無題 Name 名無し 19/10/26(土)06:46:27 No.1288313
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脚気に悩まされた日本陸軍…
壊血病に悩まされたイギリス海軍…
無題 Name 名無し 19/10/26(土)06:48:55 No.1288314
そして勿論戦場での負傷から…
平時の疾病に至るまで…
兵隊さんの健康管理は軍隊にとって一大事なのです!
…ということで軍隊と医療・医学スレッド
無題 Name 名無し 19/10/26(土)08:59:25 No.1288315
>壊血病に悩まされたイギリス海軍…
対策としてレモンとか柑橘類を徹底的に普及させて一時撲滅したが
罹患者が無くなって暫く経つと今度は経費の無駄ではないかと削減され
また壊血病が発生とか人間変わらないなぁと
無題 Name 名無し 19/10/27(日)10:12:32 No.1288456
芙蓉書房の「陸軍経理部」という本に、「柴田昌郎主計大尉の殊勲」と題する偕行記事が紹介されているんですが、
「北方占守島の第91師団において、戦闘もしないのに兵隊が歩いていて、バタッ、バタッと死ぬ怪事件が起きた」
「(略)ビタミンCの欠乏症のため死ぬのが原因であった。それには番茶が一番よいことも分った」
「当時、日本中の番茶は海軍が全部押さえていたのだが、それは海軍は昔からの海上生活のため、その心得があったのである。統制の名のもとで押えたものは、海軍の判のない限り、番茶一葉といえども出すことが出来ない状況にあった」
無題 Name 名無し 19/10/27(日)10:13:37 No.1288457
「柴田主計は『よし』ということで、師団長の計らいの特別機で内地に帰り、番茶を(略)積めるだけ積んで島に持ち帰った。それを早速、将兵に飲ませたら、ピタリと怪死の蔓延を止めることができた。師団長は柴田主計に涙を流し、手をついて礼をいわれたという」
「柴田主計は海軍に押えられた番茶を、どうして手にいれたかというと、海軍で使用している切符をみせてもらい。それを偽造して番茶を手に入れたのである」
「もちろん法を犯すのであるから(略)責任等は全部自分で負うつもりの行動であった(略)師団長はその論功に対し、進級の際特に強い要求を人事局に出したので、非情な抜擢で何百人かを抜いて少佐に進級したといわれる」
…んですとか
普段何気なく飲んでるお茶一つでも、時には命に係わる大事なモノになったりするんですねえ
無題 Name 名無し 19/10/27(日)11:10:33 No.1288460
脚気の特効薬?になるのか知らないけど日本海軍は医務室の金庫に玉葱を入れていた
日露戦争の時、海軍と仲の良かった陸軍将校が率いる部隊は海軍から大量の麦を送られて所属する陸軍兵の間では食に対する評判悪かったけど脚気患者が居なかったって話もある
無題 Name 名無し 19/10/27(日)11:25:27 No.1288461
海軍さんは比較的少人数だし、よほどの長期航海でもなければ
補給事情は陸軍より良い場合が多いよね
無題 Name 名無し 19/10/27(日)12:38:40 No.1288463
>また壊血病が発生とか人間変わらないなぁと
口伝で伝授される経験則の限界よね。
新たに発見された知見は学会で審査され、公認されたものは背景知識も含めて公的文書として形にし、それを教育にフィードバックすることによって
こういった知識の衰退や車輪の再発明を防止する構造を作り上げることによって人間の知能限界を拡張せしめた現代科学文化は偉大だわ。
無題 Name 名無し 19/10/27(日)14:01:28 No.1288467
津浪被災地で、これより下に家を建てるなと先人が碑文残しても、段々なし崩しになってまた流された感じか。
無題 Name 名無し 19/10/27(日)14:17:13 No.1288470
新鮮なフルーツ維持するのも大変だし
規則だから酸っぱい柑橘しゃぶれといわれるのも辛い
無題 Name 名無し 19/10/27(日)14:19:38 No.1288471
断崖の上や下に住んでる人の家が数代程度前からのもんだとして災害に遭うじゃん?
