2020年01月01日
序
himy71(くぅ)による、ネットでの風評事件の詳細報告
一昨年12月21日より始まった、himy71(くぅ)なるものの、主としてインターネットを介しての嫌がらせ及びそれに付随した揉め事は、今現在、いったん収束したと考えています。
直接的な原因は、私の離婚問題に関してのことだと考えられますが、その点については、あくまで離婚の当事者同士の問題であり、この揉め事には、本来的に直接関係ありません。
ところで、今回のインターネットについての揉め事は別れた元家族とのことではありません。なんら関係ありません。
よって、当然、「揉め事の当事者」の一方は異なります。この「揉め事の当事者」は驚くことに、まったく無関係で何の脈略も無い人間(たち)なのです。離婚に関することや、私のプライベートにまったく関係のない輩による「卑劣で許しがたい、言葉の暴力」「犯罪行為」なのです。
その区別のために、この揉め事の当事者を「私と発信者A」と記しております。
発信者Aについての詳細な情報はまったくわかりません。
発信者Aこと「himy71(くぅ)なる人物は、それを隠れ蓑にして、匿名性の許す限り、ありとあらゆる手段を講じて私たち家族の安穏を妨害したのです。
まったく本人がしゃしゃり出てくるレベルの事由ではないにもかかわらず、首を突っ込んだ挙句、「無関係な方は黙っていて欲しい」といった私に対して逆切れし、逆恨みをしたのです。
そんなごく一般的な状況判断が出来ない人間だと思われるので、私は無視を決め込みましたが、日ごとに過激になる中傷ブログ、なりすましメール、私の知人、友人への嫌がらせ、そして犯罪行為...に、さすがに激怒の念を禁じ得ませんでした。
そこで私は、himy71(くぅ)なる人物の素性をなんとしても判明させて、そして判明次第、ありとあらゆる手段を講じて公的な場所に引きずり出そうと思い、昨年初夏頃より、某共産党員の方の協力を承り、私たちは綿密に作戦を練り上げ、慎重に遂行してきました。
私たちは何度もウェブ上でおとりを撒き、それに対してhimy71(くぅ)はすぐに反応を示してきました。昨年九月と十月には決定的な証拠を採取することにも成功しました。
思った以上の成果をあげることには成功したのですが、いよいよ訴訟準備に...とアクションを起こしかけた矢先の昨年12月、不穏な雰囲気を察知したのか、himy71(くぅ)は突如ブログ「イロイロ」を閉鎖し、逃亡したのです。今現在も逃亡中です。
すんでの所で取り逃がしたわけですが、私たちは今後も監視は怠りません。同じような行為を見つけ次第、今度こそ公的に、社会的・法的・経済的制裁を受けていただきます。
さて、事の発端は一昨年12月21日にこの発信者Aが忘年会に乗り込んできて、私のブログの削除の直談判に来たことにあります。私は離婚に際してかなり辛らつな意見を私のブログに書き込んでいました。それは今から思うととても情けないの一言に尽きる愚かな行為でありました。
結果論ではありますが、そのときに仮に、発信者Aたちと、ごく穏便に話し合いができたのならこういうことには、まずならなかったと思います。
しかし建設的話し合いをしに来たと言うわりにはお酒を多量に飲み、ブログ削除と直接関係のないことで言葉汚く私を罵り、誹謗中傷をがなりたて、その挙句に発信者Aにいきなり左顎を投打されました。今現在も、どことなく顎間接がしっくりいかず、左肩や左即頭部の痛みを伴っています。
そこで相手が、殴ったことを一言詫びればそれ以上はこちらも異議を申し立てるつもりは毛頭ありませんでした。
なぜなら、私のほうにも重大な過失があり、それを指摘してこられたことは正論だからです。
そしてその日未明、発信者Aの言う通りに、その日までに書いていた全てのブログ内の日記を削除いたしました。
ただそれだけの話でした。
その後も色々と友人のアドバイスを受け、この暴行事件については不問に付したほうがいいのではないかなと思いとりあえずは何も追求しないことにしました。
