美智子さま「生娘」ではなかった過去 皇太子を「子供扱い」した“奔放”さ



上皇陛下と美智子さまは世紀の恋愛結婚だ。軽井沢のテニスコートで出会い、その後、上皇陛下の熱烈なアプローチで結婚が成就した。女性が男性皇族と結婚する場合には、その女性は「新しい皇族になる」ため、厳しい審査がある。そこで問題視された「美智子さまの問題点」とは?

皇族が結婚するのは難しい

上皇陛下と美智子さまがご結婚された時、私はまだ宮内庁に務めていなかった。ゆえに以下の記述は伝聞に基づく「事実」であることをご了承ねがいたい。

男性皇族が結婚することは難しい。宮家ならまだしも、皇太子など高位の皇位継承者ともなれば、結婚どころ、恋愛することすら困難だ。

先の大戦で無条件降伏し、戦後体制下になるや、戦中・戦前の頃のような「天皇の権威、皇室への絶対的畏怖」というようなものは薄らいだ。そのためか昭和20年代初頭ごろ現・上皇陛下(当時・皇太子)の、お相手を探そうと、宮内庁が相手の家に打診をしてもほぼ100%断られるようになったという。戦中・戦前とは異なり、敗戦の将に嫁ぐことは必ずしも名誉ではなくなってしまったのだ。

ゆえに、上皇陛下が美智子さまと「恋愛結婚」できたことは、まことにめでたき慶事と言わざるを得ない。

美智子さまの問題点は何か?

良く知られていることであるが、美智子さまが皇室に入られることに反対する女性皇族は非常に多かった。それまで皇太子妃・皇后となる女性は、華族や皇室関係者の方であることが「常識」だったからだ。

宮内庁もまた、違う角度から、美智子さまにいくつかの懸念をしていたようだ。特に次の二つが問題になったという。

  1. クリスチャンであることについて
  2. 性生活の奔放さについて

このうち❶について、すなわち美智子さまの宗教の問題についてはご存じの方も多いだろう。皇室は神道の中枢でありその存在そのものが宗教的なものだ。ゆえに他宗教との親和性が度々問題となる。

じつは昭和も平成の時にも、皇太子妃の候補者を探す際に、お相手の宗教については「神道・仏教が望ましい」という条件があった。ここにキリスト教が含まれていない理由は、「天皇とキリストのどちらが偉いのか?」といった教学的な問題が背景に横たわっているからだ。現代人でそのような教学的問題に関心を持つ人は少ないだろうが、皇室は日本の伝統を継承している存在でもあるため、気になる人にはとても気になるのだ。

だが美智子さまはクリスチャンだった。昭和天皇もこれに「違和感」をお持ちになり、宮内庁を通じて懸念を伝えた。しかし皇太子殿下(現、上皇陛下)は、美智子さまにゾッコンであり、極めて結婚の意思は固かった。結局、押し切られる形でお二人の結婚は認められたが、その宗教については「自分の意思で未だ洗礼を受けていないから問題ない」という妥協点を見出した。

美智子さまの“奔放”さ

つづいて❷の問題、つまり美智子さまの性の乱れについて述べよう。結論から言えば、結婚する前から他の男性と経験があり、生娘ではなかったことが問題となった。馬鹿らしいと思う人も多いだろうが、皇太子妃の条件には「処女が望ましい」というものがあった。結婚後に元カレがでてきてリベンジポルノでもされたら大変だというわけだ。

なぜ、美智子さまの「非生娘」が問題になったのであろうか?