数代前からそんなところに住んでんのもどうかと思うけど
でも新規の分譲住宅地でそういうところもあんのよね
買う人がいる
言葉による伝達にも拘束力が薄くなっているけど
それ以前に何か軽いなんだろう、何かとしか言いようが無いけど
どうやら危機意識的なもんが大勢から失われているような希ガスんだよね
バブル時からなのかなその少し前からなのかな
ウオーターフロントなんてかつて避けられてきた土地を高く売るためのウソ800で
それまでは危険地帯なので一般人が住めるようなところじゃ無かったんだよね
無題 Name 名無し 19/10/27(日)15:19:20 No.1288474
陸軍経理学校卒業生の方々が中心となって刊行された「陸軍経理部よもやま話」に、先述の柴田昌郎さんご本人の談話が収録されているんですが、氏が北方部隊に勤務する前にいたのがガダルカナルで苦戦した第2師団で、自身も同島から撤退後半年ほどは入院生活だったそうでして、南方に引き続き北方でも「食い物」と兵隊さんの、生死に関わる問題に取り組むことになったということみたいですなあ
因みに氏曰く、
「青ものがない。従ってビタミンCがない(略)ビタミンCの足らない場合には脚気になるんだということを、栄養学の教官である川島四郎先生から教わったのを思い出しました」
「脚気症状で、重い荷物を担いでおって、もし蹴つまづいたりすると、死んじゃう、という事態が(略)起こりました」
「7人死んだんです。7人目で決心したんです」
無題 Name 名無し 19/10/27(日)15:20:08 No.1288475
(※脚気はビタミン「B」の欠乏症なんですが、一方ビタミン「C」が欠乏すると、「B」を患者に与えても吸収できなくなるので、「C」の補給が必要との由)
「これはなんとかせにゃいかんというので、わざわざ宇治までお茶を買いに行って(略)お茶の粉を飯に混ぜて食わせることもやりました」
「緑茶によるビタミンCの補給は、軍医部のビタミンCの注射よりも、はるかに有効であったということが、大きな記憶として残っております」
「宇治に行って、当時国立お茶研究所というのがありまして、そこでビタミンCは何に一番含有されているかというたら、これは煎茶なんですね」
「ところが体に入るには何がいいかといったら(略)抹茶ということなんですね」
無題 Name 名無し 19/10/27(日)15:21:21 No.1288476
「なぜかというと、それはみんな食っちゃう。だから煎茶を食うのが一番いいんじゃないですか」
「そうしたら煎茶を粉にしてるのが、たまたま宇治で1軒あったわけです。それが(略)海軍の方で押さえてる」
「しょうがないんで、虎の門まで帰りまして(略)電報打ったんです。『海軍省衣糧課長』といって。それで(略)『海軍省から電報来たか』といいましたら『ああ、来てます』『じゃ渡してくれ』(笑)ということなんです」
…とのことで、赴任先の千島列島から東京、京都…と駆け巡っての苦労っぷりは、確かに殊勲甲モノだったんじゃあないでしょうかね、コレ
無題 Name 名無し 19/10/27(日)19:19:25 No.1288493
日本でもビタミンC欠乏が問題になってたのは知らなかったです
無題 Name 名無し 19/10/27(日)20:55:42 No.1288515
兵士のビタミンCを補うため、軍の総力を挙げて番茶を確保した日本軍は偉大だ
それに比べて自衛隊ときたら
東日本大震災では自衛隊員に、ビタミン不足に起因する口内炎や吹き出物が続出したのに、ビタミン剤すら配給出来なかったらしいではないか
ビタミンの存在が知られていなかった明治時代ならともかく、平成時代に何やってんだか
無題 Name 名無し 19/10/28(月)01:06:20 No.1288565
ビタミンCが意外と多いのがキャベツと柿
ビタミンC発見前に前者がザワークラウトとして樽積みされて船員を救った
後者は干し柿として日本の冬の貴重な栄養源となった
無題 Name 名無し 19/10/28(月)11:10:13 No.1288598
>後者は干し柿として日本の冬の貴重な栄養源となった
干し柿にするとビタミンCは失われるそうだよ
無題 Name 名無し 19/10/28(月)17:57:57 No.1288633
