イラン高原でのアーリア人の宗教から大乗仏教への影響説
イラン高原東部では
クシャーナ人・ソグド人が
今回は、
閻魔は、サンスクリット語及びパーリ語のヤマ (यम, Yama) の音訳。
閻魔(えんま)は仏教、ヒンドゥー教などでの地獄、冥界の主。
冥界の王として死者の生前の罪を裁く神。
日本仏教においては地蔵菩薩の化身とみなされ同一視されている。
本来はインド・イラン共通時代にまで遡る古い神格で、アヴェスターの聖王イマ(ペルシア語でジャムシード)や北欧神話のユミルと同起源である。
【北欧神話「ユミル」】
(アウズンブラの乳を飲むユミル)
ユミル(古ノルド語: Ymir)とは北欧神話『スノッリのエッダ』に出てくる原初の巨人。
「ユミル」の名は、インド神話に登場するヤマ(閻魔大王)と同語源である
『スノッリのエッダ』第一部『ギュルヴィたぶらかし』の語るところでは、
ユミルはギンヌンガガプの、ムスペルヘイムの熱とニヴルヘイムの寒気がまじわったところで生まれ、原初の牛アウズンブラの乳を飲んでいた。
ユミルの身体の各所から何人もの巨人が産み出された。
その中には頭が複数ある奇怪な姿の巨人もいたとされている。
H.R.エリス・ディヴィッドソンは、彼の名を「混成物」「両性具有」と理解することができ、1人で男性と女性を生み出し得る存在と考えることができ、さらには人間と巨人の始祖ともみることができるとしている。
【ゾロアスター教の神話「ジャムシード」】
(ペルシア語: جمشید、Jamshīd)(アヴェスター語:イマ Yima) とはゾロアスター教の神話に登場する人物。
イラン最古の王朝であるベーシュダード王朝の王の一人で、インド神話のヤマ(閻魔)に相当する。
彼の父はウィーワフントで、こちらもインド神話におけるヴィヴァスヴァットと対応している。
ゾロアスター教におけるイマ
『ウィーデーウ・ダート』では、「アフラ・マズダーが最初に語りかけた人間は誰なのか」と尋ねるザラスシュトラに、アスラ・マズダーはイマだと答えている。
その時イマは「教えを広めよ」という神の言葉を「自分はそのために創造されたのではない」として拒否する。しかし、宣教をしないのならアスラ・マズダーの庶類を繁栄させよ、という言葉には従い、神から王権を象徴する黄金の矢と黄金で飾られた鞭を与えられた。
『アルドウィー=スール・ヤシュト』によれば、アナーヒターをまつり、ダエーワや人間達を統べる最高の支配者となって富や繁栄を得るという願いを叶えられたという。
彼にはまた「カウィの光輪」がアフラ・マズダーから与えられており、その治世においては食物や飲み物が不足せず、人間も獣も死なず、水も植物も枯れることがなかったという。さらには暑さや寒さ、老いによる死、ダエーワがもたらす嫉妬に人々が苦しめられることもなかった。
しかしイマ王が邪念にとらわれると光輪は大鴉の姿になって飛び去り、それを見たイマは悲しみ歎くあまり錯乱して地に伏した。
一方、イマから離れた光輪はミスラ神によって捕捉された。
サンハワークとアルナワークという2人の娘がいたが、悪竜アジ・ダハーカの手に落ちてしまい、アースヴヤの息子スラエータオナ(フェリドゥーン)はアナーヒターに彼女達を救出できるように祈願した。 イマから去った光輪は、ミスラ神の次にスラエータオナの手に渡った。
神話に描かれたイマの治世において前述のような豊穣が実現されたため、旱魃が起こった際には彼のフラワシが勧請される。
フラワシ (Fravaši)とは、ゾロアスター教における聖霊、下級神。
フラワシはアヴェスター語形で、パフラヴィー語ではフラワルド (Fravard)、またはフラワフル (Fravahr)という。
この世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在である。このフラワシは人間にも宿っている。人間に宿る魂のうち、もっとも神聖な部分が人間のフラワシなのだという。
ここから、フラワシ信仰は祖霊信仰と結びついた。古代イランでは、祖先のフラワシ即ち祖霊を迎え入れて祀る行事が行われた。 一説によると、これがインドに伝えられて盂蘭盆の起源になったとも言う。
☞盂蘭盆会
盂蘭盆会(うらぼんえ、ullambana、उल्लम्बन)とは、安居(あんご)の最後の日、旧暦7月15日を盂蘭盆(ullambana)とよんで、父母や祖霊を供養し、倒懸(とうけん)の苦を救うという行事である。これは『盂蘭盆経』(西晋、竺法護訳)『報恩奉盆経』(東晋、失訳)などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説による。
