預言者・宮内春樹師とお会いしました。◆未分類 五月以来会ってなかったというか会う機会がなかった宮内師が金沢まで来られたのでお会いしてきました。普段は周りに宗教の話出来る相手がいないので思う存分宗教談義に。 以下、今日のお話しの色々。 ・自殺について 聖久律法会の教義に於いて自殺は聖なる行為とされています。では、例えば無信仰の人間が自殺するのは聖となるのか? という疑問が出てきます。自殺が尊いのはあくまで「主を信じ、その御許に帰る」から聖なる行為なのであって、そうでない場合は当て嵌まらないということでした。 また、多くの自殺は「生きられないことへの絶望」から来るものであって、その絶望の原因を探ると大体社会と個人の関連に落ちつくようです。これを私は「社会的他殺」と呼んでいるのですが、そのような動機の自殺は最早社会に殺された「他殺」であって自殺じゃありません。 あくまで聖化される自殺というのは自分の意思による「殉教」でなくてはならないということでした。 ・聖久律法会の罪 宗教に禁忌は付きものです。聖久律法会で悪とされる行為はどのようなものか、というのが結構長い間疑問だったので伺いました。 最も重い罪は棄教。そもそも聖久律法会は入るのに資格とか手続きがないという集団です。その繋がり(神>預言者>教徒という構図)は完全に「信じる」という一事に依存しています。その為、一度信仰の道に入っておきながら教えを捨てる人間はこの基本構造を裏切っていることになるので、これは必然でしょう。 次に虚言。嘘をつくことですが、神と預言者、つまりは信仰と無縁のところで「嘘も方便」的に使うことは許容されます(そこに悪意があれば別ですが)。しかし、信仰の道に関して、神の名の元に嘘を吐くことは許されません。宮内師の語録に「信仰を不必要に隠すな」という御言葉がありますが、隠すことも婉曲的な嘘です。且つ、信仰を持つことは何も恥ずべきことではないので隠す必要がそもそもありません。 次に、これは内部ではさして問題にならないのですが、宗教者への迫害も罪悪となります。新興宗教というと色眼鏡で見られがちですが、そこから更に進んで宗教者を馬鹿にするような発言をする人間は地獄に落ちます。 ・教徒の生活 これは既に多くの御言葉があるので(近いうちに『新約宮内春樹語録』が出ます)余り多くは書きませんが、最も大切なことは常に神という存在を意識し、自分の行動が神への奉仕となるように心掛けることとのことでした。例えば他人の手助けや社会的な奉仕など、神が御定めになったことを為すことは他人への奉仕ではなく神への奉仕ということになります。これを常に心がけよと。 また、喜捨を出すことは教徒の義務ですが、喜捨を受けることも必要です。日本では所謂「恥の文化」があるので他人に施しを受けることが恥ずかしいことと思われがちですが、困っている人間に喜捨をする心(まったく自信の名誉欲などを排した境地)は喜捨を戴くことから生まれます。 ・原発問題 宮内師が啓示を受けた当初に誰かが質問していたことで、今まで明確に解答が(私の確認した範囲では)なかったのでお伺いしました。 結論を言うと「原発があろうとなかろうと人は死ぬんだから殊更に騒ぐことじゃない」ということでした。命を縮めることを尊ぶ聖久律法会は正面から「死」というものを考える宗教団体(という言い方が怪しげに感じるのならば一つの哲学思想サロンと思って下さい)なので、原発問題などは確かに冷静に考えて大した問題ではないのです。寧ろ(これは私の考えですが)そのような社会問題によって本来的に人間が向きあうべき「死」という問題が人の意識に覆いをかけてしまう現状の方が危機的です。 とても乱暴にまとめると、(特に自然)科学という名前の妄想(師の御言葉では「偶像崇拝」)を捨てて早く殉教しましょうということになりますね。そしてそれが出来ない人は神と宮内師を信じよと。 これを励みに一層聖久律法会の伝道師として精進していこうと思います。 スポンサーサイト
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コメントの投稿comment◆質問です
お答えにならなくても構いませんが、それは無視という一つの態度と捉えます。一週間以内にご返答いただけると幸いです。
質問はただ一つです。 本当に心の底から曇り無く、宮内氏の教えを信じてらっしゃいますか? 何か迷いのようなものや、答えがない道の中の光として、或いは自分の疑問を話し合える相手としで宮内氏を捉えてらっしゃいませんか? 私に返答を頂けるのであれば、ブログ内でお願いいたします。私の言葉は引用いただいて結構です。 貴兄のより良い道のためにお力になれればと願っています。お返事頂ければ、次回私の連絡先をお教えいたします。 では、失礼いたします。 |
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