エゲレスのカレーライス史については、ケンブリッジ大学研究員のリジー・コリンガム=サンの「インドカレー伝(河出書房)」という本が、インドにおける各種香辛料利用の料理のルーツ、それがインドの植民地支配に乗り出した英国人によって「カレー」として纏められるまでの経過、英国やその植民地で食べられていたカレー料理の実際と、それが日本含む海外に伝播していく過程までよくまとまっていてお勧めです
小麦粉がエゲレス流カレーで使われるようになる経過、ライスと共に提供されるスタイルについても言及があるので参考になるかと
因みにエゲレス本国でカレー料理が流行り始めた1850年ごろ、婦人雑誌の読者投稿欄では「ライスを別に出すか、それとも上にカレーをかけて出すべきか」「カレーに最も合う米の品種は何か」等が、盛んに論じられていたそうです…w
無題 Name 名無し 19/10/28(月)18:01:53 No.1288634
大戦中潜水艦軍医長等を務められた本橋政男さんという方が、戦中のIJNの潜水艦内医療について述べられている所に依りますと、
「ビタミンB1とCの錠剤が脚気と壊血病から乗員を守るが、これも作戦終了の頃にはかびによるしみがしみこんでいる」
「潜水艦では開戦後脚気患者が多発した。ビタミン剤、ビタミン含有食を投与したにも拘らず、軽重の差はあっても殆ど全員に、軍医長までが自らビタミン剤の注射をしても脚気に罹った言ってよかろう」
「それは日光不足、生鮮食料品の欠乏、高温、高質、高二酸化炭素、酸素不足などによる新陳代謝障害に基く水血症による浮腫も含まれてあると思われるが、ビタミン剤だけでは解決できないことを示唆し、作戦遂行上重要な課題となった」
無題 Name 名無し 19/10/28(月)18:03:27 No.1288636
「俗に潜水乗りは歯が悪いと言われていたが(略)ビタミンやカルシウム不足、その上歯磨きする水がなく(略)潜在性壊血病のため歯肉出血や歯槽膿漏を起し、歯の馳緩動揺を訴える者は多かった様である」
…との事
サプリメントによる栄養補給は効果はあれどやはり限界があり、何より艦内生活環境そのものの改善がなされないと根本的な解決は出来ない、というコトのようなんですが、コレって結局今の私たちの日常生活にも言えることですよねえ
無題 Name 名無し 19/10/28(月)22:08:14 No.1288670
脚気対策といえば、日露戦争の頃から海軍は兵隊さんに玄米を食べさせてましたよね?
一方陸軍では「白米も食えんなんて兵士たちがかわいそうだ。」という理由で白米を食べさせていたとか。
無題 Name 名無し 19/10/29(火)16:35:33 No.1288738
>陸軍では「白米も食えんなんて兵士たちがかわいそうだ。」という理由で白米を>食べさせていたとか
このへん実際の事情は少し複雑で、例えば日本陸軍内での総脚気患者数は明治17年には年間9793人にも上ったそうなんですが、幾つかの実験を経てパンや麦飯が脚気に効果ありとの知見が得られると、国内のIJA各師団・聯隊は相次いで主食の麦飯・パン化を押し進めており、その結果脚気患者数は21年には1807人、22年には789人、24年には265人、26年には113人にまで減少しているそうです
これは日清戦争(明治27~28年)や日露戦争(37~38年)より前のハナシになるんですが、この期間に限って言えば、「IJAはコメの飯で自分の兵隊さんを脚気にさせた」というのは当てはまらないどころか、むしろ逆のことをやっていたことになるわけですねえ
無題 Name 名無し 19/10/29(火)16:37:11 No.1288739
それが何故、後に日清・日露の二つの戦争で多数の脚気患者を出してしまったか、というのにもイロイロ事情が有ったそうなんですが、ごく簡潔に言えば
「戦地では主食を白米にしたから」
…というのが主因になるようです
従って、後方からの補給が安定しており、兵隊さん達が白いゴハンをお腹いっぱい食べられた部隊ほど多数の脚気患者を出し、逆に補給に苦労して、止むを得ず現地調達の雑穀等で腹を満たして戦った部隊には脚気患者が少ない…なんて、兵站上からは実に皮肉な事態が生じたりもしているんだそうで
無題 Name 名無し 19/10/29(火)16:40:19 No.1288741
因みに余談ですが、「にっぽん洋食物語(新潮社)」によりますと
「豚肉が広く使われるようになったのは日清、日露戦争後のことである。それは牛肉が罐詰としてさかんに戦地へおくられて肉牛の相場が暴騰し(略)たからであった」
「明治38年4月12日の(略)東京市内の標準小売相場は、牝牛ひれ肉百匁(375グラム)75銭、ロース肉65銭、上等肉50銭で、安い中等肉でも45銭したのにくらべて、豚肉は上等肉が30銭であった」
