引用元:歴史の教科書「すまん鎌倉幕府成立年違ったわw」「すまん江戸時代に士農工商なんてなかったわw」
http://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1577581027/
1: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 09:57:07.87 ID:P+v9Vemc0
「すまん、聖徳太子おるかもしれんしおらんかもしれんわw」
2: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 09:57:21.91 ID:VuxeMRio0
草
9: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 09:59:14.52 ID:7FDQtBe+0
士農工商はただ職業分けてただけで身分格差とかは無かったってことやで
122: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:11:27.61 ID:vLSvLviW0
>>9
昔から言われとったな
農民が1番きついから
名目上商人より上にしてたって
武士は武器持ってるけど
商人は武士に金貸すから強いとかな
昔から言われとったな
農民が1番きついから
名目上商人より上にしてたって
武士は武器持ってるけど
商人は武士に金貸すから強いとかな
579: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:42:52.40 ID:i6nXgv4i0
>>122
じゃんけんやな
じゃんけんやな
13: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:00:15.81 ID:aXdyq9TGM
商人は身分が低く扱われてたとか納得できんかったしな
21: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:02:12.38 ID:6XL/gn6E0
先生「源頼朝が征夷大将軍になったのが1185年、幕府開いたのは1192年や」
ワイ「7年何してたんや?」
先生「さぁ…」
ワイ、先生「なんでや…」
ワイ「7年何してたんや?」
先生「さぁ…」
ワイ、先生「なんでや…」
27: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:03:16.42 ID:226k4ryH0
>>21
逆やろ
逆やろ
38: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:04:10.02 ID:PQ1u6lLL0
>>21
征夷大将軍になったのは1192年やぞ
征夷大将軍になったのは1192年やぞ
50: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:04:51.66 ID:6XL/gn6E0
>>38
逆だったか、サンガツ
逆だったか、サンガツ
90: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:08:59.11 ID:epQ59bgwr
>>21
1185年は地頭を全国に設置した時なんや
征夷大将軍にはなってないけど実質的に頼朝中心の体制が出来ていたから1185年説なんてのがあるんや
1185年は地頭を全国に設置した時なんや
征夷大将軍にはなってないけど実質的に頼朝中心の体制が出来ていたから1185年説なんてのがあるんや
147: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:12:47.86 ID:+C4NYGxDa
>>21
あれ?
ワイの時はいい国作ろう鎌倉幕府やけど今はいい箱なんちゃらで1185年に変わったって聞いたけど
あれ?
ワイの時はいい国作ろう鎌倉幕府やけど今はいい箱なんちゃらで1185年に変わったって聞いたけど
178: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:15:41.45 ID:Z+WaTSDx0
>>147
これ何度も揺れとんねん
1185なったり1192なったりしつこいんや
これ何度も揺れとんねん
1185なったり1192なったりしつこいんや
325: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:27:13.67 ID:3lWi4PFBa
>>147
また1192に戻った
また1192に戻った
466: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:36:36.30 ID:4f2BNNBt0
>>147
また戻ったぞ
要は権威と権力をどう見るかという話になるから
また戻ったぞ
要は権威と権力をどう見るかという話になるから
23: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:02:31.05 ID:226k4ryH0
士農工商が序列を表してる訳ではないって話やろ?
32: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:03:35.29 ID:JNOZyQ7Za
もうタイムマシン作って現地調査した方が早いんちゃう?
