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2019年9月に日本法人社長から米本社の副社長に転じた。世界で30万社超ある販売代理店など「パートナー」との連携戦略を練る。巨大企業の経営幹部となった今、日本の行く末に危機感を隠さない。

(聞き手は 本誌編集長 東 昌樹)

(写真=村田 和聡)
PROFILE

平野拓也[ひらの・たくや]氏
1995年米ブリガムヤング大学卒、兼松の米国法人に入社。98年に米ソフトウエア企業に転じ、同社を買収した米ハイペリオンの日本法人社長を2001年から務める。05年にマイクロソフト日本法人入社、企業向け事業を担当する。11年からマイクロソフトの中央・東ヨーロッパ事業を率いて、14年に日本法人復帰。副社長を経て15年7月社長就任。19年9月から現職。日本法人の特別顧問も兼務する。日本人の父と米国人の母を持つ。北海道出身。49歳。

米マイクロソフトの日本法人社長から米本社の副社長に転じて3カ月余り。どうですか、働き心地は。

 良くないですね(笑)。本社に移ることは全然、予想してなかったので、戸惑いました。お客様やパートナーとの距離が遠くなってしまい、自分の意思決定がどんなインパクトを及ぼすのかが見えにくくなってしまうことに難しさを感じていますね。

 (人事の)打診があったときに、何人かの幹部と話したんですが、そのときの僕の最初の質問は「How do you measure success?」でした。どんなふうに成功を測るのかと。売り上げだけでインパクトを測るのは不十分じゃないかという思いが強くあったんです。

 例えばシェアをもっと考えたほうがいいのか、パートナーの能力を一緒にどう高めていくのか。そんなことをいろいろ考えながら、最初の2カ月ちょっとは社内でたくさんの人に会って、議論して、自分の考えが合っているのか、間違っているのか、どんどん当てていって。戦略を練ることに時間を割いてきました。

ご自身の強みは何だと思いますか。

 難しい質問ですね(笑)。幸い、アジアや欧州、米国と違う場所に実際に住んで、様々なタイプのお客様と仕事をしてきました。そうしたことから、いろいろなものに対する見方や意見に共感することができるというのは、私の特徴ですかね。

日本人と米国人のハーフということで、平野さん自身がダイバーシティーを体現している面もあるんでしょうね。

 そうかもしれませんね。米国人の母からは「信じれば何でもできる」と言われ、日本人の父からは朝から乾布摩擦を一緒にするぞ、と(笑)。

 ミドルネームがないですね、とよく言われるのですが、それは父がいじめられるのは良くないから、アメリカの名前は取っておこうと気遣ったからなんです。当時はハーフは周囲にあまりいなかったですし、僕自身、楽しくない思い出もありますよ。

日本法人の社長時代は若手社員との交流の機会を重視した
日経ビジネス2020年1月6日号 74~79ページより目次