それは美智子さまが候補者になった時、宮内庁が作家・三島由紀夫に連絡を取ったことに端を発する。というのも美智子さまは三島由紀夫と「お見合い」し、ご縁がなかったという結果になっていたからだ。聞くところによれば三島由紀夫側からから「お断り」をしていたらしい。その理由を宮内庁は知りたがっていた。

三島由紀夫からの返答は凄まじかった。なんと「お見合いのあと、正田家の娘さまから、“試し乗り”のお誘いを受けまして…。さすがに難しいということでお断りしました」というのだ。美智子さまにとって“お見合い”は、今でいう“出会い系”と同じようなものだったのかもしれない。

思えば美智子さまはいつも上皇陛下を「子供扱い」していた。美智子さまが上、上皇陛下が下という皇室には似つかわしくないいびつな関係であった。これは皇太子妃時代から変わらなかったという。

このような上下関係が生じた原因は、結婚後初夜の上下関係にあったのかもしれない。

皆うすうす感づいていたであろう事実を再確認した。




77 件のコメント

  • 唖然…

    前天皇も、女性に手が早いと言われていたけど(ToT)
    ある意味、お似合いだったわけで…

    よく、昭和様が(押し切られたとはいえ)お許しになりましたね?

    アーヤは、父にも、母にも似ている(下半身方面が)というわけだ。
    キーコを連れてきても、ぜんぜんOKだったのが、よくわかりました。

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    • 紀子さんは、ダ○○2回の末、父親が皇居に乗り込んでド○○ツして結婚が決まった、と、結婚した直後ごろ学習院の人から聞いたけど。
      いくら息子の不始末とはいえ、そんな品のないお嬢さんを、よく猫かわいがりできるなあと思っていたけど、同じ穴のムジナだったんですね。
      道理で雅子様を虐めたわけだ。

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  • あの車から身を乗り出した写真が脳裏をよぎる。
    コーゴーだったと思うからビックリなのであって、元ヤンだと思えばオカシクない。

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    • 私も、あの写真を見たとき「これ、どこのヤンキー女」って驚きました。目付きも鋭く地が出ているように思います。

      さすが!三流女優です。

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    • これが本当ならば鑑定しないと、完全に皇統が途絶えますよ。
      坊っちゃんは上皇の種で出来た子という噂ありますけど。

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    • 私もそう思います。

      ミテコの下半身事情は婚姻前から色々とあった〜とは想像してたが!

      以前から天皇陛下とアーヤは殆ど似てないと思っていた。
      双方の子ども達を見てて疑問が確信になりつつあった。
      この記事で決定的になった気がする!

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      • でも、卓越したメイクテクニックを手に入れる前の佳子さまは、
        色黒でハの字眉と、昭和天皇によく似ておられた。
        顎のないところは昭和天皇の弟宮譲り。
        典子女王が貞明皇后に似ておられるのと同じ隔世遺伝。
        まさか、礼宮も上皇さまの子だと思いたいわ。

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  • 三島由紀夫は、正田美智子と見合いするにあたり、
    小料理屋の二階で見合いした。

    東京なのだら、田舎の小料理屋とは違い、歴史ある小料理屋だったのだろう。

    しかし、正式な見合いなら、帝国ホテルでするはずだ。
    もちろん仲人になる人が同席するはずだ。

    三島由紀夫はペンネームであり、実際には平岡家という名家の御曹司である。

    名家に持ち込まれる見合いなら、一流ホテルで、付添人がいるはずだ。

    しかし、正田美智子と三島由紀夫との見合いは、そうではなかった。

    昭和30年初頭なら、見合いとは結婚を意味している。

    しかし、正田美智子は何十回も見合いをしているのに、全て結婚には至らなかった。

    正田美智子が、本物の旧家にして名家の令嬢であるなら、何十回もの見合いで結婚できないのは、かなりの異常事態である。

    つまり正田美智子は、実は、さほどの娘ではなかったと言えよう。

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    • 女帝さまが何十回とお見合いして断られた理由に女帝さまの性格が原因だと言われてましたが、まさか、性のことまでだなんて思いませんでした。

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      • そのような方がどうして
        将来天皇になられる方の御前に出ることができたのでしょう?
        よりによって、という感じがします。
        テニスコートで出会うようにお膳立てした人は誰?

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  • つい半年前までの ”美智子様像” が、ガラガラと‥
    私のイメージではサリーちゃんのママ(古すぎる)でした。雲の上でハープ奏でている。
    恐るべし小内砲w
    まだ本性をしらない情弱な方々にも、もっと打ち込んでいただきたい。
    何がマリア様のようだ。だ!!

