大学入試国語、問題文の著者本人が自ら解いて気づいた「読解力」の本質

コツも教えちゃいます
堀井 憲一郎 プロフィール

解答者の私は、著者の考えを類推すればいいのか。著者本人だから、そのぶん有利なのか。

ちがう。

まったくちがいますね。

世間の誤解はそこにある。久しぶりに本気で入試問題を解いてみてわかった。というかおもいだした。

設問者が聞いているのは、著者の私の本当の考えなどではない。

いまここに出されている問題文から何を読み取れるか、それを問うているのである。

著者であろうと、自分の勝手な考えを書いても(選んでも)正解にはならない。

文章を書いた本人であろうと、問題を解くなら、いまいちど問題文を精読するしかない。

 

著者なんてどうでもいい

それで気がついた。

受験生のときから、現代文は得意だった。

もともと好きだったが、途中からものすごく得意になり、選択肢問題ではほぼ間違えることがなかった。その感覚をおもいだし、その理由もいまわかった。

私が対峙しているのは、出題者である。

この「問題を作った人」が何を考えているのか、ただただ、それだけを考えて読めばいいのだ。極端な話、著者なんかどうでもいい(いいわけじゃないんだけど、でもまあ極論すればそうなる)。

だから著者本人が、自分の文章を引用された問題を解こうとしても、そのシステムをおもいださないかぎり、正解できないことがあるのだ。しかたがない。

自分の文章の問題文を読んでるからこそ、すごくわかった。