大学入試国語、問題文の著者本人が自ら解いて気づいた「読解力」の本質

コツも教えちゃいます
堀井 憲一郎 プロフィール

もともと現代文問題が得意で、その解答するためのスイッチが入ったとたん、私の頭は「この問題を作成した人の意識」にロックオンするばかりである。この文章を書いた人(私です)のことなど考えもしない。自分の身体の奥まで刻まれた“現代文を解くマシーンぶり”にも驚くが(40年近く使ってなかったが、スイッチを入れたら突然、作動した)、でもそういうことである。

著者の考えは「遠い風景」である。遠いところに置いてある「ばかでかい絵」を描いた人と考えてもいい。

遠くに絵があって、それより近い場所に出題者がいて、その風景を(ばかでかい絵画を)勝手に切り取って、その一部分だけを見せる。出題者は意図をもって切り取り、一部分しか見せてくれない。

そして「何が見えますか」と聞いてくるのだ。

これが読解問題である。

〔PHOTO〕iStock
 

もともとの遠い風景(ばかでかい絵画)を描いた人のことも意識しないわけではないが、大事なのはその中間に立って「風景(絵)を切り取ってる人」であり、その切り取りの意図である。そっちをまず強く意識しないといけない。

そして、それを意識できるようになって以降、私は現代文(読解問題)で間違えたことはほぼなかった。自分でいうのも何だけど、極意を会得した剣豪みたいに解けた。まあほんとに剣豪時代くらい昔の話ですけど。

受験生のときは、そういう言語化はせず、水に入ったらすっと泳ぎ出すように、自転車にまたがるとすぐ漕げるように、問題文を見たらやることが自然にわかって、頭がそう動いていた。頭脳を使ってるとはいえ、身体的な能力である。だから40年経っても作動する。受験生の態度に戻ったら「身体が勝手に動いた」のだ。この場合の身体は脳ですけど、でも筋肉みたいなものだなあ、と感じる。