If I Fell
1964年2月27日収録
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美麗な初期の名曲
アルバム『ハード・デイズ・ナイト』の中の、ジョン・レノンによって書かれた名曲「If I Fell(恋に落ちたら)」は初期の彼らの、美しくてリリカルで初々しいサウンドの代表的なものだ。
彼らの初主演映画である『ハード・デイズ・ナイト』のために書かれた、この美麗な曲を好きな人は大変多い。
冒頭の「不安」なメロディラインがやがて「希望」を感じさせるような明るい兆しを帯びる。この流れは歌詞の内容とも呼応しており、やがて力強く美しいコーラスになだれ込む。
ジョージ・ハリスンの弾く12弦ギター、リッケンバッカー360/12の音色も曲想にどんぴしゃりである。
美しく印象的なメロディとコードの流れ、ジョンの情緒たっぷりの歌声を際立たせるポールのセンスの良いハーモニーに心をむぎゅ〜っと鷲掴みにされてしまう、筆者も大好きな素敵な曲である。
不思議なコード進行
ところで、この曲の冒頭のコード進行は特に不思議な流れであり、メロディはメランコリックな感じだ。
実は筆者が中学一年の頃だが、現在も続く長寿音楽TV番組『題名のない音楽会』にて、当時司会の黛敏郎氏(生前は日本を代表するクラシック&現代音楽家であった)がこの曲を取り上げて、特にその部分を褒めちぎっていた。
余談だがその番組の冒頭で、日本でのビートルズ完コピバンドの先駆け「バッドボーイズ」が「抱きしめたい」をライブ演奏した。彼らはルックスも一見そっくりだった。ちなみにベーシストは後に「オフコース」のメンバーになる清水仁だ。
筆者はその頃、学校の校内放送で「Let It Be」や「Hey Jude」は聞いたことがあった。しかし「カーペンターズ」にリアルタイムでハマっており、カレンの歌声に絡め取られていたので、ビートルズに関しては良いとは思ったがぞっこんではなかった。
しかしこの、初期ビートルズよろしくダークスーツに身を包んで颯爽と登場した「バッドボーイズ」が演奏する完コピの「抱きしめたい」は衝撃的だった!
もう、カッコ良過ぎて、ぞぞぞ〜〜っと鳥肌が立ってしまった。
トリビュートバンドでこれなら、本物のビートルズは、どれほど凄まじくカッコよかったのだろうか・・・などと今は思う。
題名のない音楽会
もちろん完コピ元の原曲が素晴らしいから、忠実に再現されたそれが心に突き刺さったのだ。その日が、未だ続くビートルズギーク人生の幕開けであった。
ちなみにヲタクを意味する英語はGEEKとNERDの2種類あるが、GEEK(ギーク)はポジティブで社会と向き合うヲタクであり、NERD(ナード)はネガティブかつ社会に背を向けるヲタクを指す。
話は戻るが、その番組で黛敏郎は「If I Fell」の冒頭部分をクラシックの面から解析した。
下記の部分である。
If I Fell 詞・曲 Lennon-McCartney
If I fell in love with you
Would you promise to be true
And help me understand
‘Cause I’ve been in love before
And I found that love was more
Than just holding hands
しかしその説明たるや、物凄く難しい専門用語を用いて、どれだけ複雑で高度であるかをとくとくと話されていたものの、何が言いたいかさっぱり分からなかった。
黒板に引かれた五線譜上で踊る、多くの臨時記号を伴った音符を指差し、やれ「増何度」だの「減何度」だのと超複雑そうであった。
聴く分には、冒頭のコードとメロディの流れは不思議な感じはするが、また自然でもあり美しくもあり、そのような複雑怪奇な説明とはかけ離れている気がしたものだ。
別のビートルズ曲「Not A Second Time」に関して、同じようなエピソードがある。
英国の「タイムズ」紙でクラシック評論家ウィリアム・マンがこの曲を「マーラーの『大地の歌』におけるエオニアン・ケーデンスと同じ和声進行が使われている!」と評してジョンとポールは何のこっちゃ分からなかったという話と似ている。
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ジャズからの解釈
ともあれ、「If I Fell」のこの部分は多くの人たちが同様に、不思議なコード進行だと感じていることだろう。
言及する人も多いが、大抵はこれをきちんと音楽的に解釈せずに「無茶な」「強引な」とか「適当な」という表現で片付けられている。
井上陽水や浜田省吾・山口百恵・松田聖子・岩崎宏美など50人を超える歌手をプロデュースしたことで知られる、ビートルズ愛が深過ぎる音楽プロデューサーとしても有名な川瀬泰雄氏さえもだ。
川瀬氏は「つくづく奇妙なコード進行だ」で済ましていて、きちんとした説明はないのだ。
ジョンがどういうつもりで冒頭のコード進行を作ったのかは、今となっては真実を確かめる術はないが、ずっと心に残っていた。
ギターを中学の頃から始めたが、大人になって音楽の志向がジャズに向き、ジャズギタリストに師事してジャズを学んでから、ようやくあの不思議進行が自分なりに解釈できた。
少なくとも個人的には解決した。ここではそれを紹介しようと思う。
後期の彼らならともかくとしても、ビートルズ初期のジョンやポールは理論でやったのではないと思われる。普段からセオリーなど無視して色んなコード進行を試して、響きのカッコよさで使う使わないを決めていたのだろう。
だから曲によっては唐突な印象を受けるものも多い中、この曲に関しては自然であるにも関わらず、実は高度な転調になっているのである。
