青森県近代文学館
The Museum of Modern Aomori Literature



平成24年度 調査員報告

葛西 千香子 調査報告

調査対象林 征二 はやし せいじ
プロフィル昭和43年青森市に移り住み、永六輔に認められて『話の特集』などに連載。『ヒモ』『ちんぴら』『津軽の女』の著作を残したが、急性肝腎症候群により38歳の若さで急逝した。
生没年1938(昭和13)年7月15日-1977(昭和52)年6月14日
主な作品『ヒモ』(大和書房、1971年) 『ちんぴら』(大和書房、1974年) 『津軽の女』(北の街社、1974年) 『林征二の世界』(長部日出雄編、津軽書房、1980年)
青森との関わり亡くなるまでの9年間、青森市で暮らす。『あかりしび』(北の街社)に連載した「津軽の女」は単行本化された。
作家解説   小説家、エッセイスト。昭和13年奈良市に生まれる(生前、昭和15年生まれと自称していた)。本名・並川征司。父は新聞記者から革新政党の県会議員になった人物だが、林征二の家庭は妾宅だった。並川は父親の姓で、ペンネームの林は母親の姓である。
  県立奈良高校時代からたびたび問題を起こし、立命館大学文学部に入学するも中退。一時、暴力団柳川組の組員であった。組を抜けて40年頃からストリップの世界に入り、踊り子の伴侶(世間でいうヒモ)として旅回りの生活をする。
  43年、踊り子のアヤ葉月(本名君子、後に結婚)とともに、青森駅裏にあったストリップ劇場「日江劇場」に草鞋を脱いだ。劇場で働きながら、永六輔のラジオ番組へ手紙を出し続けて、押しかけ弟子となる。永から文章を書くことを勧められ、46年から『話の特集』に「ヒモ」「ちんぴら」を連載。好評を博し、ともに単行本になった。『週刊サンケイ』『宝島』『小説マガジン』などにも執筆している。
  いきなりのメジャーデビューであるが、実は小学生の頃から文学少年で、日記や数多くの習作を書き続けてきた土台があった。酒席で乱れることが多かったものの、生来の正義感や人懐こさから中央や青森で多くの知己を得、愛された。青森では、『あかりしび』(北の街社)、『青森NOW』(青森大学)などに執筆。「従軍慰安婦や旅芸人の話を書きたい」と資料を集めていた中、急性肝腎症候群により38歳の若さで急逝した。
  特異な経歴で取り上げられがちだが、彼が常に強く心に思っていたのは「差別」の問題であった。没後の55年に出版された『林征二の世界』の編者を務めた長部日出雄はあとがきで、「かれが好んで作品の舞台に選んだ日の当たらぬ場所、見捨てられ、忘れられた場所は、(中略)いっそう日の当たらぬところへ押しこめられ、見捨てられ、忘れ去られていきそうなようすだ。(中略)林征二の書き残したものは、いまますます貴重な価値を持ちつつあるのではないだろうか」と記している。
関連資料『ヒモ』

図書 1971(昭和46)年12月15日 190㎜×130㎜

『話の特集』に連載した「ヒモ」シリーズを、大和書房が単行本として出版した林征二の処女作。装丁・イラストは灘本唯人。小池一雄らによって劇画本となったほか、昭和50年、森崎東監督・山城新伍主演で「特出しヒモ天国」(東映)として映画化された。