37: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:04:01.39 ID:BLdo6Tn90
明治政府の四民平等から士農工商あったんやろなあって思ってただけで実はちゃんと調べて無かったってことなんか
58: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:05:51.17 ID:E+QA1reBd
>>37
明治政府が自分たちはリベラルやってのをアピールしたくって不当に江戸時代を下げてたからな
明治政府が自分たちはリベラルやってのをアピールしたくって不当に江戸時代を下げてたからな
68: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:06:56.89 ID:Xfj4ZsZl0
どこの国もこういうこと起きてんのかな
70: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:07:04.13 ID:YVeWjHX8d
歴史は常に言うてる事がコロコロしてるからワケわからん
創作も多いし
創作も多いし
72: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:07:08.05 ID:ZtZ1i+VnM
切り捨て御免←江戸時代始まってすぐに形骸化してた
百姓は米を食えなかった←食ってたし下級武士より食事事情は良かった
苗字帯刀は武士だけ←百姓身分でも20両も出せば買える権利だった
百姓は米を食えなかった←食ってたし下級武士より食事事情は良かった
苗字帯刀は武士だけ←百姓身分でも20両も出せば買える権利だった
114: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:10:49.16 ID:ChI/e7xA0
>>72
江戸時代の百姓に名字があるって
お墓の墓誌を適当に眺めるだけでも解る話だしな
江戸時代の百姓に名字があるって
お墓の墓誌を適当に眺めるだけでも解る話だしな
80: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:07:49.80 ID:/wtNq8Z+0
>>72
20両っていくらくらい
20両っていくらくらい
104: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:10:20.22 ID:ceyi6vAOM
>>80
時期によるけど200~600万くらいじゃね?
時期によるけど200~600万くらいじゃね?
128: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:11:41.17 ID:/wtNq8Z+0
>>104
結構違うけど高いな
結構違うけど高いな
77: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:07:37.22 ID:JyNth/2z0
小説が元で今のイメージがあったりするし適当すぎやろ
87: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:08:47.36 ID:p76nxWL10
結局学者の解釈次第ちゃうん
近代史かて500年後にはとんでもない解釈されとるかもしれんで
近代史かて500年後にはとんでもない解釈されとるかもしれんで
91: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:09:02.25 ID:sIuNG3cva
識者「未来を築くためには学ぶ必要がある」←わかる
識者「だから何が何年に起きたか暗記しろ」←なんで??
識者「だから何が何年に起きたか暗記しろ」←なんで??
142: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:12:37.84 ID:YizbfdEm0
>>91
はい受験
はい受験
165: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:14:34.55 ID:DTlOjhLs0
>>91
年号は設問にしやすいからね
大事なのはストーリーだが
年号は設問にしやすいからね
大事なのはストーリーだが
284: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:24:19.65 ID:StszoWxM0
>>91
識者は年号なんか問わないぞ
センター見てみろや
識者は年号なんか問わないぞ
センター見てみろや
97: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:09:33.41 ID:klh5Hfzqa
歴史なんて大まかな流れだけやればいいのになんでいちいち微妙に細かいところやらせるんやろな
98: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:09:50.21 ID:kLQROmcpM
1185が会社立ち上げた年で
1192が会社が国内一になって一番偉い人にお墨付きもらった年
こんな感じの理解でええんか?
1192が会社が国内一になって一番偉い人にお墨付きもらった年
こんな感じの理解でええんか?
210: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:18:29.88 ID:epQ59bgwr
>>98
まぁざっくりそんな感じや
なんせ頼朝自身が「今から鎌倉で幕府始めまぁす!」って言った訳じゃ無いからな
年号が変わったのは何処をスタートに見るかの違いでしか無いから別に覚えること自体は変わってない
まぁざっくりそんな感じや
なんせ頼朝自身が「今から鎌倉で幕府始めまぁす!」って言った訳じゃ無いからな