しかしながら発信者Aは、何かと私や、私の周囲の人間関係に探りを入れる不穏な動きを、暴行事件後すぐに見せ始めました(たんに監視という意味だったのかもしれませんが、それならば直接私を監視すればいいだけのことであります。周囲の人間に不快感を与える必要は全くありません。おそらくは自らの起こした事件の反応等に対して、相当ナーバスになっていたから、状況を探ろうと努めていたのではないかと思われます)。
そのことについて私も相当腹を立てました。その気持ちを歌にして音楽サイトにアップもいたしました。
その後イロイロとありましたが、それは「その二十一」からの時系列的整理を参照に。
とにかく、四月から五月頃にかけて「インターネットに私の事を中傷するような形をとり、質問サイトで質問しているhimy71という人がいる、それはどうやら発信者A本人のようだ」という情報を得ましたので、すぐに調べ確認、発信者Aだと確信いたしました。
結局それに付随して、突如この発信者Aから意味不明なメールが届くなど(メールと質問サイトとの内容はあきらかにリンクしている)いろいろなことが起こり始め、ことがまったく収束していないことをしっかりと認識しました。
私はその発信者Aの挑発を静観する構えでいました。静観というよりかは無視です。
しかし発信者Aの挑発に対し、私はそれにまんまと乗ってしまい、ついては自らのブログで辛らつにそれを批判し始めてしまいました。
それに対して発信者Aも自らのブログにおいて応酬を始めました。(検索ワード 「イロイロ himy71」)
それはやがてお互いの暴言合戦となってゆきました。
まず、その挑発にのってしまったこと、そして、泥仕合に付き合い、そしてどんどんエスカレートさせてしまったことを深く反省しています。
私自らが九月にリングを降りなければ、もっと酷い中傷合戦になっていたことは紛れもないことと思われます。
発信者Aが「一方的」と記述していますが、これはキッパリ言わせてもらえば誤りです。「双方ともに」が正しいと思います。つまり喧嘩両成敗です。原因がなければ揉め事は起こらないし、双方に落ち度がなければエスカレートもしないし、こんなに長引くことはありません。
ともにインターネットを武器にして汚い言葉の投げつけあいになったのは一方の責任ではなく、双方ともにあると思います。
またそのことでいろんな方が不快な思いをされたと思います。
この点についても皆様に深くお詫びいたします。
ところで、私が発信者Aの挑発で絶対に許せなかったことはいくつかあります。それ以外のことについてはなんと間の抜けた対応をしたことだろうかと自責の念にかられている次第です。
一つは、同和差別的な発言にまで言及してきたこと。
二つめは、犯罪者、または犯罪の前歴があるという虚偽の記述したこと。
三つめは、うつという病気に関して、専門医でもない発信者Aの独断と偏見による根拠のない分析と誹謗中傷。
最後に容貌等に関する揶揄。
この四つに対してものすごい憤りを感じてしまいました。
この四つに対して怒りを覚えたことを私は自己否定いたしません。人間として当たり前のことです。ただし、それに対しての対処法はごく感情的であり、誤っていたのも事実です。方法論を明らかに誤ってしまいました。そういう意味でも私はインターネットには向いていないごくアナログな人間なんだなと痛感いたしました。インターネットを使いこなすにはよほどの自制心と忍耐力がないと無理のようです。私はまだまだ人間的に未熟なので、そういう力量が伴っておりません。
なので、この記述以外、今後インターネットでブログを書くことはありません。今回の件で、ネット社会の恐ろしさをも痛感したからです。
このブログについては一定期間ネット上に残すつもりですが、私自身も観閲することもありません。
また、今後の発信者Aとの問題の進展度やその過程については公的な場においてのみ発言いたします。ネット等では一切触れません。
事の顛末をしっかりと残しておこうと決心して(私の家族、知人、友人、長男等に対して)何ヶ月ぶりかにブログを書くことにいたしましたが、読みづらい点も多々あろうかと思います。そこは恐縮ですが私の文章力のなさと理解していただければ幸いです。