悩まない嫌われ者は死ねば良い

前記事:クソ息子に褒めても意味はない

 

悩まない嫌われ者は死ねば良い

また、もう少しこの息子さんの言葉に言及させてもらうとすれば「悩みなんて悩まなければ良い」という考えは甘すぎるのではないだろうか?

もしこの言葉通りだとしたら、自身は「悩みなんて知りませ〜ん。」などと言っているようなものである。そのような方を、誰が好きになるとでも言うのだろうか?せいぜいこの方と同じような「悩みたくない人」くらいである。

しかし「悩みたくない人」と言っても、結局はその方も「悩みたくない」ことに対して悩んでおられるので悩まない人とは相性が悪そうである。結局「悩まない人」「悩みを知らない人」と言うのは最後「孤立」してしまう運命にあるようだ。

この孤立してしまうまでの間、その方というのは「笑顔」「笑い」「楽観」という名の「借金」をすることによって生き長らえることとなる。借金というものは恐ろしいもので、借金をしている期間が長ければ長いほどそれに伴う利子が泡のように膨れ上がってしまう。リボ払いでは無いが...。

「笑顔で過ごす」「ポジティブな言葉だけを取り込む」「嫌いな人とは付き合わない」「笑う角には福来たる」などとバカ正直に、本気でそう思っている方がいるとすれば、それは相当頭の中が悪い可哀想な方としか思いようがない。その方が笑うことも出来なくなった際にはきっと、底の見えない暗い深淵によって引きずり飲み込まれてしまうことだろう。

それは人によっては「自殺」だったり「リストカット」、「殺人」に「放火」「家庭内暴力」だったりと様々である。「悩まない人」というのは、時により意図的な犯罪者よりも「害悪」な存在になってしまうのだ。

そうならない為にも我々は時に足を止めて一度悩まなければならない。私の好きな言葉の中に『灯台に近づきすぎると難破する』という言葉がある。要は「目的地が遠い間は悩まなくても結構だが、それが近くまで来たら一度止めないと壁に激突してバラバラになってしまう」ということなのだが、悩まない人というのはつまりブレーキのない車で高速道路を160kmで走るのと対して変わらないことをしているのだ。周りの人からすると、如何に迷惑なことをしているのかが分かるだろう。

そしていよいよその方もたくさんの人から嫌われ続けて、ようやく悩むことになるのである。「どうして自分だけがこんな嫌な目に遭わなければならないのだ...」と。

その悩むタイミングというものは、保育園に通っている時から好きな仕事に打ち込んでいる何かの拍子に、または退職して老後を迎えた時など実にバラバラである。年齢など関係ないのだ。

そしてその方が専門家の所にやって来て相談されたりするのだが、その方が良くなるか自殺してしまうかはまた別の問題になってくることだろう。

とにかく「悩まない人」というのは要注意である。ネットなんかを見ていたりするといかにも「頭の中、悩みがなさそう。」な人や文章を腐るほど見かけるのだが、こうして考えてみるとその人というのは「あぁ、この人は今『心の借金』を抱え込んでいるんだな...。」「周りから大分嫌われたりしているんだろうなぁ。」とその方に対して何もイライラせずに見ることが出来るようになったりする。

もしその方が本当の悩み「孤立」に直面するまでの間、我々はその方を暖かい眼差しで見守ってあげられたら、孤立した後もきっと救われることだろう。

Add Starmyself-shizen10081kamisamachang
コメントを書く
  • アメリッシュ (id:funyada)

    おはようございます。

    いつも読みたくなる内容で、素晴らしいですね。

    ただ、悩まない人が本当にいるとすれば、私からすると羨ましい限りです。
    そんな方がいるのでしょうか。
    過去に相談を受けることが多かったので、人は悩んでいるといつも思っていました。

    それから、人に好かれることも時に苦痛であることもありますよね。