年号が変わったのは何処をスタートに見るかの違いでしか無いから別に覚えること自体は変わってない
136: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:12:00.71 ID:tHMoY1bb0
時間が経つごとにその時代からどんどん遠ざかっていくのに、なんで今さら新しい事が分かるんだよ
例えば江戸時代の事なんて、明治時代の頃はまだ昨日の事のように覚えてただろ
どんどん遠ざかっていって新しいことが分かる意味が分からん
例えば江戸時代の事なんて、明治時代の頃はまだ昨日の事のように覚えてただろ
どんどん遠ざかっていって新しいことが分かる意味が分からん
153: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:13:24.46 ID:ms93Sa+Z0
>>136
史料が出てくることはあるやろ
史料が出てくることはあるやろ
218: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:19:09.13 ID:tHMoY1bb0
>>153
中世とかはまだ分かる
今さら江戸後期あたりの事で変わるってのが理解出来ん
中世とかはまだ分かる
今さら江戸後期あたりの事で変わるってのが理解出来ん
257: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:22:46.58 ID:jZ1bttP80
>>218
鎌倉幕府成立とかは資料解釈上の問題だから
学説次第でどうにでもなるやん
事実関係が判明するのは昔の学者のタイマンや
鎌倉幕府成立とかは資料解釈上の問題だから
学説次第でどうにでもなるやん
事実関係が判明するのは昔の学者のタイマンや
303: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:25:53.62 ID:tHMoY1bb0
>>257
資料解釈上の問題の場合はまだ分かる
士農工商みたいに、そんな大した昔の話でも無い事がコロコロ変わるとこよ
んなもん無かったんだとしたら、有ったと言い出したのは誰やねん
で、皆がせやせや有った言うとったんか
資料解釈上の問題の場合はまだ分かる
士農工商みたいに、そんな大した昔の話でも無い事がコロコロ変わるとこよ
んなもん無かったんだとしたら、有ったと言い出したのは誰やねん
で、皆がせやせや有った言うとったんか
424: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:33:41.44 ID:+mRjkGhR0
>>303
江戸時代と言っても長いからな
例えば小学校って6年もあって小学生の時は1年生の出来事と6年生の出来事を区別できたけど今思い出そうとしたら小学校のエピソードとして区別できんやろ
細かいエピソードは覚えていても3年生の時の飼育係とか記録しとらんとわからん
んで同窓会で色々エピソードを語ったのが歴史の定説で後日、日記を見つけてホンマは違ったなあとなったのが歴史の修正や
江戸時代と言っても長いからな
例えば小学校って6年もあって小学生の時は1年生の出来事と6年生の出来事を区別できたけど今思い出そうとしたら小学校のエピソードとして区別できんやろ
細かいエピソードは覚えていても3年生の時の飼育係とか記録しとらんとわからん
んで同窓会で色々エピソードを語ったのが歴史の定説で後日、日記を見つけてホンマは違ったなあとなったのが歴史の修正や
595: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:43:54.98 ID:xBDOryNRD
>>424
いろんな人間がいろんな立場から見てるるから
わけわからんなるわけやよな
いろんな人間がいろんな立場から見てるるから
わけわからんなるわけやよな
156: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:13:48.37 ID:in3ucZE7d
明治政府のプロパガンダってのは強烈だったから歴史が明治政府に都合よく書き換えられて今の日本人もそれを信じ込んでいるのは事実
217: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:19:03.94 ID:O+urqnaO0
原人とか土器の紋様とか卑弥呼とか詳しく覚えるよりも
WW2とそれ以降ガッツリやれよ
開戦してミッドウェーして負けましたってそんだけやんけ
WW2とそれ以降ガッツリやれよ
開戦してミッドウェーして負けましたってそんだけやんけ
265: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:23:30.12 ID:RHUJfASMd
>>217
開戦前の経緯の方が重要やね
民主主義政治やってたのがどうして全体主義に陥ったのかとか
誰もアメリカに勝てると思ってなかったのになぜ吹っ掛けてしまったのかとか
開戦前の経緯の方が重要やね
民主主義政治やってたのがどうして全体主義に陥ったのかとか
誰もアメリカに勝てると思ってなかったのになぜ吹っ掛けてしまったのかとか
253: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:22:35.45 ID:MGQmBwmX0
今の時代の資料って突発的な大災害とかで逝ったら後世には残らなそうよな
数百年後には空白の歴史扱いされてるんちゃうか
数百年後には空白の歴史扱いされてるんちゃうか
267: 風吹けば名無し 2019/12/29(日) 10:23:31.64 ID:6XL/gn6E0
>>253
磁気テープにバックアップしたデータがどれだけもつかやな、デジタルデータ残すのは相当難しい
磁気テープにバックアップしたデータがどれだけもつかやな、デジタルデータ残すのは相当難しい
1001: 名無しさん@大艦巨砲主義!
