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ふたたび研究会 三
「宇宙がビッグバンのなごりを360度の方向から背景放射として、かすかなノイズをいまだに送ってよこしているのに似て、古事記はその創作の古さを、書中にしのばせているように愚鈍の僕にさえ感じられるんだ。その一が、国生みに『越の国』の記事がないことだ。その二が、国生みが『淡路島・四国』で始まり、『筑紫』諸国をしっかり生んだ後、一番最後に『近畿』を生むことであり、その三が○○別という、地名の存在があることであり、その四が、国生みの際のスマートでない露骨なあっけらかんとした性描写だ。その五が、久羅下那洲多陀用弊流《といった表記をして、現在なら『海月《なす漂へる』とかくべき表記をいまだ持たないことである。古事記にあって書記にないものは、めだつものに関してはこの五つだけど、子細にみれば、きっとまだ何かがあるに違いないけれど、いまはこの五つの証拠の検証で済まそうと思う。
その一についてはすでに話した通りなんだが、その二の、国生みが淡路島、四国で始まる話は、日本書紀では、引用する『一書』においても、すべて大倭豊秋津洲《(大和地域)から始まる話となっているが、これは、書紀編纂時に『一書』の国生みの順番を改竄した可能性が高いと思うのだ。これは古事記においては、近畿地域はさして重要な地域ではないが、日本書紀にとっては、当然のことながら最重要な地域であることを示している。これは国生みの順番が古事記の通りであるのならば、この列島は、大和朝廷が興る前に、淡路島・四国において、最初の王朝の興隆を見ているはずであるという推測を喚起させうるね。古事記は、このように大和王朝以前の諸王国の時代を記録しているとは言えないだろうか。たとえば『吉備王朝』とかね・・・。古事記という歴史書の巻頭の部分は、大和王朝のものでなく、いずれかの『吉備』や『筑紫』の古王朝の歴史書であった可能性はないだろうかな・・・」
田沼はそう言いながら祐司に質問するような視線をおくった。祐司は古事記と日本書紀の国生みの部分を開いて見比べながら言った。「気がつきませんでした。そうですね、たしかに順番がちがいますね。これは良い着眼点ですね。古事記が日本書紀よりも編纂年次が早いのなら、古事記には国生み神話の古形が残されているという事でしょうね。一説に言われる、古事記が、日本書紀の要約本であるというのなら、近畿が国生みの最後にされて、越の国が表記されていない理由が見あたりませんね」
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