「つまりこの牛肉の値上がりが豚肉の需要を招き(略)いわゆるポークカレーが登場してくるのはこれから後のことなのである」
…そうです
おクニのために、おニクの好みが変わったってわけですね!(ドヤァ
無題 Name 名無し 19/10/29(火)19:40:37 No.1288754
牛肉の大和煮に炊き立ての白飯って、すごく美味しそうだけどそれだけ毎日とか飽きるだろうしやっぱ栄養も片寄るよね
兵隊さんは大変だ・・・
無題 Name 名無し 19/10/30(水)00:50:53 No.1288789
缶詰しか食べたことないけど煮込まれてパサパサなんだよな
鯨も牛肉もパサっとしてて味付けのせいでそこまで変わらんし
無題 Name 名無し 19/10/30(水)02:19:14 No.1288796
日露戦争でIJAの看護兵だった、多田海造さんという方の「陣中日誌」が本になっているんですが、例えば1904年12月27日の記述をみますと
「近来脚気患者各隊兵に多数、3中隊の如き初発以来己に20余名の後送者を出すに至れり。その原因は如何なるや」
「吾中隊に発生せしものを観察せし所によれば、原因否誘因とでも言うべきは大約次の如し。
一、久しき以前に腸胃加答児(※カタル)に罹り(略)続発し脚気の発生せし(略)
一、目下の状況たる土窟住もまた悪し(略)
一、過度の労働、粗食、悪水の飲用(略)
一、土地の関係もあらん(略)
一、食物、此は内地ならば麦飯なるに、今は小豆を時々食うのみにて多く精米食なるを。
無題 Name 名無し 19/10/30(水)02:20:32 No.1288797
而して小豆、高粱等にて混食せし時は脚気患者少なく、而して久しき以前より精米食なるに、脚気患者の多発を来せしを見れば、或は混食も亦大関係を有するものならんか。
一、(略)
然れども第1連隊は九分通り家屋住なるに師団中最も多く脚気患者を発生せしは第ニ項に反する点なり(略)何が是か否か一向杳として不明なるを。扨ても脚気病は魔病なるかな」
…と、今の私らからすれば正解!と叫びたくなるような推論も含めて、未だ脚気の発生原因を掴めずに苦慮している様が伝わってくるものでしたり
もっとも、翌1905年1月11日には
「去る8日高粱5勺宛各人に渡し試食せしめらる。又今日より1号宛割麦を渡し、混食となし以て脚気を予防せらる」
無題 Name 名無し 19/10/30(水)02:24:07 No.1288799
…と、遅まきながら軍自体が「麦飯」支給を始めたことが分かるんですが、同日には「石堂軍医脚気入院」と、軍医さんまでが脚気に倒れていたことも記されていたりもします
因みに、遡って1904年2月6日、まだ内地に居た「動員初日」の記述をみますと、
「例の御粗末なる臭気ある麦飯は廃せられて、雪をも欺く如き米飯とはなりぬ。(略)動員下令の賜なり」
…なんてありまして、どうやら日露戦争以前の平時の兵営の主食は「麦飯」であったことと、それが戦争のお陰で銀シャリになったぞヤッターッ!という多田さんの喜びが窺える内容だったりするんですがw
およそ1年後、看護兵として対処に苦慮している脚気の原因が、どうやらその銀シャリらしい…と気付いてしまった心中は、どんなものだったんでしょうかねえ
無題 Name 名無し 19/10/30(水)09:50:17 No.1288818
戦争中、日本海軍で長期航海で衰弱してしまう潜水艦乗組員の体調管理が問題となったとき、参考の為ドイツ海軍潜水艦を見学させてもらった結果が、「脂質とビタミン」が重要である、ということになったそうです…
無題 Name 名無し 19/10/30(水)09:53:29 No.1288819
https://cgi.2chan.net/f/src/1572396809115.jpg
そこでビタミンについてはビタミン剤などの開発が行われたほか、脂質については主食の米に「バター」を混ぜて供給する実験が行われたそうです
結果は、最初は物珍しい、美味しいと評判だったものの、そのうち毎日続くとさすがに飽きられて、もとの食事に戻してくれと苦情が相次いだとか…
無題 Name 名無し 19/10/30(水)11:18:38 No.1288825
結局病気になってから慌てるより、普段の予防こそ大事って話やね
まあ、それこそ戦争中なら分かっていてもやれない、みたいな部分も大きいんだろうけど