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    • マリア様が処女受胎と言われているのは、まだ正式な結婚をしていないのに子供を産んでしまったが、その子供にカリスマ性があって崇められて、「キリスト様の母上が“未婚の母”では外聞が悪い。それなら処女受胎という奇跡を起こしたことにしましょう」と事実をねじ曲げられただけと聞きました。マリア様も清らかではなく、むしろ奔放だったのかもしれません。

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  • お見合いして何度も断られたのは、美智子妃は気が強いからだと書かれた記事を読んだ事あったけど、成る程ね。
    初夜の関係が今に続いてるのか。
    それにしてもあの三島由紀夫氏に試し乗りのお誘いとは。
    あの時代でそんな事をしたら、アバズレもいいとこだわ

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  • ビックリして
    ひっくり返った!!!!!!!!!!  バタ~ン

    三島氏よくぞ申してくださった。

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    • 私も若い頃、お見合いしたよ。
      ホテルのロビーで待ち合わせて、介添人は
      「あとは若い人達に任せて、私達は」
      と帰ってった。
      映画観て、食事して、帰宅。
      お見合いの席上で、それ以上のことを、
      しかも女性側から試乗体験のお誘いなんて、
      ダメだ、50代のおばちゃん、ひっくり返りそう。
      学習院出身の三島由紀夫さん、驚いたでしょうね。

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  • 唖然

    これ、本当だとしたら、女帝さまは宮妃以上の遊び人ですよ。
    戦後生まれで戦争というのは映像でしか知らない私だけど、性に奔放じゃない。というか、そんなこと考えられない。好きな人としか出来ない。それが当たり前だと思っていたんだけど。

    宮妃だけではなく、女帝さまも性に奔放ねぇ。それじゃあ、噂されてる秋篠宮殿下は本当に皇室の血を継いでるの?皇室特有のお顔ではなく、女帝さま、正田家特有のお顔だと言われてるんですが?

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  • 「試し乗り」に笑ってしまった。
    昔から足入れ婚や妻問い婚などあったけど、試し乗りってことはそっちだけでしょ?一緒に暮らして生活できるかのお試しではなく。

    美智子さまは数十人とお見合いしたとか。そのうち何人の方と試し乗りなさったのかしら?

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  • 驚きました。(@ ̄□ ̄@;)!!
    現在では然も有りなんかもですが、あの時代に旧態依然の宮内庁が、昭和天皇が押し切られたとは謂え、将来の皇后位になる女性の重要な部分が欠如していたにも拘わらず、よくぞ御許しが出ましたね。
    反対にあの時代だからこそ可能だったのでしょうか❔
    其れにしても、美智子さんと紀子さんって何から何まで同類だったんですね。そらぁ~上手く手を組めますよ。
    何時までも子供扱いの明仁皇太子は、生前退位した後も妻に押さえられて。

    いやはや、ビックリ‼ですわ。

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  • この記事は、さすがにちょっと、にわかには頷けないですねえ。今だったらともかく、時代が全然違いますから。「”試し乗りの誘い”=既に非処女」とは限りませんし。単に女性はこの縁を繋ぎとめるのに必死だった、というだけかも知れないでしょう?
    小内さんのblogですから、お好きに書かれるのはもちろん当然です。ただ、信憑性に疑問符の付く伝聞よりは、小内さんご自身のご経験やその目その耳で得た実際の方を、拝見したいなあと思います。

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    • そうですか?
      今ならともかく、まだミニスカートすらない時代。戦後数年で和服の人も多かった頃に、あのテニスウェアをどうどうと着れるのは、嫁入り前の普通のお嬢さんの感覚では無いと思います。
      それと正田家は家の中で靴をはいていた生活だったそうです。
      写真はネットで見れますが、履物の部分をトリミングしてたり、意図的に「日本的でない部分」を隠している。
      ミテコが「慈愛の聖母」のイメージづくりに莫大な金とエネルギーを注いだ理由は、中身がこんな程度だからでしょうね

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    • 昭和20年代に起きた津山30人殺しの背景から見られるように
      昔の日本の農村は夜這いという風習があったので、意外にも性に対しては大らかだったのかもしれません。
      但し、上流社会においては話が別だと思います。
      本当に良家のお嬢様だったのでしょうか?