2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio
答え:黙って通り過ぎる
刀を抜いてしまったら切ろうが切るまいが責任を問われて本人切腹、もしくは御家取りつぶし
幕府も藩も、武士(=正社員)の首を切りたくて切りたくて仕方ないのだ
此れを変えようとしてるのは天皇の権威を貶めたい
パヨク学者達だよ
坂本家元々武士じゃなかったし
受験生が混乱せんようにだけ注意や
じゃあそれでいいじゃん。
鎌倉や江戸幕府は地頭を置いた年を基準にしているわけじゃじゃねえだろ?
江戸時代後期に出来た言葉だからなぁ
鎌倉幕府の成立
室町幕府の成立
江戸幕府の成立
征夷大将軍の就任が目処だとしても
足利義満だしな実質的に室町幕府作ってんの
すまん世界三大料理は和洋中ではなくて、トルコ洋中だったわ……
なんてのは、別に歴史に限ったことではなく、
化学でも物理でも何でもあることだと思うが。
違うぞ
そこまで侮辱されたら
斬らないと逆に責められて切腹
無礼打ちは軽々しく受けると
逆に自分が咎を受けるけど
余程の侮辱はスルーしたら武士の名誉
云々でこれもまた咎を受ける羽目になる
しちゃいけないケースとしなきゃいかんケース
そういう変わっていくものを試験で無理矢理特定の答を押しつける
学校教育が間違っている。
頼朝の征夷大将軍任官ってのは政権構成に必要な要素ではなく権威の追認でしかないというのが最近の通説だからな
それまで関東に偏ってた頼朝政権が地頭設置により全国政権となったのが1185年っていう判断
それが教科書
これ!
尊氏は天下統一出来てないのに室町幕府創始者だし、秀吉は天下統一しても豊臣幕府とは言われない。
良い箱なんて、歴史学者が自分の爪痕を付けたいだけの、オ.ナ.ニ.ー説。
登場人物アホばっかりや
さすがに現代に鎌倉幕府が設立されたはみんな否定すると思うわ
いや、ただの間違いなのは分かるけど、間違い方がダイナミックすぎるだろ
聖徳太子は6世紀の人物で散逸した資料や藤原氏が神格化したような文章に改編した事によるミスリード
だが士農工商についてはパヨク学者の印象操作だ
現在の世界の学界も中国と旧ソ連の工作により著しく左傾化している
国連や多くの国際組織がアカの巣窟と成り果てて機能不全に陥っていると同じ様に有害無益な存在でしかない
1 1 9 2 年 ← イイクニ作ろう鎌倉幕府。試験に出る。
庶民にはほぼ関係ないというか紙でも残すのは大変だから
大切な写真を選んで紙でも保存する以外はどんどんデジタルデータにしてHDDに保存してる
幕府という言葉の意味を考えれば、「豊臣幕府」なんて成立しないのはわかると思うが。
権大納言と右近衛大将を兼任した時に得られる右大将の権益だからな。
右大将を律令官の役職で征夷大将軍は律外官の役職で常任じゃない。
つまりは極端な言い方をするなら征夷大将軍ってのは身分関係なく与えられる
関東東方地方を管轄する臨時指揮官に過ぎない。
ただ幕府側としては幕府の後継者全てが正二位が相当官である右大将にまで
幕府を継承する時点では出世できないから苦肉の策で幕府の将軍職は
臨時職であり、律令制度の外にある征夷大将軍にしたわけだ。
だから足利幕府の将軍は将軍就任前は従五位下左馬頭が官位で
将軍になると従四位下左近衛少将になるのが習わし。
そこから長生きして朝廷に奉仕して最後は正二位権大納言兼右近衛大将になる。
そして死後従一位内大臣を追贈されるのが習わしだった。
それをメディアが取り上げて広まる悪循環
幕府成立に地頭って必須か?