日本では、この「盂蘭盆会」を「盆会」「お盆」「精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などとよんで、今日も広く行なわれている。
推古天皇14年(606年)4月に、毎年4月8日と7月15日に斎を設けるとあり、また斉明天皇3年(657年)には、須弥山の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けたと記され、同5年7月15日(659年8月8日)には京内諸寺で『盂蘭盆経』を講じ七世の父母を報謝させたと記録されている。後に聖武天皇の天平5年(733年)7月には、大膳職に盂蘭盆供養させ、それ以後は宮中の恒例の仏事となって毎年7月14日に開催し、孟蘭盆供養、盂蘭盆供とよんだ。
奈良、平安時代には毎年7月15日に公事として行なわれ、鎌倉時代からは「施餓鬼会」(せがきえ)をあわせ行なった。また、明治5年(1872年)7月に京都府は盂蘭盆会の習俗いっさいを風紀上よくないと停止を命じたこともあった。
現在でも長崎市の崇福寺などでは中国式の盂蘭盆行事である「(普度)蘭盆勝会」が行われる。
【死者の国の王「イマ」】
ゾロアスター教の根本教典『リグ・ヴェーダ』では人間の祖ともされ、ヤマとその妹ヤミーが兄弟姉妹婚により最初の人類が生まれ、人間で最初の死者となったゆえに死者の国の王となった。
虚空のはるか奥に住むという。インドでは、古くは生前によい行いをした人は天界にあるヤマの国に行くとされた。
彼は時として“死”と同一視される向きもあったが、死者の楽園の王、死んで天界にある祖先を支配する神と考えられていた。 しかし後に赤い衣を着て頭に冠を被り、手に捕縄を持ち、それによって死者の霊魂を縛り、自らの住処・国に連行されると考えられた。
またさらに下界を支配して死者を裁き、地獄に落とす恐るべき神と考えられるようになり、ついには単なる死神としても描かれるようになった。
骸骨の姿をした死の病魔トゥルダクや、二匹の四つ目で斑の犬サーラメーヤを従える。現在のインドでは、青い肌で水牛に乗った姿で描かれる(本来は黒い肌だが美術上の様式として青く描かれる)。
のちに仏教に混入されて地獄の主と位置づけられるようになった。
閻魔(ヤマ)を描いたチベットの仏画(17~18世紀ごろ)
【中国道教の泰山府君と共に閻魔王】
中国に伝わると、道教における冥界・泰山地獄の主である泰山府君と共に、冥界の王であるとされ、閻魔王、あるいは閻羅王として地獄の主とされるようになった。
やがて、晩唐代に撰述された偽経である『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(略して『預修十王生七経』)により十王信仰と結び付けられ、地獄の裁判官の一人であり、その中心的存在として、泰山王とともに、「人が死ぬと裁く」という役割を担い、信仰の対象となった。
現在よく知られる唐の官人風の衣(道服)を纏った姿は、ここで成立した。
【日本で地蔵菩薩と同一とされた】
日本仏教においては地蔵菩薩と同一の存在と解され、地蔵菩薩の化身ともされている。
後に閻魔の本地とされる地蔵菩薩は奈良時代には『地蔵十輪経』によって伝来していたが、現世利益優先の当時の世相のもとでは普及しなかった。
平安時代になって末法思想が蔓延するにしたがい源信らによって平安初期には貴族、平安後期には一般民衆と広く布教されるようになり、鎌倉初期には預修十王生七経から更なる偽経の『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略して『地蔵十王経』)が生み出された。
これにより閻魔の本地が地蔵菩薩であるといわれ(ここから、一部で言われている閻魔と地蔵とを同一の尊格と考える説が派生した)、閻魔王のみならず十王信仰も普及するようになった。本地である地蔵菩薩は地獄と浄土を往来出来るとされる。
なお前述の通り、十二天の焔摩天は同じルーツを持つ神ともいわれる。中国では閻魔天が閻魔大王に習合されていたが、日本に伝わった時にそれぞれ別個に伝わったため同一存在が二つに分かれたとも考えられている。
仏教が中国に渡り、当地の道教と習合していく過程で偽経の『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(略して『預修十王生七経』)が作られ、晩唐の時期に十王信仰は成立した。
【十王信仰】
☞十王の審理
死者の審理は通常七回行われる。
