自分の中に「本当になりたいもの、なるべきもの」があるような気がしてそればかりを問い続けると永遠に自分探しを続ける旅人になってしまいます。それは細胞にたとえるとどの部分にもなりきれず無目的にただ増え続けるがん細胞のようなものです。
http://lttlleo.seesaa.net/article/473002870.html
↑から続いてます。
● 「特別な私」への執着
※冒頭は春鳥限定ではない
誰でも「他の誰でもない私」でありたいし、そう扱われたいし、
だから「歯車」とか「部品」とか「駒」とか、
モノ化かつ個人性の抹消として忌避する表現があるわけだ。
しかし「他の誰でもない私」に執着するのは、おかしいぞ?と思うわけ。
もっとこう、さらっとできないものかね? という感じ。
無私であることを特段に要求しているわけではなく、
意識しすぎていることが、違うんでない? という。
承認させたい支配欲-1 宮沢賢治とチンセルの対極
http://lttlleo.seesaa.net/article/464818090.html
宮澤賢治の指向は「無名の善人」。
上記記事で問題にしているのは
承認「されたい」どころか
承認「させたい」だから支配欲だ、ということなのだけど、
今ここでは書いているのは
「私が私をこのように感じる・あえて言えばそうだけれどあまり考えない」
の人が、力みがなく無駄がなく結果は良いだろうよ、ということ。
※この辺から春鳥宛て
「特別な私」に執着するのは力んでいることであり、
力抜けよ、が率直な感想。
ピンクソファもRTしてたじゃん。
平凡に見えても、際立ってなくても、誰でもただ一人の特別な人だよ。
なんでそこに際限ない肯定を、称賛を、求めるかね?
承認欲は人間が社会性動物なのだからあって当たり前。
でも執着しすぎだと言うの。
ここでまた四知よ。
天知る地知る我知る子知る ※子=あなた の意
もし誰も知ってくれないとしても、
最低限、三知はあるわけよ。
天が知り地が知り自分が知っている。
あとこういうのもあるよ。
「世の人は 善し悪しごとも 言わば言え 賤が誠は 神ぞ知るらん」吉田松陰
https://bakumatsu.org/wremarks/view/244
世の人に理解されず蔑まれたとしても、私の真心は神が知っている
ここでの神は信仰の神というより「人には理解されずとも」があっての高次の存在ね。
私は私を知っている・信じている、ここよ。
● 自己不信
承認欲の奴隷から暴君になるのは、
自分が自分を信じてないからでしょ。
自分が自分を信じられないから、他人の承認で空洞を満たそうとするんでしょ。
でもいくら承認を得ても、自己不信のでっかい穴が開いたままだから、
空洞の不安が安心で満たされるわけがないんだよ。
自分の足元がぐらぐらだから、ちょっとつつかれただけで激怒するんでしょ。
でもそのぐらぐらの足元って、
いびつな石とかゆるゆるの泥の上においた木版とか、そういうものだよ。
攻撃された!と逆上して全力で攻撃してるけど、
その「私を攻撃した敵」を倒したとしても、
ぐらぐらの足元はぐらぐらのままで、同じことは何度でも起きるよ。
春鳥は自分で「メンタル不安定」を表明してたじゃん。
春鳥は自分の内面が落ち着くことが、まず第一に必要なんじゃないの?
内観をじっくりしてみなよ。
たとえば森田療法とか、有効かもよ?
あと春鳥は「毒パパ」とも言ってたよね。
親子関係で形成され今もある傷も、メンタル不安定の原因のひとつでしょ?
被害感情をなくせと言ってるわけじゃなくて、
被害感情を投影して暴走してるかもと考えてみるのも必要だよ(というかぜひ考えてほしい)。
我ながら、侮辱と威嚇でめたくそ攻撃されているのにその攻撃者にバカみたいに親切だと思うわ。
ここで書いていることにマウントの意図はない。
相手に屈辱を与えたくてマウントするような、暗い高揚はない。まったくない。
春巻は、つもりは関係ないマウントだ!と糾弾するだろうけど、
春鳥が、マウントされた!と感じるだろうことも、まぁ予想はしてるよ。
でもそれこそこちらの内面を真に知りえるのは人智の及ぶところでなく、
だからこちらが書いている内容と表現から、読む人が判断すればいいですよ。