無題 Name 名無し 19/10/30(水)11:39:40 No.1288826
「滋養のつく食べ物」「病知らず」という概念はあって食べれば病気を防げるもの、というのは知られていたんだよね
けど、特定の食べ物の、どの部分が効くのか「栄養素の抽出」というところまで研究が進むのは第1次大戦の直前だった
輸送手段が制限され、何でもかんでも戦地に送るわけにはいかない状況が脚気患者の増大を招いたんだろう
無題 Name 名無し 19/10/30(水)14:37:05 No.1288838
>潜水艦
栄養不良の他にも潜水艦でコワイのが、作戦中の「虫垂炎」だったんだそうで、前述の橋本氏曰く「軍医長の一番頭痛の種」であったそうなんですが、
「艦内の悪条件下で手術するのは危険を伴うので、当時塔載していたズルファミン剤と冷罨法で姑息的治療をしたのもあったと思われるが(略)開戦後6カ月間に24名発生している」
…んですとか
従って、中には止むを得ず艦内手術に踏み切った例も多々あったようでして、
「第一例は誰であったかは、興味ある問題であるが、調査した範囲内では伊8に於て昭和17年2月下旬、北米西岸通商破壊作戦から呉への帰途、長村真医中尉(略)が谷口上水を手術したのが第一例と思われる」
無題 Name 名無し 19/10/30(水)14:38:25 No.1288839
「第ニ例は重藤俊夫医中尉(略)で、伊165がラバウル方面で作戦行動中、三好機関兵曹が虫垂炎に罹患、その艦内手術に成功して、昭和17年7月18日附、朝日新聞朝刊に載った」
…などの例があったとのこと
もっとも、伊56潜水艦の軍医長だった斎藤寛さんによると、
「第6艦隊軍医長より(略)虫垂炎は腹膜炎症状が明らかに出ない場合は手術を見合わせるようにと厳命されていた。というのは、不潔な艦内で手術を行なえば次後の海軍病院での治療が大変手間どったからであった」
…そうです
まあとにかくやはり潜水艦だけに、チュウスイのトラブルは命取りだったんでs(
無題 Name 名無し 19/10/30(水)19:08:39 No.1288862
よく潜水艦内部図みたいな画像あるけれど、さすがに手術室があるのは見た覚えがない
・・・医務室くらいはあるのかな?
無題 Name 名無し 19/10/30(水)20:40:08 No.1288873
旧軍の潜水艦には一艦に一人軍医が乗り組むから、それ用の部屋くらいあったんじゃない?
無題 Name 名無し 19/10/30(水)21:47:25 No.1288885
当時は現代のように強力な消毒薬や抗菌剤がなかったので艦内での手術は相当なリスクだったのでしょうね
無題 Name 名無し 19/10/30(水)23:39:45 No.1288893
なんでそんなに虫垂炎が頻発したのか
無題 Name 名無し 19/10/31(木)19:50:13 No.1288931
>なんでそんなに虫垂炎が頻発したのか
虫垂炎は虫垂の内側で固まった糞で虫垂内の細菌が虫垂粘膜から壁内に進入し炎症を起こすのが多いから
まずは便秘予防からなんだけど
不衛生な閉鎖環境によるストレス、不規則な生活、食物繊維が不足した食事と便秘になる原因が役満してるのが船乗り特に潜水艦……
無題 Name 名無し 19/10/31(木)02:17:31 No.1288904
IJNの対手たるアメリカ海軍でも、作戦中の潜水艦内におけるAppendicitisは大きな問題だったようでして、「アメリカ潜水艦隊の戦い(元就出版)」によりますと
「潜水艦には医者が乗っていなかった。唯一の医療従事者は各船に一人いるファーマシスト・メイト(※看護兵)だった。ファーマシスト・メイトはアスピリンを与えたり、小さい切り傷に包帯を巻いたりは出来たが、もっと重大な病気や怪我を処理する教育を受けておらず、またそのための設備もなかった」
「その例外的な事が1942年9月11日、”赤い潜水艦”シードラゴンの艦内で起こった。その時シードラゴンは南シナ海のインドシナ海岸の沖、味方の領土から何百キロも離れた海で(略)潜航していた」
無題 Name 名無し 19/10/31(木)02:18:39 No.1288905
https://cgi.2chan.net/f/src/1572455919206.jpg
「ダレル・ディーン・レクター上等水兵は化膿した虫垂に苦しんでいた。22歳のファーマシスト・メイト、ヴァージニア州出身のホイーラー・ブリソン・”ジョニー”ライプスは医者ではなかった。しかしライプスと艦長(略)は、もし緊急に虫垂炎切除手術を行わなければ、レクターは死ぬことが分かっていた」
