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詩人、古事記を訳す 二
「このように約束して、伊邪那岐命が『あなたは右に回り、私は左に回り、出会いましょう』と言ったあと、二人は柱を回り始めた。二人が出会い伊邪那美命が先に『あれまあ良い男だ事!』と言った後、伊邪那岐命が『荒れまあ良い女だ事!』と言った。
そのあと、伊邪那岐命がその妻に『女の人が先に声をかけるのは良くない』と言われた。寝屋で交わって生んだ子は、人の血を吸うヒルのような骨なし子であった。この子は葦の草で編んだ葦船に乗せて流し去らせました。次には淡島《(不詳)を生みました。この子もまた、子としては扱いませんでした。こうした事で二柱の神は、相談して、口々に『今、私達が作った子はよい子ではなかった。天《つ神にお聞きしましょう』と言われた。それで共に天上に上がって、天つ神にご意見を求めた。天つ神は太占《(鹿の肩骨を桜の木の皮で焼いて吉凶を占う事)を行っておっしゃられた。『女が先に言ったから良くないのだ。また帰り降りて、男が先に言うように改めなさい』と。帰り降りて、二柱はふたたび、天の御柱を回った。伊邪那岐は言った。『あれまあ良い女だ事!』伊邪那美は言った。『あれまあ良い男だこと!』と。こうして二注が寝屋で交わって産んだ子は淡路島であった。次に四国島を産まれたが、この島は胴体が一つで顔が四つあった。顔ごとに名前があり、伊予の国は愛媛と言い、讃岐の国は飯依比古《と言い、阿波の国は大宣都比賣《と言い、土佐の国を建依別《と言った。次に隠岐の三島を生んだ。この島の別名は天之忍許呂別《と言った。次に筑紫の島を産んだ。この島もまた、身一つで顔が四つあった。筑紫の国(筑前・筑後)は白日別《と言い、豊国《(豊前・豊後)を豊日別と言い、肥国《(肥前・肥後)を建日向日豊久士比泥別《と言い、熊曽の国は建日別と言った。次に壱岐島を産んだ。この島のまたの名を天比登都柱《と言った。次に対馬を産んだ。この島のまたの名を天之狭手依姫《と言った。次に大倭豊秋津島《(本州島)を産まれた。この島のまたの名を天御虚空豊秋津根別《と言った。これら八島を先に産んだ島なので大八島国と言った」
ここまで読んできた田沼は言葉を止めて早川に眼を移した。
「この後、群小の島が産まれ、様々な神が産まれ、最後に火の神を産んで伊邪那美の命は亡くなって黄泉《の国に言ってしまう訳なのだが、今までの訳はどうかな?」
「解りやすくて良いですね。さすが詩人、酒ばっかり飲んでいるのではないと言うことがわかりますね」
「君にそう言ってもらえると安心するよ。しかし、その言葉には、ちょっと棘《があるね。・・・この、古事記巻頭の文を次に読む日本書紀巻頭の文と比べてみようと思っているんだよ。そうすれば古事記と書紀の違いがいくらか分かると思うのだな」
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