眉村ちあきはイロモノではない
「眉村ちあきの音楽は良いぞ」と自分は言い続けてきた。でも知名度は上がっているはずなのに、音楽の魅力をなかなか伝えきれなかった。身近な人に言っても。Twitterでツイートしても。
それも当然かもしれない。眉村ちあきの音楽を聴こうと思いアルバムを聴くと、1曲目から良くも悪くもぶっ飛んでいたからだ。
アルバム『ぎっしり歯茎』の1曲目は演歌調の『ハタチの女』。『めじゃめじゃもんじゃ』というアルバムの1曲目『ほめられてる!』は色々とカオス。1曲目がいつもマニアックすぎる。
それらの曲が悪い曲だとは思わない。
楽曲の展開は個性的だし、トラックも作り込まれている。眉村ちあきの歌の表現力も素晴らしい。しかしアルバムの1曲目としてはコアすぎる。スルメ的な曲なので、すぐには魅力が伝わりづらい。
「眉村ちあきの音楽は良いぞ」と伝え続けても、どうしてもイロモノとして捉えられがちだった。
でも2020年の眉村ちあきは違う。誰に聴かせても「音楽の魅力」がしっかり伝わる作品を作り出した。
『劇団オギャリズム』というアルバムだ。これを聴けば「眉村ちあきの音楽の良さ」が伝わると断言できる作品を作り出した。
序盤から引き込む展開
『劇団オギャリズム』の1曲目は『DEKI☆NAI』。音数を絞ったR&B。海外のトレンドの音楽を取り入れつつ、自らの音楽に昇華したような音作り。
過去のアルバムのように演歌でもなくカオスな曲でもない1曲目。これなら誰もドン引きしない。ミドルテンポで心地よく踊れるようなトラックでカッコいい曲だ。
バブって行くけれども
バミっても無駄なだけ
個性的な表現の歌詞もあるが、楽曲がキャッチーで作り込まれているので違和感は感じない。初めて聴いた人も受け入れやすい楽曲に思う。、
いきなりぶっ飛んでいて個性的な眉村ちあきの世界に引きづりこむのではなく、音楽の魅力を伝えつつ、少しづつ彼女の世界に引き込む1曲目だ。
そのため2曲目に『壁みてる』というカオスな歌詞の楽曲が続いても、イロモノとは感じない。少しづつ眉村ちあきの世界に引きずり込むので、違和感なく受け入れられる。
『壁みてる』らポップとファンクとジャズとEDMが取りれられている。バラバラなジャンルを組み合わせているのに、自然と混ぜ合わさり1つの楽曲になっている。
そもそも楽曲が作り込まれているので、惹き付ける力があるとも言える。
『おばあちゃんがサイドスロー』は大げさに表現すると「和製ビリー・アイリッシュ」のような曲に思った。
音数が少ないが洗練された音だけを使って作られたトラック。シンプルなリズムパターンを使いつつも、曲展開は少しづつ変わっていく不思議な曲。
『劇団オギャリズム』は今までの眉村ちあきのアルバムとは少し違う。
それは曲順だけではない。自らの個性を生かしつつ、楽曲のクオリティが上がっているように思う。変化ではあく、進化している。
眉村ちあきの本質が伝わる曲
個人的に眉村ちあきの音楽の一番の魅力は、メロディの良さと歌に込められたメッセージに思う。
『劇団オギャリズム』では作り込まれたトラックやエフェクトの掛かった歌声も印象的だが、シンプルでまっすぐな歌の良さが伝わる曲も収録されている。そこに眉村ちあきの本質があるように感じる。
『私についてこいよ』はアコースティックギターを使った弾き語りの曲。丁寧なギターのストロークと優しい歌声が心地よい。
男の気持ち想像して歌ってんじゃなくて
私の性格がこうなのさ
君を幸せにしないとさ気が済まないんだごめんって
キャッチーで自然と覚えてしまうメロディに、自身の真っ直ぐ気持ちを歌詞にした歌を乗せる。弾き語りだからこそ、メッセージがより真っ直ぐ届く。
メロディの良さを感じる曲は他にもある。『チャーリー』や『あたかもガガ』もキャッチーなメロディが印象的。
そんなメロディを力強く歌う。だから歌詞も真っ直ぐ伝わってくる。
1番と2番で性格の違う学生のこと歌って
実はお互いが羨ましかったって大人になってわかり合うストーリーにしようとして
書き終えた歌詞ごとを全部変えたくなったからやめた
だって変えたいから
