酔いどれ詩人、田沼遼《たぬまりょう》の入院
酔いどれ詩人、田沼 遼は、数年に一度体調を崩し、別荘行きと称して懇意な院長のいる、鎌倉海浜クリニックに入院するのが常なのだ。遼は詩のみでなく、洒脱な味わいのエッセイも書き、人気がある。読書好きの彼にしても病室では、いささか退屈である。このごろは、退屈ををまぎらわすのに彼は歴史の謎に取り組むことにしている。前回は邪馬台国のあった場所、前々回は織田信長の本能寺の変をテーマに取り上げて、「酔いどれ詩人・海浜リゾート病院研究所 邪馬台国はどこにあったか?」と「酔いどれ詩人・海浜リゾート病院研究所 織田信長はなぜやすやすと本能寺で殺されてしまったか?」ずっと以前には「酔いどれ詩人・海浜別荘病院研究所・日本は何故不利な戦争に突入してしまったか?」など、シリーズとして出版されている。
さて今回は、どうしようと田沼 遼は特別室の病室から見える、鎌倉材木座の青い海を眺めていた。「酔いどれ詩人」などという通称は、実は彼自身が面白半分、名乗っているので、田沼は実はかなりきまじめな人で、キリスト教系清滝女子大学で講師の職も担っているのである。講議はもちろん、日本文学である。
軽くドアがノックされた。どうぞという田沼の声で入ってきたのは、文華爛漫社の女子編集社員、田村先生担当の三十台始め独身の
「先生、また入院だそうですね。先生、お口寂しいかと思いまして、ノンアルコールビール一ダース持ってきましたよ」
「おいおい、その先生は辞めてくれよ。僕は単に田沼さんでいいの!しかし、そのノンアルコールはいいね」
「でしょ?気に入っていただけてよかったです。・・・ところで、センセ、今回はテーマは、決めておられます?」
「あのね、僕は何も、作品を書くために入院するのではないの。あくまでも僕の暇つぶしの結果を、君が録音から起こしてくれただけだからね。今回もそうとはいかないよ」
「まあ!センセ意地悪じゃないですか」
「あは、そうかな。実は海浜リゾート病院シリーズはなかなか好評で、良い飲み
「そうですね、前作の邪馬台国はどこにあったかは、詩人らしい万葉集の知識もあってユニークで、かなり評価が高かったですね。・・・出版の立場から見ると、邪馬台国論争はどうやら一段落したように思えますので、古代でも何か違うテーマがないですか」
ドアがノックされ、看護婦長の草野英子がコーヒーを二つトレーに載せて入ってきた。
「山辺さん、お久しぶりです。二年前田沼先生が入院されていた時いらいですね。先生しばらくの入院になりそうなので、又なにかとよろしくお願いいたします。なんだか、先生が体調を崩されたのが嬉しいみたいで恐縮ですが、先生はこの病院の事をエッセイで別荘と呼んでおられますから、病院全体が華やいだ気持になっているんですよ・・・あ、コーヒーを入れてきました、お好きでしたよね・・・先生はコーヒーと日本酒とウイスキーにはうるさい人なんですけど、今はいくらなんでもお酒は当分だめなんで、特別に良い豆が手に入りましたので飲んでいただこうと、入れてきました」