東京駅とその界隈

あこがれの汽車電車でした

お小遣いで高いフィルムを買い、古いジャバラカメラで撮って回りました。露出不足や手ぶれなどの失敗が多くまともに見られる写真はほとんどありませんでした。昭和40年ころからようやくそれらしい写真が撮れる様になりましたが、単に来たものを撮るだけで記録に残すべき車両はなぜか撮っていないのです。今にして思えば悔やまれることばかりです。




中学生のころ古いジャバラカメラで撮った一枚。銀帯のロイヤルエンジンEF5860(浜松)です。     昭和35年

 
 
 
 

この斬新なマスクの153形東海型は衝撃的で私たちの憧れでした。        昭和35年

 
 
 


東海道線の花形、ビジネス特急「こだま」。連結器取り付け前です。      昭和34年
 
 
 


ピカピカの157形日光型です。この豪華電車がなんと準急でした。      昭和35年
 
 
 


木製窓枠に小型ライトの原型クモユニ81です。フィルム巻き上げを失敗しています。     昭和35年

 
 
 


木製窓枠はこのころにはHゴム化されタイフォンまで埋め込まれ原型の湘南電車は少なくなっていました。        昭和35年
 
 
 


157形は「準急臨時いでゆ」にも使用されていました。        昭和36年
 
 
 
 

東京駅に常駐していたEF53です。確か2両が東京機関区に配属されていました。       昭和37年

 
 
 


EF53は隅田川操車場との間の定期運用がありました。       昭和37年
 
 
 
 

東京駅に来ていた常磐線用交直両用試作電気機関車ED46です。      昭和34年

 
 
 
 

パーラーカーが先頭の151形「つばめ」です。新幹線ホームが建設中です。      昭和38年 

  
 
 


どうも高窓の東海型は窓の下が間延びしているようでスタイル的に好きではありませんでした。     昭和38年
 
 
 


東京駅に侵入する「さくら」。牽引はEF58からEF65P型に代わっていました。    昭和40年

 
 
 
 

EF58の牽引する急行「高千穂」です。たしかEF61の牽引もあったように記憶しています。     昭和40年

 
 
 
 

159形の臨時準急「ながら」。臨時列車なのに立派なマークをつけていました。       昭和40年

 
 
 
 

クモハ43を3扉化したクモハ51。魅力は半減しました。2両目の張り上げ屋根のもと流電も3扉になっています。    昭和40年
 
 
 
 

低窓で白Hゴムに大きなライト、デフロスターのない正面はとにかく美しいという以外にありませんでした。      昭和38年

 
 
 
 

田町電車区に湘南電車80形を撮りにいきましたが改造されたものばかりでオリジナルは見られませんでした。    昭和36年

 
 
 


クモユニ81です。ライトと運用表示窓は昔のままですが正面窓はHゴム化されタイフォンも埋め込まれています。   昭和36年
 
 
 


堂々15両編成の湘南電車です。原型の80形を撮るのはこの頃ではもう無理でした。     昭和37年 品川~大井町

 
 
 


品川駅から朝方に出発していた京都行修学旅行電車155形「ひので」です。     昭和37年 品川
 
 
 


最後に東の「ひので」と西の「きぼう」の離合です。中学2年春の修学旅行です。名古屋の手前だったような。    昭和37年

 

こうやってみるとロクに撮っていません。時刻表をみてしっかり狙いを定めて撮るということをしていなかったのです。まあ子供だったのですね。集中力もありませんでした。この時代に戻れたらなあと、ときどき思います。雑誌や写真集で見る諸先輩は本当にしっかりと撮っていて、本来こんな写真は恥ずかしくて出せないところですが、そこは幼いが故の未熟さということでお許しを。