保釈条件に違反してレバノンに出国したゴーン氏が日本の刑事司法を批判していることに関して、「有罪率99%」のことが議論になっている。
池田信夫氏は、【「有罪率99%」という誤解】と題する記事で、
刑事訴訟の総数(併合を除く)49811件の中では、有罪率は99.8%である(司法統計年報)。だがこれは「逮捕されたらすべて有罪になる」という意味ではない。
警察が逮捕して送検した被疑者を検察が起訴する率は63%で、有罪件数を逮捕件数で割ると国際的な平均に近い(ジョンソン『アメリカ人のみた日本の検察制度』)。多くの国では容疑者を起訴することは検察官の義務とされているが、日本では起訴するかどうかは検察官の裁量にゆだねられているため、確実に有罪になる者しか起訴しないからだ。
と述べている。また、「猫組長」という、元暴力団組長という経歴からして日本の刑事司法について語る資格があるとは到底思えない人も、同様のことを言っている。
池田氏が引用するジョンソン氏の著書は、外国人の立場から日本の検察の制度と実態を描いた貴重な著書であり、この著書を読んで勉強されたと思われる池田氏の指摘は、一般の刑事事件については概ね正しい。
しかし、そこには、「特捜事件における有罪率」という観点が完全に欠落している。ゴーン氏は、東京地検特捜部が、羽田空港への帰国直後に「衝撃の逮捕」を行った事件であり、まさに「特捜事件」である。
特捜部が、被疑者を逮捕する事件では、検察組織が、「独自に刑事処罰をすべき」と判断するからこそ逮捕するのであって、それを自ら不起訴にすることは、ない。(小沢一郎氏の政治資金規正法違反事件は、逮捕はされていないし、そもそも告発事件で検察が独自に刑事立件したものでもない。)警察の判断で逮捕した事件について、検察が起訴・不起訴の判断をするのとは根本的に異なり、特捜事件においては、池田氏が言っているような「逮捕された被疑者のうち、確実に有罪になる者しか起訴しない」という選別は働かない。ターゲットにされた人物とともに下っ端の人間が、「捨て駒」的に同時逮捕され起訴猶予になる場合を除き、特捜事件においては、「逮捕=起訴」だ。
そして、検察は、一旦起訴した以上、検察の組織の「面子」にかけて、何が何でも有罪判決を獲得しようとする。そして、検察が組織を挙げて有罪を獲得しようとし、司法メディアも「有罪視報道」しているのに、裁判所がそれに抗って無罪判決を出すことは、まず、ない。
仮に、一審で無罪判決が出ても、検察は間違いなく控訴し、控訴審で逆転有罪となる。(村木厚子氏に対する一審無罪判決に対して検察が控訴を断念したのは、「証拠改ざん問題」の発覚が影響したものと考えられる。)
過去に、特捜事件で逮捕された事例で最終的に無罪が確定した事例は、ほとんどないに等しい。そういう意味では、特捜事件においては、まさしく、絶望的な「有罪率99%」なのである。
ゴーン氏の弁護人の高野隆弁護士が、【彼が見たもの】と題するブログ記事を投稿し、「確かに私は裏切られた。しかし、裏切ったのはカルロス・ゴーンではない。」という言葉が、海外でも大きな反響を呼んでいる。
その中で書かれているように、「公正な裁判(a fair trial)は期待できるんだろうか?」とのゴーン氏の問いに対して、高野弁護士は
無罪判決の可能性は大いにある。私が扱ったどの事件と比較しても、この事件の有罪の証拠は薄い。検察が無理して訴追したことは明らかだ。われわれは他の弁護士の何倍もの数の無罪判決を獲得している。弘中さんも河津さんも、著名なホワイト・カラー・クライムの裁判で無罪を獲得している。だからわれわれを信頼してほしい。必ず結果を出してみせる。
と答えたものの、その後の
一向に進まない証拠開示、証拠の一部を削除したり、開示の方法に細々とした制限を課してくる検察、弁護人に対しては証拠の目的外使用を禁じる一方で、やりたい放題の検察リーク、弁護人の詳細な予定主張を真面目に取り上げないメディア、「公訴棄却申し立て」の審理を後回しにしようとする公判裁判所、いつまでも決まらない公判日程
などで、ゴーン氏が絶望していったことに、理解を示している。
そして、高野弁護士は、昨年4月以降、妻との接触が制限されているゴーン氏と夫人との僅か1時間のビデオ面会に立ち会った時に思ったことを、
私は、日本の司法制度への絶望をこのときほど強く感じたことはない。ほとんど殺意に近いものを感じた。
と述べているである。
ゴーン氏が直面したのは、一般事件の「有罪率99%」より遥かに絶望的な、「特捜事件における有罪率99%」の世界だった。
刑事司法全体における「有罪率99%」には、「誤解」という面もあることは事実である。しかし、その見方で「特捜事件」を論じるのは、さらに大きな「誤解」である。