「士官用食堂兼談話室を手術室にして、ライプスと二人の士官の助手は(略)間に合わせの道具を熱湯で殺菌消毒した。また着用する”手術着”のパジャマを(略)魚雷の燃料の(略)アルコール(略)に浸して殺菌消毒した」
「スプーンを曲げて、切り口(略)を開けたままにしておくリトラクターとして使った(略)ダイニングテーブルの上にレクターを横たえて、手術に取りかかった」
無題 Name 名無し 19/10/31(木)02:19:28 No.1288906
https://cgi.2chan.net/f/src/1572455968147.jpg
「麻酔用のマスクとなるようにした、紅茶濾し器の上のガーゼにエーテルを垂らした。一人の水兵が医学の教科書を読んで、ライプスに手術の手順を教えた」
「驚いたことに全てはうまく行き、レクターは2週間もたたずに自分の持ち場に戻った(略)この手術はハリウッドの潜水艦映画に取り入れられた。1943年の「DestinationTokyo」で、主演はまたもケーリー・グラントだった」
…んですとか
もっとも、無事手術で回復されたレクター=サンは1944年、乗艦していた潜水艦タングが、自艦の発射した魚雷で沈むという椿事により残念ながら戦死されているそうなんですが、一方のライプス=サンの方は大戦を生き残り、2005年には海軍褒賞勲章の名誉を受け、同年膵臓がんで84歳の生涯を終えられているそうです…
無題 Name 名無し 19/10/31(木)15:31:32 No.1288923
「人命尊重」のイメージの強いアメリカ軍で、潜水艦に軍医が乗っていなかった、というのはちょっと意外ですね
何か合理的な理由があったのか、それとも単純にさすがにアメリカ海軍といえども、軍医の数が足りなかったのでしょうか…
無題 Name 名無し 19/10/31(木)17:31:56 No.1288927
https://cgi.2chan.net/f/src/1572510716859.jpg
米軍の衛生兵というと粉末のサルファ剤ですが
一般兵も持っているので映画「プライベートライアン」でも。
実際には注射や内服のもあるので注意。
無題 Name 名無し 19/10/31(木)18:35:15 No.1288928
https://cgi.2chan.net/f/src/1572514515661.jpg
IJNの戦友だったドイツ海軍でも、当初はUボートには軍医が乗らないのが普通だったそうでして、「UボートⅦ型(大日本絵画)」から引用させて頂きますと
「乗組員たちの健康管理は、せいぜい数週間医療訓練を受けた程度の通信士が行った。開戦から4年間は、Ⅶ型に医官が乗艦することはなかったが、ⅨD型やⅩⅣ型のような大型の補給艦には医官が乗艦することがあった」
「万が一、病人や怪我人が出た場合には、一番近くにいる補給艦と落ち合うことになっていた(略)あまり医療に明るくない通信士のために、各艦には一般的な怪我や病気の診断と処置方法について書かれた医療教範が置かれていた」
…とのこと
無題 Name 名無し 19/10/31(木)18:37:22 No.1288929
ただし、大戦中盤からややこうした体制は改められて
「医療事情は、1943年半ばに変わった。デーニッツからUボートに対し海上で敵機とも交戦するよう命令が出され、負傷兵が急激に増えたのであった」
「そのため、デーニッツは同年7月までに、出撃する艦の2隻に1隻の割合で資格を持った軍医官を乗艦させるよう命令を下した」
「6月初めには、16人の軍医官が補給艦に乗り込み、さらに13人がその他のⅨD型やⅩⅣ型に乗艦することが命じられた。当時稼動中の約150隻のⅦ型に対しては、17人の軍医官が割り当てられた」
ものの、
「軍医官の数は(略)徐々に増えていったが、デーニッツの望んでいた50パーセントにまではいたらなかった」
…そうです
やはり、潜水艦に医官がいないのはイカンt…(
無題 Name 名無し 19/11/01(金)02:22:32 No.1288960
潜水艦だと伝染病とかも一層恐そう
航海の後半とか特に体力も落ちているだろうし・・・
無題 Name 名無し 19/11/01(金)15:55:01 No.1288987
こちらは「Uボート部隊の全貌(学研)」という本からなんですが、
