2015年8月、一橋大学法科大学院生の男性が、大学敷地内で転落死する痛ましい事件があった。この男性は同年6月、同性愛者であることを同級生に同意なく暴露される「アウティング」の被害を受けた。その後、複数回にわたって大学のハラスメント相談室を訪れていたが、8月24日の授業中にパニック発作を起こし、相談員らと面談した後、建物の6階から落ちた。
遺族側はアウティングの被害を知ったにもかかわらず、大学が適切な対応を取らなかったなどとして、2016年3月に大学と同級生に対して損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。同級生側とは2018年1月に和解が成立したが、大学に対する訴えは2019年2月の判決で棄却された。遺族側は控訴し、現在東京高裁で係争中だ。
アウティング事件と梁さんの被害に共通しているのは、大学がその事実を知りながら、問題を放置したことだ。差別を受けて大学に相談しても、有効な対策をとってもらえないために、被害者である学生はさらに苦しむことになってしまう。
一橋大学の元准教授で、今年4月から専修大学に教授として勤務している河野真太郎氏は、現代ビジネスに『私が一橋大学の教員を辞めた理由〜国立大に翻弄された苦しい日々』を寄稿した。この記事には大きな反響が寄せられている。
河野氏によれば、国が進めた大学の「新自由主義化」によって、「改革」をより多く達成した大学に高い評価と資金を与えるようになる。その「改革」にはいわゆる「ガバナンス改革」も含まれる。その結果、一橋大学では非正規教職員の雇用が削減され、ほかにも、英語教育の外注化や第二外国語の必修廃止など、学生のためとは思えない改革が進み、探求や学びの場としての大学の姿が失われた、と河野氏は指摘している。
「グローバル基準」を達成するための「改革」を進めておきながら、学生が教員から差別的な発言を受けても、アウティングをされても、一橋大学としては何ら問題を感じないのだろうか。これが世界最高水準の社会科学系大学を目指すという指定国立大学法人の実態だとすれば、極めてお粗末な話だ。