバランスの悪さ。どちらも理由は色々とあるのでしょうが、いずれにしても不健全、不健康。
ゆいたんパパ
兼業主夫
寛容さは大事だと思います。
でも、現代の「怒り」の原因が「不寛容な人格」だとすると、そういう態度はスルーしたい、というのは真っ当なことのように思います。
映画で例えると、昔はみんなタバコ吸っていたし、指定席じゃないので入替に応じないし、
ずっと寝てたりするし、イビキうるさいし、でも誰も文句いわない。ある意味、だらしないけど寛容な時代でした。当時、私は子どもだったので映画館から帰ると具合悪くて一日中寝てました。
...続きを読む一方、今は指定席だし、概ね清潔だけど、どちらかというと子ども向けの映画で子どもがキャッキャ騒ぐと「うるさい!出てけ!」と一緒になって騒ぐ「不寛容」なジジイが結構いる。「君らは子どもの頃、映画館で粗相しても何もいわれなかった世代だよね?」「自分のこと棚に上げて、よくそんな不寛容な態度取れるよね」と内心思いつつ、無視するのは、別にいいんじゃないかなーと個人的には思います。
今と昔を比べて良い面も悪い面もあるという点はそうだと思いますけれど、やたらめったら怒る態度に寛容になる必要はないんじゃないかなーと思うので、今回のコラムには共感出来なかった次第です・・・はい。
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