『チャーリー』では自身の曲作りに関することを歌っている。自身を作品上で全てさらけ出しているようにすら思える。作品を作る過程を歌詞として表現するアーティストを、自分は眉村ちあき以外では思い浮かばない。
こんな歌詞は眉村ちあき本人にしか歌えないし、本人が歌うからこそ価値がある。
眉村ちあきは普遍性を持っているけども
眉村ちあきの才能は、一部の人にしか伝わらないサブカル的なものではないと思う。老若男女に伝わるような、普遍性のある才能だと思う。
『劇団オギャリズム』の中では特に『顔面ファラウェイ』は多くの人に響く曲だと思う。
疾走感ある楽曲とキャッチーなメロディ。歌詞も印象的。多くの人に響く曲だと思う。
眉村ちあきも『顔面ファラウェイ』は広く刺さりそうな曲に思っているようだ。
—そういう意味での1曲目だったら“顔面ファラウェイ”とかはどうなんですか? 広く刺さりそうな曲だと思うんです。
「“顔面ファラウェイ”は誰でも歌えると思うんですよ。カラオケで歌いやすいけど、私じゃなくてもいいやつ。でも、“DEKI☆NAI”は私が歌ったら意味あるやつなので。」
(引用:眉村ちあき『劇団オギャリズム』 もっと遠くまで届く音をめざしたニュー・アルバムを語りまくる! | Mikiki)
しかしファンとしては眉村ちあきの発言には一部疑問を感じる。「私じゃなくてもいいやつ」と言っている部分だ。
そんなことはない。『顔面ファラウェイ』も「眉村ちあきが歌うべき曲」だ。眉村ちあきが歌うからこそ胸に刺さる曲だ。、
まず1000万回再生の曲を作るんなら視野を広げなきゃ
ライブに来てくれる人以外にも届くように
今日は忘れてしまいたいんだ
君を思い出すたびにぐしゃぐしゃに丸めて大好き箱に捨てる
『顔面ファラウェイ』でも眉村ちあきが歌うべき歌詞が含まれている。こんな「ファンへの少しひねくれたラブレター」みたいな歌詞は、眉村ちあきが歌うべきだ。
眉村ちあきは自身の個人的になことを歌う。同じ立場でないと共感できないようなことを歌う。ほとんどの曲がそうだ。
だから眉村ちあきが歌うべきだ。誰もがカラオケで歌いやすいような曲は、良い意味で眉村ちあきの音楽には存在しない。
共感しないのに眉村ちあきの歌に感動する理由
歌のメロディは普遍的でキャッチーだとは思う。しかし歌詞は普遍的ではない。
誰もが共感する内容のラブソングも、わかりやすい応援ソングも歌っていない。所謂JPOPのヒット曲とは少し違う歌詞だ。
眉村ちあきは「こんなことを歌うの?」「そんなことを晒すの?」と思うぐらい自身のことを歌にする。多くの人に届けることを目的の1つにした最新作でも、それは変わらない。
眉村ちあきの歌を聴いても自分は共感はしない。その代わり眉村ちあきを応援したくなる。これほどにさらけ出すならば、こちらも心を解放して受け止めたいと思う。
だから聴いていると、感動してしまう。
眉村ちあきのさらけ出したようなメッセージを受け止めることで、自然と笑顔になれる。たまに、泣けてくる。自然とこちらも感情をさらけ出してしまう。
自分は眉村ちあきは日本の音楽シーンで、ヒット曲を出す素質も才能もあると思う。それも今までのヒットチャートにいるアーティストとは違う方法で。
誰もが共感する音楽を歌うわけでもなく、誰もが感情移入するような音楽をやるわけではなく、自分のことを歌うことで多くの人の心を動かせる「弾き語りトラックメイカーアイドル」だと思う。
今回のアルバムはたくさんの人に広がるように作りました。売れなければできないことや、売れなければ見れない景色があるから。
『劇団オギャリズム』のリリースイベントのMCで、このように話していた。
眉村ちあきに売れなければ見れない景色を見せてあげたいと思った。自分もその景色を見たいと思った。
多くの人に『劇団オギャリズム』を聴いて欲しい。今まで「眉村ちあきの音楽」を知らなかったり、興味を持っていなかった人にも届く作品だと思うから。聴いたら「売れなければ見れない景色」を一緒に見たいと思うはずだから。
だから眉村ちあきの『劇団オギャリズム』は心の底から売れて欲しいと思う。
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