※ 『キーノの旅』の後日談になります。ネタバレ有り。
キーノという少女がいる。
モモンガこと鈴木悟の大事な吸血姫だ。
現在はナザリック地下大墳墓の一室にて、寝台の上で寝転がってサトルのことを見上げている。
以前お互いの感情ゆえに生じていた、意識した緊張感はない。
衣ずれも、流れる髪の音色も、吐息も耳に馴染んでいる。
それだけの時間が経っていた。
それほどの昼夜を共に過ごした。
そんな
「メイドさんの服って可愛いよね?」
サトルは空気の読める人物である。
分裂寸前だったクランを引き継ぎ、新ギルドマスターとしてまとめ上げたのは伊達ではない。
ここは無難に同意を返しておく。
「……ふーん、やっぱりそうなんだ……」
何が? そう聞き返したいのをサトルはグッと我慢した。
これは誘導尋問の引っかけかもしれない。
問いを発してから、ちらっちらっと反応を窺うキーノの様子に残念だったなと心中で勝利を挙げる。
「……私も着てみよっかなぁ~?」
鈴木悟は状況判断に優れた人物である。
精鋭揃いだった上位ギルドで、ワイルドとして対応力を絶賛されたのは伊達ではない。
幾度となく修羅場を潜り抜けたベテランなのだ。
この場合、正解はこうだろう。
「防御力が下がるぞ?」
「……………………」
教訓。
空気を読めても、女ごころを読めるとは限らない。
キーノは驚きで見開いた瞳で、ゆっくりと大きくまばたきを一回。
大丈夫。これくらいへーきと心の中で唱える。
一度諦めた想いは、もう二度と手放さないと誓ったのだから。
それから頭をぶんぶんと振って、再度トライを敢行した。
「防御力が下がっちゃったら……」
言いかけたままキーノは仰向けの身体を起こし、両手と両膝の四つん這いで子猫のように距離を詰めた。
サトルの膝に乗り、彼の胸元に体重を預けると悪戯っぽく少女がささやく。
「……サトルにえっちなことされちゃうね」
以前のサトルなら、ここで狼狽し精神抑制に助けられたに違いない。
そしてキーノがしてやったりと笑う黄金パターンだ。
だが、鈴木悟は学習する人物である。
それだけの昼夜を共に過ごしたのだ。
「そうだな―――」
両腕を少女の身体で交差させて封鎖。
腕の中の小鳥を逃がさない。
小鳥の方に逃げる気があるかどうかはさて置き。
「キーノの恥ずかしがる様が楽しみだ」
不安を煽って邪悪感たっぷりに、クククッと嗤ってみせる。
さらに絶望のオーラ・I(恐怖)を起動。
精神耐性を持つアンデッドには効き目がないので、純粋にエフェクト効果を狙ったものである。
雰囲気作りは大事だ。
「後悔するなよ?」
「……う、うん。……や、優しくしてね……」
教訓その2。
好きな相手を前にして、雰囲気にほだされるのは男女を問わず大多数である。
え、何それ?
首すじまで真っ赤にして、なに言ってるのキーノ?
冗談だよね? えっ、えっ? ええええええええっっっーーー???
慌てまくるサトルの内心をよそに、えへへとキーノが口元を緩ませる。
ポタポタとサトルの膝に雨を降らせながら。
「ちょっ!? ここで何で泣くのキーノ!?」
「いいの。これは嬉しくて泣いているんだから」
泣き虫なのは相変わらず。
反射的にサトルが指先でキーノの頬をぬぐう。
濡れた頬に金色の髪が数本貼りついて少し艶めかしい。
サトルの指先に絡みついた微かな輝きを引っ張らないように戻し、撫でつけるように優しく手のひらを当てた。
喉を鳴らす子猫のように、まぶたを閉じてキーノが満足そうにうっとりとする。
「ダメだぞ。泣くのは赤ちゃんの仕事だろ」
「ふふっ、そうだね」
キーノはスキル“
姫から母へと成った彼女は、見た目の上では以前と変わりない。
だが、対象の魔力を見抜く魔法<
形を得ていない不確定の生命として、小さな未来のナザリックの一員は彼女の中で息づいている。
それは賑やかで、善悪のない混沌に満ちた存在だ。
サトルの「騒々しい。静かにせよ」が封印される日が来るだろう。
「ベビーシッターの仕事が増えてメイド達が喜ぶだろうな」
「コキュートスさんは少し残念がるかも」
実際まだ誕生していない御子を巡り、NPCたちの間でも論議されているらしい。
吸血鬼だからミルクでなく血を吸いそうだとか。
護衛を兼ねて
至高の揺り籠を作成すべくデミウルゴスが素材の骨を吟味したり、アウラが毛皮を求めて狩りに出向いているとか。
「でもやっぱり、私もメイドさんの服、着てみたいなぁ……」
「えっ、ここにきて話を最初に戻すの?」
「分らない? もぉー」
頬をふくらませてキーノが顔を上げた。
目と目を合わせて、強い意思でサトルに抗議する。
「私だって、サトルのお世話したいもん」
サトルは勘違いしてた己を恥じた。
見慣れない格好をした自分を見て欲しい。
そんな可愛らしい我が儘だと予想していたのだ。
「……もう既にお世話されているさ」
腕の中にいる
小鳥の方に逃げる気が全くないと知っていても。
サトルの頭が下りて少女の唇と触れ合う。
それこそ小鳥同士がついばむように、くすぐったいキスは不器用な二人に相応しかった。
さて、メイド(maide)の語源は乙女(maiden)。
乙女ということで元々は結婚前に奉公している女性を差していた。
働き手として社会に出た乙女たち。
愛ある母になる前の恋する乙女たち。
想像に満ちた夢も、歴史を紡ぎ始める揺り籠の小さな生命も、全ては夜に作られる。
ゆえに世界は
~ Fin ~