征夷大将軍に意味がないなら
幕府という体制に意味がないのと一緒だぞ。
さらに言うと尊氏は天下統一してるぞ。ただ「天下」の意味が秀吉の頃と違うだけ。
ttps://www.youtube.com/watch?v=fVIhNbhQeJo
そもそも頼朝時代に「幕府」という体制はない。後世の人がそう解釈しただけ。
「将軍=幕府」という意識が定着したのは徳川幕府以降。鎌倉将軍は将軍より総守護総地頭継承を重視した。
それは坂上田村麻呂ぐらいの話だろ?鎌倉以降は実質的に全国の軍事行政を委任されてるわけだから。非常任だからこそもうアカンとなれば大政奉還も出来るわけだが、律令制と実態がズレているのは仕方ない。そうじゃなきゃそもそも幕府が統治機構になるなんて現象は起こらないのだから。征夷大将軍に意味はないなんていう説明にはならんよ。左近少将になった日を歴史でいちいち習うのか?
捏造の明治が終わったら次は藤原不比等をやるべきだなぁ
その原因と結果の「流れ」が一番怪しいだろう
現代社会でさえ因果関係の証明は難しいのに、
歴史界隈には根拠不明の結果論が多すぎると思う
↑
その間に東京空襲があって、それから3年余り本土は空襲を受け続けて前線は負けてるのにズルズル続けてたんだよな?無能すぎだわな…
おれが天皇なら東京襲われた時点で降伏するわ!
戦後~令和の史実とされて居る事柄も実際の所はホンマにいわれてるとおりかどうか怪しいのはイッパイあるやん。登場人物がアホばっかりと言うのも?やぞ。まあ、やはりヤヤコシイ事にでろりんと巻き込まれる要素は多いとは思う。あるドイツ人元俳優、一時はアメ映画のドイツ人将校役でソコソコお呼びがあったらしいが、有る時、”何でオマエラの書くドイツ人将校はアホばっかりなんや?もしそれほどあほなんならオメェ~らなんで1945年まで掛かったんや?”って言ったらお呼びが減ったそうな。一般的に信じられてる/信じさせられてる話で分かってそうなんでも、半分ぐらいは”信じて欲しい話”が混じってると思う。
まぁ、士族は無いけど
農協・工業会・経団連・・・今でも後継者が残ってる
エタも、食肉皮革の専門集団で、こいつらは特にカテゴリ内が独特だったってだけやし…専門性が高いが故にね
(このクラスは普通はお上からレフリーストップが入る搾取をしててもレフリーが入らないのよね。故に市井で見かけるとかなり悲惨な状態だったんで差別された)
嘘です
豪商みたいな大金持ちは大金の支払いで郷士みたいな下級武士にはなれたけど。
今も昔も医者はいい身分ですな。
良い国作ろうだったら4192年じゃねーかwww
それ以前に1992年てwww最近じゃねーかwww
>苗字帯刀は武士だけ←百姓身分でも20両も出せば買える権利だった
苗字を名乗る権利と帯刀する権利は買ったのだろう
そもそも苗字は誰でも持っていた
「百姓」という呼び方自体が
「百の姓=たくさんの姓名=庶民・国民」という意味から出来た言葉だ
4192年 ヨイクニ作ろう鎌倉幕府 byガッツ石松
と書いてあったような・・・数年で返したとかなんとか。
幕府とは三位以上なら開ける物、だとさ。(事務所開きみたいなもんか?)
