友人   作:石坂

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捨てられた男の子

ペアレントという単語に嫌悪感を感じるのは、恐らく僕に両親がいないからだろう。

物心の付いたときに、僕に親と呼べる大人はいなかった。僕を引き取った叔母夫婦も、明確に彼女らの子と僕を分けて接していた。

あの家の中に、僕は明らかに異物だった。

世間一般で見れば、恐らく僕は不幸なのだろう。僕の境遇を知ると、誰もが決まって気まずそうな表情を浮かべて憐れみの言葉を僕に投げかけた。

しかし、僕は彼らか思うよりは不幸ではなかったと思う。少なくとも、両親が居ないという点においてなら。

 

ある夏の朝、僕は公園で本を読んでいた。その日は叔母夫婦の子どもの誕生日で、彼らは朝早くから車で何処かへ出かけることになっていた。だから、彼らが出かけるより前に僕は出かけなければならなかったし、彼らが帰るまで家には入れなかった。そういうわけで、僕は図書館が開館するまでの時間を潰すべく、公園のベンチでサマセット・モームの人間の絆を読みふけっていた。

モーム自身も孤児だったが、彼には母親と過ごした記憶があった。父親の残した遺産も幾らかはあった。そして、引取先の叔母夫婦には子供がいなかった。しかし、彼は不幸な少年時代を過ごし、青年期になってもそれは変わらなかった。

半世紀以上も前に書かれたこの小説は、どうしようもなく僕をやるせない気持ちにさせた。

恐らく、フィリップは生まれ損なってしまったのだろう。それは彼の責任ではなかった。彼の叔母夫婦もまた、孤児の甥を歓迎したわけではなかったが、それもまた彼女たちのせいでもない。

フィリップは幸福とは言いがたい環境で育っていくが、彼の人格がそこで決定されてしまうことは、僕にはひどく不公正なものに思えた。もしも彼があの従兄のように育っていたら、彼はもっと幸福な形で医師を、あるいは何かしらを目指せていたのではないだろうか。

そこで僕は思う。親というものが居ない環境で、およそ子供はどのように世間一般並みの育ち方が出来るのだろうか。親の欠員が不幸を生んでしまうことが自明になっているのならば、どうしてそれを放置したままに社会は回ってしまうのだろうと。

こうしてみると、僕はまるきり社会の被害者のように思えたが、一方で僕は衣食住に不自由しない生活を送ることが出来ていた。愛情を受けているとは思えない家庭だったが、それを受けて育っているあの従兄のようになりたいと思えたことはなかった。

少なくとも、僕は今の生活に不足があるとは感じてはいなかった。


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