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    • 美智子さまはお見合いを何度もなさっていたので
      試し乗り?の誘いを自らされたのなら推して知るべしなのでは…
      びっくりですけど

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  • 家柄だけは良いボンクラ息子に、下心たっぷり体はって近づき、地位も名誉も税金ビュッフェも手に入れた女狐。それが二代に渡り継承され、さらにパープリンチビ女帝が男狐にまたやらかされた…ってこと?

    60年前の日本で20代の娘がヤりまくってたなんて、とうていその時代なら、商売女の位置付けですよね。
    そりゃ天皇家も宮家も反対するし、嫌うし、一般ピープルも嫌悪感しか感じないよ。現在も。
    ゲェーもう言葉もない…。
    あんな下劣な川嶋一般と喜んで戯れていたり
    虐め、マウンティング、数々の愚行
    今までの行動すべてにガテンしました。
    早く●●●●。

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    • 昭和20年代の日本って、アメリカの兵隊相手のパンパンとか言う商売女がいて、
      そのパンパンでさえ、NHKのインタビューで、
      「父親は戦死、母親は病気、私が弟妹を養ってゆくにはこれしかないんだ」
      って、泣きながら答えていたって言うじゃない。
      いやあ、参ったわ。
      三島先生、平成の世の中を見たくなかったのかもね。
      1970年、割腹自殺。

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  • 皿は成婚後の伊勢参拝の時、ペチコート入りスカートだったそうです。

    モンタントのストンとしたスカートを身につけるのは、スカートの下には何もない(即ちオトコがいない)という純潔の意味、と聞いたことがあります。うろ覚えですが。

    そんなふしだらな出で立ちで鳥居をくぐったので神様の怒りにふれ、平成は自然災害や凶悪犯罪の多いロクでもない時代になったような気すらしてたものです。
    令和になっても災害などが続いているのは、平成の害悪が皇居に居座っているからと、本気で思ってしまいます。

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  • 小内様

    Upありがとうございます。

    いや、ビックリです。

    タイトルだけ見た時は嫌な気持ちになりましたが、中を拝見して絶句。

    昭和ヒトケタの結婚で、いや、コメントできません

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  • わぉ~………(絶句)

    こんなこと書いて大丈夫ですか?
    みんな薄々は思っていたけど、改めて確かな筋の方から文章にされると…思った以上に衝撃!

    でもまぁ…真実なんでしょうね。
    昭和天皇が反対していたのが府に落ちました。
    上皇の情けなさ、人を見る目のなさが浮き彫りになり、上皇妃のふしだらさに確信を持ち、今はただひたすら、気持ち悪い。

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  • 読後感,秋篠宮にそっくり❗️

    伝聞を信じるとして,三島由紀夫が皇室にそのような嘘を答える訳がない。はあ〜,唖然❗️
    当方昭和の後半に大学生活を送っていて,結婚前のは交渉については,友達間ではみんなさほど囚われていたようには見えなかった。が,親は昭和一桁生まれなので厳しかったのを覚えている。昭和30 年代の見合い結婚ではありえない。
    ひたすら驚きです‼️

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  • 小山砲は文春砲どころではありませんね! 
    これまでも、ネットに断片的に想像記事が散見されましたが、根拠の乏しかったこれらの想像がひとつひとつ現実のものとして確証されていく様子は痛快ですね。

    >結婚後初夜の上下関係にあったのかもしれない>

    いきなり騎乗位だったのかしら。

    明仁さんとは、婚前交渉はなかったのかしら。

    >皇太子妃・皇后となる女性は、華族や皇室関係者から排出されることが「常識」だったから>

    輩出でしょうか。
    どっちみち、スケバンのワテクシは正田家から排出されたんでしょうね。

    これからも小山砲を楽しみにしています。

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  • 結婚前に性技で虜にされて、周囲の反対を押し切って結婚した明仁さん。