没して後、七日ごとにそれぞれ秦広王(初七日)・初江王(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二日)・泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理を担当する。七回の審理で決まらない場合は、追加の審理が三回、平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)となる。ただし、七回で決まらない場合でも六道のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質、救済処置である。もしも地獄道・餓鬼道・畜生道の三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居たならば徳が積まれる仕組みとなっている。
十王の裁判の裁きは特に閻魔王の宮殿にある「浄玻璃鏡」に映し出される「生前の善悪」を証拠に推し進められるが、ほかに「この世に残された遺族による追善供養における態度」も「証拠品」とされるという。
☞十三仏
十三仏(じゅうさんぶつ)は、十王をもとにして、江戸時代になってから日本で考えられた、冥界の審理に関わる13の仏(正確には仏陀と菩薩)である。
また十三回の追善供養(初七日~三十三回忌)をそれぞれ司る仏様としても知られ、主に掛軸にした絵を、法要をはじめあらゆる仏事に飾る風習が伝えられる。
13の仏とは、閻魔王を初めとする冥途の裁判官である十王と、その後の審理(七回忌・十三回忌・三十三回忌)を司る裁判官の本地とされる仏である。
1月16日と7月16日は、閻魔王の休日である。
この日は奉公人も仕事を休んで実家に帰れる藪入りとなった。
1月16日は初閻魔/閻魔賽日として閻魔の縁日となる。
関東から中部地方にかけては、7月1日には地獄も定休日として罪人を煮る釜のふたを開き、亡者を苛むのを休んだということから「釜蓋朔日」と呼び、この日から盆入りとする。
【密教の焔摩天・閻魔天(えんまてん)】
焔摩天は梵名をヤマといい、夜摩、炎摩、閻魔羅社などと音写します。
古代インド神話に登場する夜摩神は、人間の始祖の子供で人類で最初に使者となり、冥界への道を発見して死後の世界で首長となって天上世界に在る、と述べられています。また『マヌ法典』では、下界、奈落の主となって死者の生前の行為に従い、賞罰を司る神とされています。この時期の夜摩神(焔摩天)は死の神としての性格と、冥界の支配者としての二つの性格をもっていたようです。
仏教に取り入れられてからも、これらの思想を引き継いで、閻魔王(冥界の支配者)として人の生前の行為を判断する審判官となります。この閻魔王思想は、中国にも伝わり道教思想と混交(こんこう)して特異な発展をとげていき、五官王や八王、十王などの伝説を生み出しました。密教では「焔摩天」と称し八方天、十二天中の一尊として南方の守護を司っています。
高野山霊宝館「仏に関する基礎知識」より
胎蔵曼荼羅では、焔摩天は外金剛院・南方に配置され、片手に人の顔が付いた杖(人頭幢)を持ち、温和な表情で水牛の上に座る。
インド魔術「タントラ」の中で、自己の望みを邪魔する競争相手や敵に対して行われる「殺害法というのがある。灰色のカーリー女神を本尊として真夜中に南東に向って行う。行者は水牛の皮の上に「バハドラ・アーサナ」というヨーガの坐法で坐る。これは日本の密教で死の神とされる閻魔王が水牛に乗っていたり、チベット仏教の忿怒尊ヤマーンタカの足もとに死体と水牛があるのと似ている。
焔摩天の持っている杖には、人の頭がのっている。なんでや?なんて不思議におもった。
閻魔大王は、罪の重さをはかる天秤や生前の姿を映す「浄玻璃鏡、視目嗅鼻」によって亡者の善悪を見極めるというが、焔魔天の杖は、「人頭幢」といい、お皿は人の一生を照らし出す浄玻璃鏡「浄玻璃鏡、視目嗅鼻」の原型といわれている。頭は生前中の事を細かく見てと言われます。
「閻魔大王」といえば、「四国八十八カ所の第八十六番 志度寺(しどじ/しどうじ)」を思い出す。
「志度寺」ではなく「死渡寺」といい。境内の配置が面白く右回りになって「閻魔堂」に行く。そこには、実に珍しい 「冠に11体の観音像を載せた閻魔大王」が安置されている。開帳という記録は今までなく、正式な御開帳日に参拝することができた。写真撮影も許されたので興味のある方は、見て欲しい。
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