246.若き八本脚馬の悩み
「あれ、馬車が変わりました?」
商業ギルドからの帰り、馬場で待っていたのはいつもの馬車ではなかった。
馬は
不思議がっているダリヤに、メーナが説明し始めた。
「ああ、いつもの馬がお見合いだそうで、牧場に帰ってます。ここから寒くなりますから、副会長が冬向けの暖房のできる箱馬車に変えたんです。それで、若くて力のある
その姿と、うれしげないななきには覚えがあった。
「もしかして……
「ああ、ダリヤさん、よくご存じですね。この『十二番』は紫葡萄が大好きなんだそうです」
まさかの再会である。
ちょっぴりうれしくなりつつも、耳にひっかかる言葉があった。
「『十二番』というのは何ですか?」
「この
仕方がないことなのだろうが、ちょっとかわいそうにも思える。
「新しい馬車はなかなかよさそうですね。ダリヤさん、
「大丈夫です。この子、昔、借りたことがあるんです」
「そうでしたか、縁があったんですね」
イヴァーノは鞄を脇にはさむと、
目を合わせ、ゆっくりとたてがみを撫でる。
「林檎も梨も持ってないぞーって、ああ、忘れてました、これ」
イヴァーノが一歩下がり、上着のポケットから何かを取り出した。
かぴかぴの緑の寒天を思わせるそれは、先日の実験でできた産物――薬液でグリーンスライムの粉と溶き、火魔法を入れたものである。テーブルにくっついたそれを引きはがし、そのままポケットに入れていたらしい。
「フォルト様は、これで繊維を作りたかったみたいですけど、残念でしたね」
「ええ、ルチアも同じことを言ってました。でも、布に使うには細かすぎ、耐久性もなくてダメだとか……」
「グリーンスライムはいろいろ食いますから。草だけってことでもありませんし」
「ですよね。使える物ばかりがそうそう続くわけは……あっ!」
イヴァーノの手に向かい、
長い舌でするりと絡め取ると、そのままむしゃむしゃと咀嚼する。
「ちょ、お前! それ食べ物じゃないから! 吐き出しなさい! ほら、ぴっしなさい!」
それを見て、御者台に乗りかけたメーナがふきだした。
「ダメですよ、副会長。真横で緑色の干し草なんか出されたら、そりゃ食べますって。
ヒヒンと、同意するように鳴いた
「うわ……食べてしまった……」
「メーナ、食べたのは干し草じゃなく、グリーンスライムを加工したものなので、お腹を壊さないかと……獣医さんを呼んだ方がいいでしょうか?」
「お二人とも、そんなに心配しなくて大丈夫ですよ。
「でも、スライムですよ? いくら乾かして粉末にしているとはいえ、胃がやられないかと……」
「ダリヤちゃん、
「そんなことが……」
魔物図鑑にもなかった話だ。なかなかにワイルドな生態であるらしい。
「ほどほどのおやつみたいなものなんでしょうね。休ませているときに自分から取りに行くほどじゃないですから」
「スライムを食べて、口を火傷したりしないですか?」
「しないしない。こいつが言ったろ、
「え?」
思わず
きらりと光る白い歯は確かに丈夫そうだが、スライムを食べるところはどうにも想像できない。
「……よっぽどさっきのが気に入ったらしいですね」
イヴァーノの肩、
「そんな子犬のような目をしても……ポケットにもう一つあるのがわかってるんだな、お前、賢いな……」
「副会長、弱っ!」
からかいを込めて笑ったマルチェラに対し、イヴァーノが真顔を向けた。
「ではマルチェラ、私に代わってお断りを。この目を見ながらお願いします」
言われていることを理解したのか、今度はマルチェラに首を向ける
黒い瞳がうるりうるりと揺れて彼に向く。
見つめ合うことしばし、先に視線をそらしたのはマルチェラだった。
「……あー、腹は壊さないと思うので、食わせてもいいと思います」
「でしょう! マルチェラも負けるじゃないですか!」
イヴァーノがうれしげに言っているが、二人とも同じである。
なお、自分も勝てる気はしないので、話には加わらないことにする。
「さすが美人さんだけありますね」
御者台に乗ったメーナが、笑いながら二人を見た。
「美人さん、ですか?」
「この
「
「いえ、理想が高いらしいです。他の
イヴァーノに撫でられ、目を細めている様を見ると、攻撃的なところがどうにも想像できない。
こればかりは本当に相性なのだろう。
「かなりのじゃじゃ馬か……ま、そこまで強いなら、馬車馬には最高だな」
「いいことです。この子にも、いつか好きな人――じゃなくて、好きな相手が見つかるといいですね」
まるでダリヤの言葉にうなずくかのように、
・・・・・・・
翌々日、ダリヤは緑の塔に近い、西区の馬場に来ていた。ヴォルフも一緒である。
ダリヤの持つ
馬場の裏手の馬舎には、十二番と名付けられた