    結婚前に性技で虜にされて、周囲の反対を押し切って結婚した文仁さん。

    結婚前に性技で虜にされて、周囲の反対を押し切って結婚したい眞子さん。← now

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    • 雅子様、お辛い時に声を上げて守って差し上げられなくて御免なさい。 より:

      歴史は繰り返す。
      血は争えない。

      この方達が象徴でしたのに、日本は子沢山にはなってないですねぇ。
      あ、税金で子育てが出来れば増える象徴かしら?まさに。ポン!納得。

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      1
  • とうとう皿ばぁーさんの本性が、、、
    そう言う事であれば、全て納得です。
    “あばずれ” が皇族になり権力を手にした訳ですね。
    だから、宮内庁も太刀打ち出来ない訳ですか、、
    なるほど。     

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  • 幼児洗礼は受けてたんですね。

    ここも気になりました。

    「ごせーけつ」なところに惹かれたんでしたっけ。
    橋本さんって上皇のお友達が、TVで爆笑しましたよね。
    (上皇)は好奇心旺盛だったとおっしゃってましたよね。

    ビックリしたから覚えてます。

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  • 12:21投稿者です。

    先程は電車の中で投稿したので途中になってしまった学校,この記事を紀子妃が呼んだら,さぞかしお喜びになるでしょう、安心するのでは(苦笑)

    昔,皇后様の過去の男性関係についての書き込みも目にしたし,もしかしたらそれなりに何かあったかもしれない。けれど,婚約記者会見の皇后様は,明らかに恥じらって,照れていらした。きっと常に新しい気持ちで相手に望まれる方々なのでしょう。
    美しい方だと思います。

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  • 昭和から平成時代は、マスコミと宮内庁を牛耳り、印象操作に依って、ピアノやハープ等の演奏姿で、しおらしくネチャッとした喋り方で、国民を見事に騙していたと謂う事なんですね。
    昨今のヨーロッパの王室では、妃殿下方の過去のスキャンダルが賑わった事は有りますが、日本の超旧い皇室でしかも60年超えの時代で存在してたなんて、そらぁ~反対されますわよね。

    子供の様な時の皇太子を手玉に取るのは、さぞ面白く気持良かったのでしょうね。
    親子三代に渡って、繰り返されているのも、実に納得出来ますよね。

    ビックリビックリ‼

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  • こんにちは。いつもブログを拝見しています。いやはや驚きました…。
    ちなみに聖書には「姦淫してはならない」と言う言葉が記されていて
    真に熱心なクリスチャンならば結婚まで純潔(古い言い方ですが^^;)を守ります。

    その点美智子様は……。笑

    ここまで書かれた小内様の身辺も心配になります。

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    • なんちゃってクリスチャン
      なんじゃないでしょうか?

      戦前生まれにしたら、キリストは西洋のオシャレな象徴。
      西洋カブレのひとつかも?

      ベールを被り、十字架を握りしめ、跪き祈りを捧げるアテクシ!
      あ〜なんていい構図!
      これぞ慈愛、聖母マリアだわ、アテクシ!
      ナルシストのネズミテコは、地下室の祭壇前で自己満足に浸ってたんじゃないでしょうか?

      贅沢やイジメ、鬼子の複数回の◯胎も気にせず許可、道徳も倫理もない性別選択も気にしない
      こんなのキリスト教徒とは思えません!

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  • あーびっくりした
    半世紀生きてきて試し乗りっていう言葉がそういう意味とは思わなんだ
    お付き合いされていた方とというならまだしも
    お見合いの後、女性から”試し乗り”を申し出るって
    怖いです

    違う世界の話みたい
    日本の話とは思えない

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  • タイトルを見た時は、ちょっと大袈裟な煽り?みたいに思って読み始めてビックリです。
    70代に入ろうかという自分ですが、その頃でも貞操については厳しいでしたし、そんなこと考えもできませんでした。親と同居だった上、避妊薬も無い時代に、何かあったら恥ずかし過ぎます。

    本当ですか? 三島由紀夫の盛り話ではなく? まあ、お若い頃の写真とか、結婚なさって20年位も経った頃の白ドレスで肘つき写真の品の無さには驚きましたが、そういうお育ちなら納得です。

    しかし正田家も非常識ですね。お嬢様がそんか跳ね返りなのに、皇室入りさせるだなんて。妹の恵美子さんは、そこまでには見えませんでしたが。 冨美さんは演技派でしたから、皇室入りの後押しをしたんですかね。

    明仁上皇はだから、あんなにエロい目で美智子様に見惚れていたんですね。試し乗りをしてしまわれていたんでしょうかね。もしくは佳代さんみたいにお預けだったのでしょうかね。

    紀子様、眞子様に引き継がれていますね。佳子様もかな? ダンスの姿態の情報からして。

    あ〜、驚いた!