ジジイどもはそんな重箱の隅つついてる暇あるならもっと生産的な研究しろ
その中から政治的、文化的に有意義と思われる事象だけに注目して
物語的に構成したものが歴史なのだから
どうあがいても、ある程度の主観性は免れない。
ま,後からなら幾らでも言えるわな
人種差別撤廃の動きはWW2終戦よりも「後」の事であって、当時はまだ植民地時代だからね
再起できるような環境じゃ無いんよ…人権無き奴隷になってて普通な時代や
人種差別撤回条約って日本が提出してアメリカのせいで否決された経緯もあるんよwwww
戦前に尊氏を逆賊設定にした反動からかどっちつかずの視点に終始して、おまけにページ数少ないから各勢力の集合離散の流れがすごくわかりにくい
え、じゃあ北朝鮮からミサイル飛んできて東京に着弾したら降伏すんの?弱すぎ。
中曽根大勲位が従一位ということは、庶民が無知なだけで上級国民は今でも存在するということ。
承久の乱に勝利したことで支配力を全土に広げることができたし
まぁ幕府って単語が政権としての意味を持つようになった江戸後期だと
政権の確立よりも征夷大将軍就任のほうが重要なんだろうが
才能があって是非にという事になれば武家の養子に入って仕舞えばいいのよ。
「鎌倉幕府」のように後付けの名称はそのまま使っているから、
一貫性がないように感じるのかなあ
いずれ、本当に歴史用語になったりして。
生産、加工、販売、そして元締めが必要になる。
江戸時代、元々武家屋敷の防火設備だった「うだつ」を町人が設置しようとすれば、
政治的な根回しが必要で、大変だった。だから「ウダツをあげる」。
明治になって、そのような「根回し」が無用になったので、全国各地で「ウダツがあがった」。
工賃だけで作れるようになったから。
だが、大変だった江戸時代、ウダツがあがらないからと言って責められただろうか?
上がれば褒められるが、普通は出来ないことなのだ。非難されるようなものではない。
逆に工賃だけでウダツがあがるようになった時代に、人並みにそれが出来ない家は
ディスられただろう。「ウダツがあがらない」のほうは、明治以降じゃないのか?
意味分からん。
韓国は批判する気すら起きん代物
かといって日本の教科書を全部正しいなんて思ってたら大間違い
ってだけじゃね
「すまん鎌倉幕府成立年違ったわw」「すまん江戸時代に士農工商なんてなかったわw」とあるが、
一体それが例えば現代の社会問題をどう解くのに役立つかが分からない。
そうした目的において、年号なんて5年や10年狂ったところで何の差があるのかが分からない。
おまけに、数学とか英語のように、いったん身に着けたら、死ぬまで基本的には不変の知識であり続ける科目とは違う。
その意味でも面倒くさい知識と思われるし、鎌倉幕府の成立年号が変わったことを知らないことが、日本で生きていくことに支障をきたすとは凡そ思えない。
歴史という科目とは、せいぜい小学校レベルか中学校レベルの歴史を学び、それ以上に意味あるのかどうかが疑わしく感じる。
もうタイムマシン作って現地調査した方が早いんちゃう?
現実は、時間旅行者が歴史を改変してタイムパトロールが修正するイタチごっこさ。
歴史がコロコロ変わるわけだ。
歴史の当事者にしてみればあくまで結果であって
果たして意識してやったかどうか・・・
大学教授は従5位の下だから「京大には”偉いさん”がいっぱいいてはる、
と京都人は言ってたとか。知事とほぼ同格。
「御所みたいなもんや」という理解だったらしい。
1492年のレコンキスタ完了とユダヤ人追放令とコロンブス渡米は偶然の一致じゃない
宇宙は真空ではなかったとか
文系の範囲なんかな
歩いてて気に入らないことがあったら「切り捨て御免!(^^)」で辻斬りやって、欲しいものがあれば奪い放題だし、いい時代だわ。日本軍も武士って名乗ってたからやりたい放題で、アメリカに制裁されたんだよな?
どこかで意図的に捻じ曲げられていたり、上書きされているものもあるし
つまり、1588年が室町幕府が滅亡した年とも言える。
そうすると織豊政権の定義も変わる。
南北朝時代はなー
建武政権崩壊から観応の擾乱、その後も京都を占領されたりドッタンバッタンしとるからな
状況が変わりすぎてて教科書の僅かなページじゃ絶対に説明しきれんわ
さらにその起源が韓国檀君文明だからな、日本はプライドから認めたくない
だから、起源文明を無視して4大文明だと言っていた
海外の国ではきちんと世界文明起源の韓国檀君文明をしっかり教えているから
外人に4大文明は~なんて話しても笑われて終わる
そんなにやりたい放題やってて18世紀に世界最大の100万都市は成り立たないと思うよ。
治安は基本的に物凄く良かったと考えるべきだろうな。
耕し内職もした 幕府も大名に与える領地がなくなり、地方の藩も財政に苦しみ、特産物や交易などで必死に補おうとした藩もあった 一方の農民も戦もなくなり人口は増えたが、度々飢饉が起こり地方によっては一揆も発生した これが正解な
科学もまた極言すれば「なにが起こったのか」を解明する行為にすぎないから。
何が起こったかを確認し、なぜそうなった? どうすれば再現できる? より発展させるには?