「哨戒を行なうUボートに軍医が同乗することはほとんどなかったが(略)開戦1カ月後の1939年10月13日には、U40(略)と共に軍医の戦死者が初めて出ている」
「初歩的な医学教育は訓練の一環として士官に施されたが、医療任務に就いては、36時間の詰め込み講習を受けただけの兵曹の追加的職務であり(略)重傷者が出た場合、帰投途上にあるUボートとの洋上会合が必要とされ(略)移乗させ、後に海軍の病院で治療に当らせた」
「一報告例によれば、ある艦長は、負傷した乗組員の片足を切断する外科手術を執刀し、その際には陸上基地にいる軍医が無線指導を行った」
…そうです
また、先述の軍医増強策の顛末についても述べられているんですが、結局は
無題 Name 名無し 19/11/01(金)15:55:57 No.1288988
「Uボート任務に赴いた海軍軍医243人のうち、117人が戦死し、その大部分は1943年末前に失われている(略)軍医という小規模集団からそうした技能者が枯渇することは耐え難く、1944年になるとデーニッツは上級医務当局から抗議を受け、これ以上の軍医利用を断念せざるを得なかった」
…んですとか(その後は代替として、「特殊訓練を受けた衛生兵曹」が各艦に配属されたとか)
ともあれこうした軍医さん達の活動は、単に治療行為だけに留まらなかったようで
「例えば、ヨプスト・シェッファー博士は、数回の哨戒で得られた広範な実体験を活用しつつ、Uボート乗組員に必要とされる食事と栄養素を詳述した」
無題 Name 名無し 19/11/01(金)15:57:27 No.1288989
「様々な食材の種類と貯蔵に関する指針を烹炊員全員に提供し、さらには、長期哨戒中における日々の献立についても推奨品目を上げている」
…そうです
「医食同源」なんて言葉がありますけれど、生きること即ち食べることですから、身体の保健の根幹となる「食」の問題については、何処の国の(また、何時の時代も)軍隊でも陸海空問わず、真剣に研究が進められていたって事なんでしょうかねえ
無題 Name 名無し 19/11/02(土)03:36:36 No.1289060
飛鷹軍医の手記だと艦上は土がないせいか不思議なくらい傷の化膿が起こりにくいとか
被弾・負傷が傷に泥ねじ込まれるのとほぼワンセットな土煙濛々の地上戦がむしろ異常なのかもしれんけども
無題 Name 名無し 19/11/02(土)19:58:20 No.1289136
>米軍の衛生兵というと粉末のサルファ剤
伊32号潜水艦の軍医長だった田口尙さんの手記に、同艦上で「サルファ剤」を使用して患者の治療に当たった経験談が有るんですが、曰く
「潜水艦乗組員にも(略)”R”(淋病)患者がかなりいることに気付いた(略)これを退治したら、士気を大いに高めることと思い、”R”退治の決心を固めた」
「当時は抗生物質などないから、専ら1000倍のカマンガン酸加里液で洗浄、5%のプロタルゴール液注入が主力。薬はアルバジルなどのサルファ剤(ズルファミンと称した)を服用させた」
無題 Name 名無し 19/11/02(土)20:01:40 No.1289137
「潜水艦の個室は、艦長室と機関長室の二つしかないから、機関長にお願いして(略)貸してもらい、早速治療開始。潜水艦は、一度出航すれば、先ず2カ月は洋上。その間感染の機会は絶対ないから、皆全治させることができた」
「所が、入港すればまた、新患が出る(略)サックを規程の何倍も入手して、上陸の際には好きなだけ渡したが(略)『使用したか?』と聞くと、『浴衣を着て湯に入ってる様で、あんなもの使えますか』という通人豪傑共が多い」
「ここでまた、『水際撃滅』の新作戦をたてた(略)相棒の倉光一雄衛曹と計り、毎朝皆より一足先に帰還し、前と後ろのハッチで朝帰りの兵隊を待ち伏せして、有無を言わせず全員洗滌注入、○ニスの先をおさえさせ十分たったら放出して解放」
無題 Name 名無し 19/11/02(土)20:02:13 No.1289138
https://cgi.2chan.net/f/src/1572692533863.jpg引用元:https://cgi.2chan.net/f/res/1288313.htm
「今度はうまく行き、新患の発生一名もなし(略)途端にサックの需要が激減したのには苦笑させられた」
…そうですw
因みにIJNの調査によると、性病患者の発生数は平時と比べると、開戦後には潜水艦乗組員で1.5倍に増加しているんだそうで(水上艦艇で1.6倍)