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  • 正田美智子の写真アラカルト。

    高校卒業時の和服写真。それはそれは気の強そうな顔をしている。

    車から顔を出しているその表情は、おっとりした優雅な令嬢には見えないほど、勝気に見える。

    社交ダンスというより、チークダンスに見える写真がある。

    週刊誌に書かれた事。

    美智子妃は、男性記者が咥えたタバコに自ら火を付けた。男性記者は「バーのマダムじゃあるまいし。」と記事に書いた。

    某国の大統領夫人に「アタクシと美智子さんは同じよ。」と言った。その女性は、大統領夫人になる前は、、、。

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      • 確かDV夫人は美智子様に「大統領の第三夫人なんですね」と言われて、カチンと来た夫人は「あなたのお母様は上海夫人だったんですよね」と言い返したと読んだことがあります。

        もしかして上海夫人には別の意味もあったんでしょうか。
        正田の御親族は落ちぶれて娼婦みたいなことになった元皇族と結婚したという話も読んだけれど、こういう流れがあったのでしょうか。

        それにしても、正田美智子を紹介した小泉信三は、戦死した息子にあの世で会った時に「仇をうってやったぞ」と言ったのではないかという気さえするわ。

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  • 香淳皇后、上皇、天皇陛下、敬宮愛子さまは顔が似てるけれど、あの方だけは?というのは禁句なんでしゅうか?

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  • 現代でも 一般人でも 見合いしたばかりの人に、それはあり得ません。衣装代や住居に関してだけでも、一般常識からはずれてる。

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  • おぉ~!これは…
    入○侍○を『お・も・て・な・し~』されて○が産まれた…
    それを、容易に推察できるように提供された物でしょうかね?

    それを昭和天皇は知っていたから「秋篠宮に皇統を移してはならない」と仰ったんですね!

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    1
    • 昭和天皇さま、徳仁天皇陛下を美智子さんから離してくださってありがとうございました。
      ご教育係を選んでくださってありがとうございました。

      小内さま、いつも読ませていただいております。
      上皇が美智子さんを叱責できない理由が分かったような気がします。
      雅子さまにお仕えする女官のことも、いずれ教えていただけないでしょうか。
      来月の眞子さん問題によっては 立後嗣のことも変わっていくかもしれませんね。

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      • 立後嗣→→→立皇嗣 でしたね。誤字失礼いたしました。

  • 驚いた。あの時代にミテコが非処女だっなんて。
    三島由紀夫は返品のきく「お試し期間」も試さずミテコを返品したんだ。
    さすが昭和の文豪です。
    秋篠宮はミテコにそっくりかと。

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  • 私は床上手よ♡とアピールしたかったのに失敗したんですね。
    その自信はどこから?
    他のご子息は断る良識があったのに、よりによって明仁さんが釣られてしまうとは…残念。
    紀子さんも最初は天皇陛下狙いだったとか?
    見事に打ち払った天皇陛下はさすがです!