と考えるのが科学。根本には”歴史”がある。
だから「空想を科学する」のなら、空想世界の事象はすべて事実である(現実の科学では、まず第一に
事実確認をせねばならないのだが)として、なぜそうなったのかを理屈漬けしなければならない。
「科学的に考えてあり得ない」というのは禁句だ。それって「空想を科学する」という大前提の
否定にほかならないからwww
それは現在でもそうだけど
国会で衆参両院での可決、そして天皇の承認とサイン、施行日にズレがあるのと同じで
亀田長兄 「・・・作ったらええがな!」
それを聞いた
須藤元気 「困っちゃいますよね・・・」
神話は歴史じゃない。
将軍位を絶対視するとそういう陥穽にはまっちゃうから実際の支配状況とかで判断するのが近年の歴史研究なんだよなぁ
その結果、義昭は信長の傀儡ではなく畿内では幕府の統治機構がちゃんと機能してた事も判明したしな
宗門人別改帳について教えてもらって、単なる異教徒狩りでなくなかなか凄い事やっていたんだなと思った。
畿内で幕府の統治機構が機能していたという印象は一般的にはまったくないけどな。
周囲の勢力がやりたい放題だったようにしか見えん。
三好三兄弟の支配地だったわなあ
飽和どころか歴史研究はここ50年くらいで格段の進歩を遂げてるぞ
旧来の通説は明治頃にまとめられたもので二次史料、講談、皇国史観が混入したからな
近年は一次史料に基づいて研究するし論文の批判も非常に活発だ
学者がちゃんと研究した結果をトンデモ本といっしょにしちゃいけない
すっこんでろ。
なれるよん
小学校の銅像でお馴染みの二宮金治郎なんかもそれ
武士になって二宮尊徳になる
そもそも韓国が大嫌いな豊臣秀吉は最底辺の生まれ
世界史観と日本史観では違うはずやろ。
足利義昭の征夷大将軍職の捉え方で、織田信長の政権が三好長慶的か豊臣秀吉的なのか変わる。
何でいちいち中国やら韓国の話を持ち出したがるのか謎
なにしろ傭兵だったんだから
武士が天下とってからは全部実力制になった
下剋上なんて呼ばれてた
江戸時代で安定してからは現在と同じく
財産がものをいう時代になってるから
三越みたいな豪商が相当いい暮らしをしている
時代劇でお馴染みの越後屋さんがこれ
弾座衛門と呼ばれたエタ頭は浅草で大名並みの生活をしてた
神社仏閣等も見る人が見ればその作りや飾りから格式がわかる
際立たせるために教科書で取り上げるようにさせたという。でも,この「士農工商」は初めは身分制度だったが,それほど強固なものではなかったし,幕末頃には,簡単に変われたようだな。
大正時代の小説にも女中やら番頭やらが「~円~銭になります」という場面が出てくる。
大正時代にしてこの始末。
最初は居心地悪かったと思うが
今はそれが是正され始めた。
事実並べていって・・・こうちゃうかな?じゃなくて
こうあらねばないという決め込みが先にあって、それに都合が良い証拠もどきをならべていくだけ。
やっぱり嘘だったのか。
彼等を消して変わりにイ・スンシンだの慰安婦だのをいれようとする動きはとても胡散臭い
新事実が主流になるとそっちに変わるだけ
はぇ~江戸時代にバブルが崩壊して、マリカが発売されたんか
さすが賢明なネト.ウヨ様は、知識量が違いますなぁ
二・二六事件以後急速に軍国主義化しましたってそんだけ?って感じ
まぁルーズベルトもかなりアカの影響かにあったという話だし、今後は見直されていくんだろうけど
昭和の歴史教育を信じて疑わないやつらが滅ぶまでだめだろーな
昔より遥かに情報が流通して、報道機関もあるし、社会も書類で回ってるのに
意図的に裏事情が隠されることも多いが、表の歴史だって意外と曖昧になっていく。
日本でも、ほんの10年前の出来事を把握しようとしても、情報失われてる、確実に手に入るのは新聞報道ぐらい
例えば事件があったとして、その当時に世間で流布していた評価や通説が、実は間違っていた(冤罪とか)としても、
それが後の時代に残ってしまったりするしな。
パヨこそが歴史修正主義者だ。
国や自治体はもっと歴史分野に予算投下してほしい。
年金を賦課方式に改めた、大戦.犯なのになw
諸外国のアクションを無かったことにして日本のリアクションだけ書いてるんだからわかるわけがないんだよね。
それなりに調べるだけでも開戦前の日本の行動はほとんど主体性がなくリアクションばかりだったのがわかる。
(日本側からのアクションのほとんどが個人の暴走だしな)
やーっておしまい!