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コード機能の分析
コード進行は以下の通りだ。
E♭m / D / D♭ / B♭m
E♭m / D / Em / A7
この後はポールのコーラスが加わり美しいハーモニーのコーラスパート「If I give my heart to you」 になだれ込む。
歌詞と呼応させて記載すると以下のようになる。ブルーとピンクで対応するコードと同じ色分けをしてある。スラッシュは小節の区切りだ。
If I / fell in love with you
E♭m
Would you / promise to be true
D
And / help me / understand
D♭ B♭m
‘Cause I’ve / been in love before
E♭m
And I / found that love was more
D
Than / just holding ha/nds
Em A7
この曲自体のキーはDであるが、 最初の4小節はキーがD♭であり、コード機能の解釈は以下のようになる。
Key=D♭
E♭m:IIm(サブドミナント)
D :II♭ (ドミナント代理)
D♭:I (トニック)
B♭m:Ⅵ (トニック)
ドミナント代理とは「裏コード」とも呼ばれる手法で、本来この場合ならトニックであるD♭に対するドミナントコード(最も強い終止感を伴って解決させるコード)であるA♭7の役割を代理できるコードだ。
本来はDのコードにセブンス(短7度)を付加したD7が正攻法であるが、セブンスは省略してもコードの機能は果たせる。ジョンはセブンスを(意識しているかはともかく)付加していない。
詳しくは後述するが、ここでセブンスがつかないDコードを当てていることが非常に重要な効果を後に及ぼすことになる。
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調性の曖昧さが生む自然な転調
さて、ここまでは、代理コード(裏コード)Dの時点のメロディが、代理Dの構成音と呼応して半音変化する以外はノーマルである。
次の4小節のコード機能の解釈では、途中でキーが変わることに注目しよう。
E♭m:IIm(キーD♭のサブドミナント)
D :II♭ (キーD♭のドミナントであるA♭7の代理であると同時にキーDのトニック= I の機能が次の瞬間に生まれる)
これ以降 Key=D
Em:IIm(サブドミナント)
A7:Ⅴ7 (ドミナント)
2小節目のDは転調前のキーD♭におけるドミナント代理として使われる。
5〜6小節目でまた同じE♭m/Dの進行でメロディも同じものがくるので、「その瞬間」に関しては、6小節目は2小節目と同じように響く。
ところが次に来るコードはすでにキーが半音上がったDのサブドミナントに当たるEmなのだ。
ここで強調したいことは「コードの機能はその瞬間瞬間に決まるものではなく、音楽上のコンテクスト、文脈の中で後から意味を持ち、役目を帯びて来る」ということだ。
つまり、この場合はEmが鳴った瞬間、「遡って」直前のDにキーDのトニック機能が生まれ、転調が確定するのである。
半音上昇する転調は一般的によく使われる。ビートルズも、同時期では「And I Love Her」などで使っている。
半音上昇転調には以下の二つの共通する特徴がある。
- 楽曲が盛り上がってから使われる
- 「唐突」に半音上がるので転調が歴然と分かる
ビートルズの「And I Love Her」もこれが当てはまる。
ところが「If I Fell」は冒頭でそれがおこなわれ、しかも半音上がったという印象を与えないのがミソだ。
そもそもキーが変わったことすら意識させず、冒頭のメランコリックな雰囲気から明るく情緒的で力強い流れに自然に移行して、あとはただただ美しいハーモニーとメロディにうっとりさせられるのみである。
これがもし、冒頭のDが本来のA♭7の代理コードであるD7であればこうはいかない。
ギターかピアノでやってみれば分かるが、D7という響が濁ったセブンスコードではEmが鳴った時に、遡ってトニック機能を感じさせるのは困難で、いわゆる「唐突」な転調感が生まれる。
セブンスを鳴らさないからこそ、気づかないうちに変化する自然な転調であり、これほど見事で美しい流れの半音上昇転調は他では類を見ない。
セブンスの省略によってトーナリティ(調性)、つまりキーのアイデンティティを曖昧にさせ、ドミナントとトニックの両方の機能を持たせたのだ。
黛敏郎氏の説明の内容は覚えていないが、クラシックはコード進行の概念がないので、半音違うキーが隣り合わせた場面の解釈が、あのように複雑怪奇になったのであろうと今は想像できる。それはあくまで「音の成分」の解釈だ。
筆者がおこなったジャズ理論ベースの「流れとしての音」の解釈の方が、をまだわかりやすいのではないかと思うが、筆者はクラシックは門外漢なのでクラシック畑の人の意見も伺いたいものだ。
もちろん、作られた現場はもっとシンプルだったと思う。
ジョンはきっと「ここからキーを半音上げたらカッコいいに違いない・・・じゃこのコードでつなげばいいんじゃね?」くらいの感覚でやったと想像している。
高度な転調を理論からではなく、フィーリングでやってのけたのであろうジョン・レノンの音楽センスは、初期からすでミュージックモンスターの領域に入っていたのであろう。
※ アルバム『ハード・デイズ・ナイト』フルプレイリスト
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