この質問に教科書通りの回答をすると以下のようになります。清末における不纏足等のいわゆる「女性解放」への動きは、だいたいが「精神」「身体」双方において「健全」な国民を創出するために「健康」な母親とその予備軍が必要だという認識から生まれたもので、その目的は「保国」「保種」にあった。
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だから当時の「女性解放」運動において女性の主体性はほとんど重視されず、むしろ「良妻賢母たれ」という新たな抑圧をもたらすものでさえあった。実際に運動の実態をかなり詳しく知ることのできる戊戌変法期における湖南の不纏足運動には女性の参加をほとんど見ることができず、
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むしろ女性を排除した男性の運動であったとさえいえる。当時の不纏足運動をナショナリズムのための徹底的な男性の運動と捉える先生がいるのも宜なるかな。だから当時における政治的先覚者が、女性観において保守的だったとしても驚くにあたらない云々。
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とまあその場では以上のように答えておいたし、このことはいまや中国近現代史においては常識でさえあるけれども、おもしろいというのはこの学生さんがひっかかった人間理解の陥穽っていうのは誰でも免れがたいなあと、あらためて思ったからでした。
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人間の能力や認識の発展は、あらゆる方面に均等に行われるのではなく、実際はかなりまだらな表れ方をするので、ある方面でとても優れた人間が別の方面では素人以下というのは、歴史上のいわゆる「偉人」でも普通にありうる。日常的に接してる家族や友人であれば、こいつはこの方面ではえらいけど
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こっちではあかんな、とか、こいつどうしようもないやつやけどこれに関してはすごいな、とかまだわかる。しかし文献を通して部分的にしか理解できない過去の人物については、こんなえらい人なんやから、とかこんなろくでなしなんやし、とたまたま目についた一面でもってそこ以外の面を類推しがち。
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