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  • この記事を拝見したら秋篠宮様の父親に関する噂が脳裏を過りました。
    小室が暴露すれば眞子さまのことに留まらず皇室全体の問題になる。と週刊誌のタイトルがありましたが小室が握っている秋篠宮家の秘密ってもしかして、、

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  • ※なぜか1度目は受付てもらえなかたので再送です

    15歳の頃から良家の男性をひっかける(言い方悪いですが)為に、ダンスホールなどに出入りしていた女性ですから、当然男性経験はあると思っていました。
    「試し乗り」とはまた下品で露骨ですが、関係が出来てしまえば自分の意のままにする自信があったのでしょう。誰のお仕込みなのか…昭和一桁には考えられない行動です。

    当時、旧皇族や家族のご令嬢との縁談がなかなか纏まらず、性的な欲求不満だった皇太子は渡りに船の獲物だったに違いありません。お誘いに乗ってホイホイと試乗してしまった後は、手練手管で言いなりにし、「皇太子をやめる」と親にたてつくまでに骨抜きにしてしまった。(数十年後は自分がその立場になりましたが)
    その時にすっぱりと皇室を離脱させて、義宮正仁親王を日嗣の皇子にされていた
    ら、今のような醜聞だらけの皇室にはなっていなかったでしょう。
    しかし、義宮さまは幼少期に小児麻痺を患われ、継承者を望めないこともあり、明仁親王と正田美智子の婚姻は、昭和天皇にとっては大変苦しまれたご決断だったと思います。
    因果は巡る…下半身で思いを遂げてきた人たちの野望は、正田美智子から川島紀子、そして小室圭へと引き継がれているわけです。

    ともあれ、小内さま身辺には細心のご注意を!

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  • あの年齢の方としては随分と奔放な女性だったのですね。
    驚きました。
    まあ、アキシンジャーの方々が、紀子さんは処女でお輿入れという説を主張しているのにも驚きますけど。

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  • まあ、あの美智子さんだからなー、
    とは思いますけど、
    それより何より、小内様のことが心配です。
    身バレしないよう十分ご注意されてるとは思いますが、
    どうぞご油断なく、お気をつけください。

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  • いや〜美智子さまと紀子さま、小室圭ってみんな同類だったんですね。
    仲良しのはずです!!!

    63
  • 見合い相手に試し乗りのお誘い。
    決してスタイルはよろしくなかった当時の美智子さま。そっちには相当の自信があったんだろうな。
    いつかどこか(ここだったかな?)で見た、採寸に訪れた仕立て屋で、明仁さんの一声で事が始まった話を思い出しました。
    我慢出来ないほどの腕前をお持ちなんですね、きっと。

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  • 本題ではありませんが、このときのお妃選びで、
    カトリックであることは、むしろ政治情勢上、
    必須だったと私は思ってます。
    昭和天皇は積極的にこうしたクリスチャン人脈を使って、
    戦後、ローマ教皇にまで内密に連絡をとってますからね。
    高松宮も今のICUの設立に異常なほど熱心に協力しています。

    日本の皇室は当時、驚くほど「ドライ」ですよ。
    存続の危機でしたからね。手段を選ぶ余裕もなかったんでしょう。
    いくつかの論文等にも、占領軍の力に対抗するため、
    別の外国勢力を味方に付ける必要があった
    と書かれてますね。
    傍証はたくさんあります。ちょっとびっくりしますよ。
    外国の文書からも出てきてますね。
    もちろん、日本が独立して経済力を回復するまでの「手段」としてです。
    まだ高度成長前で日本は貧しかった。
    美智子さんも、多少、そういう点での利用価値があったのかな、
    と思ってました。
    カトリックの政治力はもの凄いんですよ。
    先日のローマ教皇来日をみてもわかるように。

    このへん、ブログ主さまがしつこく昭和天皇はキリスト教を嫌ったと書くのは、むしろ、やはりそのとおりなんだな、と受け取っています。
    そんなに困ることですかね?あの時代特有の要請だったと思いますが。
    今や専門家のあいだでは、ほぼ定説となってますからね。
    麻生家も熱心な信者ですよ。吉田茂首相も麻生総理もね。

    それにしても、美智子さん、こんなあばずれでは、信教以前の問題ですね。
    三島は、自分が縁談でソデにしたようなレベルの娘が皇太子妃になったことで皇室に絶望し、それが後年、ああいう結果になったと読んだ覚えがありますが、どうなんでしょうか。
    (ちゃんと掲載してね)