2カ月間命がけの任務航海を終えて無事帰投して、少しばかり羽目を外したくなる気持ちは分かる気もするんですが、やはり感染後にサルファ剤等の御世話になるよりは、適切な防御というか予防こそ大事ということなんですかしら…
コメント
特に情報を残すことの大切さは製造業ですら疎かになりがちなので
イギリス軍のエピソードは普通に参考になる
実はビタミンC含有量が少なくて
思ったほどには壊血病対策にはなら
なかったとか
いいかげん缶飯、乾パンの発想から脱却して
他国の戦闘糧食のようなパーッジングにすべき。
それでパッケージの中にビタミン剤等も入れるように
したらと思う。
これは医療より前にあった兵站スレ向きかな
陸上自衛隊「あ、三年前に缶飯やめました。」
ビタミンの存在が知られていなかった明治時代ならともかく、平成時代に何やってんだか
↑
旧軍ほど権限は自衛隊にはないからやむを得ないところはある。買い占めなんてしようものなら、当時は反自衛隊の民主党政権。それに自衛隊は物資があれば民間に回すことを優先するからね…
ビタミンの存在が知られていなかった明治時代ならともかく、平成時代に何やってんだか
k谷氏が言ってた話だと思うけど、実際に災派で行ってたけど、デマと誇張があると思う。
最初の72時間とかは救助に全力で、活動しながらも食べれる乾パンとかばかりだったけど、少ししてからは増加食(栄養補助食品的なやつとか)やそれこそビタミン剤や栄養ドリンクとかでてたし。勿論一部には届くのが遅れた部隊とかがあったのかもしれないが。
自衛隊(少なくとも陸自)での基本的に食べる米は普段から麦飯やビタミン剤が混ぜてある。
戦時は肉や魚は保存聞かないから乾燥させてると思うけどここ最近の乾燥系も増えたよな。
食のレパートリー増えたりしないかね。
震災当時の現役勢の恨み節はTwitterとかでまとめらてますな
ttps://togetter.com/li/159894
ここ以外にも探せば出てくる筈
陸自「最近在庫が捌けましたよ」
ちょっとした知識が命や国の運命を左右こともあるから恐ろしいですね。
士気にも関わるだろうし
一応自衛隊の乾パンには付属でオレンジスプレッド(オレンジジャム)とウインナー缶がついてくるから、栄養はいうほど偏ってはいないよ。まぁオレンジスプレッドとウインナー缶は先に消費して、乾パンだけやたら余ってるケースが多かったけど…
もやしとロシア軍云々もたぶんに誇張が。
旅順降伏時にロシア軍に壊血病患者がいた
からの壊血病で降伏という飛躍に。
大戦略脳ならぬ光栄大航海時代脳でライムがあれば大丈夫と思ってた…
一方、インド航路発見のバスコ・ダ・ガマの船団は船員の半数以上が壊血病で死亡した。
搭乗していた軍医が操舵をして兵員をケアしてなんとか帰還できた逸話があった
普段の食生活がよくない人はキツイよ。たしか、うちも営内居住者で偏食気味の人が体調崩してたな…
鬼の山城とは何だったのか笑(笑)
全く不満が無いと言えばはそりゃ嘘になる。ただ文字通り何の対策や処置もしてないと言うのも無いと言う話。
それ余計に赤痢蔓延するんじゃ…
それは偏食での失敗は自分も経験がある。
昔は営内の喫食管理がゆるくて(部隊や駐屯地にもよるかも)、朝飯が面倒だから食堂に行かないで、食わなかったり、カップラーメンとかだけで済ましてたら、駐屯地朝礼の時に具合が悪くなり、あとで班長から指導を受けた。それこそ「いざと言う時にどうするんだ?」って。
蔓延しました。なので、全員上陸禁止の措置と相成りました。
ライム野郎 VS キャベツ野郎
訓練中食わないと怒られたな
どのポジションにいようが戦力だもんなと反省した思い出
しかし麦飯は意識して食べてるけど、あれビタミン入ってたのか?
まあ駐屯地によりけりだろうけど
炊く米が無くなるからセーフ
駐屯地の食堂で出るのは基本的に麦飯で、演習とかの炊事で炊いてる白米にはビタミン剤を混ぜてるよ。
微妙に黄色かったたりしなかった?
他にも米食べる民族がいるのでセーフ。
ビタミン混ぜてるのは酸化防止の為じゃないの?
今は増加食でビタミンゼリーとか追加されてるし、改善はされてる。
そうなのかな?
炊事の米炊きの時に、混ぜてるから普通にビタミン補給の一環だと思ってた。
麦飯もビタバァレー使ってたりするみたいだし、普通にビタミン強化用だと思う。
保存が利く粉末青汁を追加したのだが一応理にかなっていたようだ
自衛隊も某海外派遣の時に、派遣先で大量の青汁を支給してた。
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