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 長期政権のひずみが広がるのか、それとも、新たな一歩を踏み出せるのか。

 分岐点の1年である。

 第1次政権と合わせた通算在任日数が歴代最長となった安倍首相は、8月末まで政権を維持すれば、連続在任日数も佐藤栄作を抜き歴代最長となる。

 東京五輪の後は、自民党総裁任期が残り1年となる首相の後継に、政界の関心は一気に向かうことだろう。

 しかし、大切なことは、単に「ポスト安倍」に誰が就くかではない。「安倍政治」がもたらした惨状をどう修復するのか。その視点こそが基軸とならなければいけない。

 ■「仲間」と「敵」を分断

 昨春の「桜を見る会」の動画が、いまも首相官邸のホームページで公開されている。

 「皆さんとともに政権を奪還してから、7回目の桜を見る会となりました」

 首相はあいさつを、そう切り出した。野党に投票した人を含め、国民全体に責任を負う立場を忘れ、「仲間」しか眼中にないような発言は、はしなくも首相の政治観を露呈している。

 半年後、この会の招待客をめぐり、首相の私物化への批判が噴き出すことになるのも、当然の成り行きだ。

 表裏をなす光景が、昨夏の参院選の首相の遊説で見られた。首相を激励するプラカードを掲げた支持者らが周囲を固め、批判的な聴衆との間に「壁」をつくる。ヤジを飛ばした市民が警察に排除された会場もあった。

 森友・加計学園から桜を見る会まで、この政権で繰り返される諸問題に共通するのは、首相に近しい者が特別な便宜を受けたのではないかという構図である。一方で、首相は野党やその支持者など、考え方が異なる者への敵視を隠さない。

 分断をあおり仲間内の結束を固める政治を続けるのか、多様な国民を幅広く包摂する政治に転換するのかが問われている。

 ■憲法の理想から遠く

 「この憲法が制定せらるる以上は、立法府が国家政治の主体であって、行政府はその補助機関とならなければならぬ」

 「議会政治の父」と呼ばれた尾崎行雄は1946年8月、日本国憲法の衆院本会議での可決に際し、そう演説した。議会の力が弱かった戦前の反省を踏まえ、「国民総意の発現所たる議会」こそが政治の中心であるべきだと訴えたのだ。

 しかし、日本の政治の現状は、尾崎の理想とは全く逆である。「安倍1強」の下、与党は首相の意向につき従い、「多弱」の野党も力不足だった。先人が営々と積み上げてきた議会制民主主義は、安倍政権の7年で劣化を極めた。

 政治不信の深刻さを示すひとつのデータがある。「言論NPO」が昨年9月に実施した日本の民主主義に関する世論調査だ。政党や政治家に日本の課題解決は「期待できない」との回答が7割に達し、国会が「言論の府」に値するとの答えは9%と1割にも満たなかった。

 どうしたら国会が本来の役割を発揮できるのか。それは喫緊の最重要課題のひとつである。

 自民党は今年11月に結党65年を迎える。55年の発足時に定めた「党の性格」は、第1に「国民政党」を掲げ、「特定の階級、階層のみの利益を代表し、国内分裂を招く階級政党ではない」と宣言した。

 当時最大のライバルだった社会党を意識した自画像かもしれないが、自民党はその後長く、党内にさまざまな潮流を抱える政党であり続けた。歴史や社会、憲法に対する考え方も決して一色ではなかった。

 ■一色に染まった自民

 しかし、小選挙区制の導入後、党中央の統制が次第に強まり、こちらも安倍政権下で極まった観がある。党内のほぼすべての派閥が首相支持になびき、非主流派はあからさまに干される。活発な党内論議は失われ、自浄能力も期待できない。

 こんな自民党の姿でいいのか。党内で首相の後をうかがう者が問われるのはそこだ。

 野党の役割も重要である。先の臨時国会では、立憲民主党や国民民主党などが統一会派を組み、共産党とも連携して、桜を見る会の追及などで、それなりの成果を上げた。強い野党は政権に緊張感をもたらし、一定の歯止めをかける道も開ける。

 立憲・国民両党は次の総選挙をにらみ、合流に向けた協議を続けている。ただ、「元のさや」に収まるだけの数合わせでは、国民の期待を引き寄せることはできまい。自公政権では実現できぬ社会像を示し、政治に失望した人々をも振り向かせる力強いメッセージを発することができるか否かが鍵となろう。

 もちろん首相の党総裁任期はまだ1年9カ月ある。また、首相の手による年内の解散総選挙の可能性も否定できない。これからの日本政治が何をめざすのか。まれに見る長期政権の功罪と正面から向き合い、日本の民主主義を立て直す方途を探る1年としなければならない。

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