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  • 何度もコメント失礼します。
    美智子さんはほぼ母親世代ですが、戦後昭和30年代初め頃と謂えば、未だ未婚の女性は貞節を最重要されていたと聞いています。ましてや深窓の令嬢と唱われていたのでは有りませんか❔
    性犯罪等で望まずして、大切な物を失ったわけでは無くて、自身の快楽によってですよね。
    御実家の方々は、美智子さんの奔放さを御存知だったのでしょうか❔
    明仁さんも別に貞節に拘り無かったのですね❔
    開けているのか、それほど迄に虜になってられたのか❔
    何か、成り上がりだったんですね。
    60年に渡る虚像の美智子さんが、脳裏を横切るわ。
    美智子さんの過去も含めての実像を知ったら、どなたかは喜ばれるでしょうか❔あらっ、同じですのねと。

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  • えええええー。
    もう、出るわでるわ、、、世も末ですな。
    現代でも試しなんちゃらを、初対面で自ら申し出るおなごは、案外少ないかと思われます…。
    恐ろしい…。

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  • 小内さま、年明けから飛ばされてますが、大丈夫でしょうか?
    女帝さまと言えば、記者の煙草に火をつけた話をどこかで読みましたが、それ以上ですね!
    良家のご令嬢のやる事では無い、、、と思いましたが、納得です!

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  • 美智子さんが天皇雅子様の寝室に異常な興味を持ち、清子様をやたら泊まりに行かせたと言う話も自分の様に雅子様がなるのではないか?と疑心暗鬼になり、雅子様の耳を塞ぎたくなるような交友関係が東宮会見で問い質された。と言う背景も全てみだらな美智子さん自身に繋がると納得した。



  • 昭和天皇が次は息子を飛ばして浩之宮へとおっしゃってた真意は、上皇の資質のみに原因があったわけではなくご夫婦揃ってという意味だったのですね。
    令和の時代が平和で永く続きますように。

  • この方の昔の写真を見ると普通のその当時のお嬢様の雰囲気では無いですよね。
    母親に写真を見せた時パンパンと言っていましたし、性に奔放な事をされていたのではと想像します。
    アメリカ兵が行くバーによく行っていた事、派手な化粧品や髪型から外国の方ともかなりあそんでいたのでは?
    今までの疑惑が一つづつ真実に変わっていく様です。この方が何故皇室に入れたのでしょう、送り込まれたのではないかなとも感じます。

  • お見合いの後に、“試し乗り”を誘う目的を考えてみました。
    当時の風潮を思えば、良家のお嬢さんがこれをしてプラスになる事は何もない。
    正田家は、美智子様のお見合い相手は良家の子息しか選ばなかったでしょうし、良家の子息がお見合いの場で“試し乗り”を誘うような女性を妻に選ぶわけがないし。
    美智子様の母親の富美さんって、素人じゃないわ。娘にこうすれば良家の子息をゲットできると教えるなんて。日本人ではないとすら思います。当時の日本人女性で、娘にこう教えるなんて遊郭の筋金入りの遊女(それも性根の悪い)しか浮かびません。
    富美さんご自身がこの方法で正田正三郎氏をゲットしたからだと思います。
    当時の普通の日本人女性なら、お見合いの場で“試し乗り”なんて誘ったら、その場でアウト!なんて言わなくても当然のことですからね。
    お見合いで“試し乗り”を誘うという事は、床上手の自信があるという事。
    自分を選ばせる方法に使っているわけですからね。
    ということは、富美さんが美智子様に床のテクニックを教えていたことになります。
    当時の日本の家庭を思おうと、かなり変わった母娘・・・。
    どう考えても、試し乗りは美智子様に不利です。
    お見合いを繰り返してもなかなか良縁が纏まらず、母娘で焦って冷静でいられなくなって、なりふり構わずになってしまったとしても、試し乗りを誘う女性は良家の子息には妻として受け入れられません。
    出来婚を狙ったのかしら。
    何から何まで、あの宮家の方にそっくり・・・。
    雅子様の様な本物のお嬢様や、それ以上の久子様・華子様・歴代宮妃の方々はさぞかしお困りになられたでしょうね・・・。
    美智子様の雅子様へのイジメに、しっくりと繋がりました。
    元々、ご結婚前からこういう方だったのですね。

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