その手前、イヴァーノ、マルチェラが獣医の話を聞いている。
メーナは商業ギルド、ロセッティ商会の留守番役だそうだ。
「先生、どうでしょうか?」
心配そうに尋ねるのはイヴァーノだ。
この
本来、
やはりグリーンスライムの加工品にあたってしまったのだろう――そう判断し、昨夜、魔物も看られる獣医を頼んだのだ。
どうにも気になって、ダリヤもヴォルフと共に様子を見に来たのが今である。
「どこも悪いところはありませんね。すこぶる健康です」
獣医はあっさりと答えると、まくっていたシャツの袖を直し、外套をはおってしまった。
「しかし、
「それは単純に満腹だからです。魔力がみなぎっていれば、食事がいらないのです」
「満腹?」
「食事がいらない?」
聞いている皆で首を傾げる。
獣医は自分の説明不足に気がついたらしい、笑顔で続けてくれた。
「
「よかったです……」
「むしろ絶好調でしょうね。眠れないのは力が余っているだけでしょうから、遠乗りにでも連れて行って、思いきり走らせてあげてください。ああ、乗る方はくれぐれも慣れている方にしてください」
獣医が帰って行くと、皆が安堵に表情をゆるめる。
当の
「ダリヤ、おやつは食べられるらしいよ」
「甘いものは別腹って言いますから」
ヴォルフと共に笑いながら、紫葡萄を一粒差し出してみる。
「なんともなくてホントによかった。でも、あんな量で、よく二日も腹がもちますね」
「ああ、よっぽどあれが高魔力で……あっ!」
言いかけたヴォルフが、いきなり声を大きくした。
「あれで
「はい?」
「あー! ちょっと今の医者に口止めしてきます。マルチェラ、この後で、馬場の皆さんへ同じくよろしく」
「わかりました!」
「イヴァーノ、隊と兄、どちらが先だろう? 兄は今日屋敷にいるけど」
「グイード様が先です! できれば早めに行ってください。スカルファロット家の
「わかった! ダリヤ、終わり次第、塔に戻るから」
「あ、はい……」
話がよく見えないが、この急ぎっぷりでは尋ねづらい。
そして、彼らの話はまだ続いていた。
「すみません、ヴォルフ様! 医者の次にあの
「わかった!」
「会長、マルチェラに送ってもらって、塔でお待ちください。後でまとめて報告します! うちの馬になりますので、『十二番』じゃない名前でも考えていてくださいね!」
「ダリヤ、また後で!」
ダリヤの返事は間に合わず、ただ駆け出す二人を見送った。
「会長、おそらくぴんとこないと思うので、くわしく説明しても?」
「お願いします、マルチェラさん」
頭が混乱していたせいか、つい、さん付けに戻ってしまう。
お互いにそれに笑んだ後、説明を聞き始めた。
「馬は牧草や乾いた草、果物なんかも食べるけど、魔物討伐部隊みたいな遠征や遠出のときに食べるのは飼い葉が多いです。大体、一日で小麦の大袋の半分くらいの重さ、
小麦の入った大袋は確か三十キロ近い。そんなに食べるのかと驚いた。
「それと、馬も
「ああ! そういうことだったんですか!」
ようやくわかった。
あのグリーンスライムの付与品は、
しかも、遠征にとても便利な――ヴォルフが急ぐわけである。
「これが実現できたら、運送ギルドは
古巣を思い返したマルチェラが、遠い目でつぶやいた。
ふと、冒険者ギルドのアウグストの顔が浮かんだ。
イエロースライムだけでも忙しそうだが、そこに第二段のグリーンスライムが加わるかもしれない――少々申し訳なくなる。
なお、イデアについては想像してもいい笑顔しか思い浮かばなかった。
話を終えると、マルチェラは馬場の者達の口止めに行った。内容的に早い方がいいだろうと思えたからだ。
それを待つ間、ダリヤはまだ紫葡萄をちらちらと見る
話題の中心である彼女は一房を食べ終えると、満足そうに水を飲み始めた。
「ねえ、一昨日のグリーンスライムって、おいしかった?」
なんとはなしに聞いてみる。
が、
言っていることが通じているようで楽しい。
ヴォルフと最初に会った日、この
あの日も今日も、とてもおいしそうに食べた紫葡萄。
籠にもう一房あるそれを眺め、ふと気になったことを尋ねてみる。
「紫葡萄と、一昨日のグリーンスライム、どっちが好き?」
丸く黒い目は一度大きく見開かれ、その後に陰り、地面に伏せられた。
草を
ダリヤはこの日、
あけましておめでとうございます。
昨年中はたくさんの応援を頂き、誠にありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いします!
(おかげさまで4巻の刊行が決まりました! 活動報告にてご報告しております)
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