都電のいる風景


昭和40代前半は「なめくじ会」のメンバーも蒸気機関車に明け暮れていた時代ですが、それでも身近な都電もしっかり撮っています。銀座から都電がなくなると聞けば出かけましたし、ゼロメートル地帯と言われた砂町界隈にもしっかり撮りに行っています。
都内の随所に走っていたので、どこでも撮ることが出来たのですが、今みるといい写真は少ないですね。
都電と一緒に懐かしい40年代の街角風景が写っていて、いたるところに昭和の匂いが漂っています。
今回はその中から特に思いの残っている場所をセレクトしてみました。



銀座通りです。右は松坂屋、左は東海銀行、向こうに服部時計店と松屋の看板が見えます。今もこれらは健在です。
 
 
 

銀座4丁目交差点の三越が工事中ですね。手前右側の商店街も工事しています。この一角は大きく変貌しました。
 
 
 

上の写真の反対側です。荒木一郎のショーの看板も懐かしい。これは銀座通りの都電最終日です。 昭和42年12月
 
 
 

 銀座4丁目交差点から
有楽町方面を望んだ晴海通りの夜景です。きらびやかな日劇の建物も懐かしい。
 
 
 

銀座1丁目です。1系統だけに充当されていた5500形です。最終日なのでモールでデコレーションされています。
私の撮った唯一の5500形です。銀座通りは本当に柳があったのですね。               昭和42年12月
 
 
 

これは
京橋にあった第一生命の風格のある荘厳なビルです。残念ながらこの
数年後に新ビルになりました。京橋のシンボルでした。
 
 
 

皇居のお堀に面した、かつてGHQの本部だった第一生命ビル前です。向こうは
日比谷の交差点です。
 
 
 

田村町1丁目から当時としては超高層ビルだった建設中の霞ヶ関ビルを望みます。
 
 
 

清正公前です。今の白金高輪です。ここはアップダウンになっていて正面に東京タワーが見えました。
 
 
 

これも
清正公前です。写真には写っていませんが正面は東京タワーです。ここは古い1100形が走っていました。
 
 
 

外神田3丁目、いわゆる「秋葉原の電気街」を走ります。1系統でこれは上野行です。
 
 
 

万世橋から坂を登って
湯島聖堂前を走る13系統の新宿行です。向こうに
総武線の鉄橋が見えます。右側の建物の下を神田川が流れていました。
 
 
 

青山車庫です。車庫には行っているのに宮益坂の写真はなぜか撮っていません。むむむ・・・
 
 
 

7000形は正面2枚窓の流行を取り入れたスリムで美しい車両でした。6000形に次ぐ代表的な都電でした。
 
 
 

歌舞伎町にあった
「新宿駅前」の電停です。今からは想像も出来ない少ない交通量でした。
 
 
 

夕闇迫る
巣鴨駅前です。35系統の神保町行です。山手線の各駅前には都電が走っていました。
 
 
 

夜の隅田川を渡り水天宮に向かう21系統。手前が「千住大橋」です。千住大橋の都電最後の日です。  昭和43年3月
 
 
 

錦糸町駅前です。ここまで来ないとリベットの1500形は見られませんでした。全車が錦糸掘車庫の所属でした。
 
 
 

錦糸町駅前の歩道橋から撮りました。中央に交通整理の警官がいます。制服も古いですね。
 
 
 

錦糸町から大島、砂町方面の電車に乗りました。運転台脇からの一枚です。
 
 
 

1500形のコントローラーです。デッカー(ディックカー)・ロンドンと刻まれています。
 
 
 

南砂町の専用軌道を走る38系統日本橋行です。ここは下町の独特の風情がありました。
 
 
 

竪川を渡る専用軌道線。この辺は川面より土地の方が低いゼロメートル地帯でした。
 
 
 

赤羽駅前(電停は赤羽)です。旧王子電気軌道の170形です。この旧型電車が見たくてわざわざ行きました。
 
 
 

170形は27系統で三ノ輪との間を走っていました。昭和2年生まれの古豪でした。クルマがほとんど走っていません。

 

とりあえずお見せできる写真はこんなところです。あとは恥ずかしい写真ばかり。
もっといい写真が撮れたはずなのに粗雑にシャッターを切っていますね。都電は人々の生活とまさしく一体でした。そんな人間臭さを出したかったのですが、こうやって再度じっくり見てみると人のぬくもりが全く表現出来ていません。やっぱり腕が未熟だったのですね。
今だったらこういう風に撮ったのに、と悔やまれることばかりです。