わたしだけ人間扱いされないし気持ちがあるのが許されない、●●●ーじゃないとまで言われる始末。すごくみんなが幸せになれる方法みたいなのをずっと考えて全員の話をきいて全員の気持ちきいてって、ひとりずつぐるぐるやってるうちにまた誰かがなんかやっちまう、みたいなのをずーっとやって、全ての人だよ、きみもなんだ、はいってんだよきみも、それを、どうにかできないかな?って考えてるのはわたしだけだったんですけど、だってきみはきみがどうしたいかだけだったでしょう。そういうのがいちばんこの世界を生きづらいっていうことを思い知りました。もうたくさんだよね。べつに誰に好かれたくてやってるわけでもない。
今年はもう自分の信念貫いてこう。えげつないねこんな時代。貫き方はあくまで自分流で、いちいちわざわざ下手な日本語に修正して告白する必要ももはやないだろう。自分のレベルの人間しか人として認識できないのは幼稚すぎる。
幸福を望むということはその手に幸福の予感のするかけらが無いということ、しかし変革が必要な人に限って相談しても"そう!だね!"以外を求めてはいないから、わたしの観を伝えることもできない、伝えたら一気にひっくり返って殺しにかかってくるんだから、何も言うことはないよ。そう言うのは、こっちだけ向き合っていたって仕方ないし、幸せになりたがりがりやがるがる、片想いはこっちの方っていうのがいつまでも伝わらないまま。マグロ相手に永遠に腰振ってる惨めでつまらないことを、それでも結びつきたいと強要されてそんなことのために私は歌っているのではない。