アラホラサッサー!
コレが自動変換されました。
あんたは理系かどうかに関係なく、単に自分の興味の無い分野は価値が無いと思ってるだけでしょ。
文面に根本の考えが透けているよ。
だって中韓のやってるのは単なる日本への侵略だから。
事実なんて強者が決めるっつー文化だし。
征夷大将軍が武士のトップであるという認識は後の時代のものだから
当時の征夷大将軍は頼朝の数ある肩書きの中の(重要ではあるが)一つに過ぎなかった
また(後の時代で幕府と呼ばれるようになった)政権との因果関係も薄い
将軍になる前と後で政権の形態は何ら変化していないので
そこら辺が理解出来ていないと>>3みたいな頓珍漢な認識になるので注意
公卿将軍、皇族将軍置いたことからそれなりに格式高い存在になったんじゃないかなあ
そうはいかない
征夷大将軍が幕府を開いてそれによって国内政治を牛耳るのが、鎌倉より前からの常識ならそれでいいかもしれないが、順序が逆だから
特殊な加工した石に0101で記録して、アルゴンガスの入ったの容器を暗室に置くが一番よさそう
最近聞いちゃいかんだろ。
士農工商は中国の書に書いてあんだし。
四民平等を明治政府が言い出した、だからそれ以前はなかった!あったってんなら証拠を見せろ!ってそんなバカな。千年以上漢籍読んで暮らしてきた日本人が明治になってから突然その概念を知ったなんてありえん。どうして学会ってバカなの?
それはとんでもない曲解、というか論点ずらしだな。
俺も専門職が、万人に自分の知識を求めることは決してない。万人に必要がないからだ。
あんたも自分の知識を他人に常識として求めますか?
あんたは勝手に自分の興味があるかで云々しているようだが、
俺はあくまでも※70に書いたように、自分が生活していくことに必要な知識か否かという判断基準にのっとっているつもりだ。
繰り返す。年号を知らないことが、日本で生活するうえでどういった支障を生じるのか?
そんなものはほぼない。なぜならば、外国で教育を受けた人間が多数で生活しているからだ。
時代劇はいまの観念で育った人間が書いてるんやで。柴田勝家が「いくさはいやじゃあ」とか言っちゃうしな。下級武士と庶民の境目は曖昧でも、身分が問われない場面と、そうはいかない公式の場での区分けはあって当然。
教科書侵略だ。学会を外国の攻撃から守る必要がある。
漢書に「士農工商、四民に業あり」とあるように、「民」の職業は4種類に大別されるという意味。そして、「老若男女」のように、あらゆる職業の民、つまり「民全体」または「みんな」といった使い方をされた。職業区分や身分制度の意味はない。
百姓の語も「天下万民・民衆一般」を指す意味だった。民衆を意味する百姓は、『論語』・『易』など中国の戦国時代の書物にある。現在中国でも老百姓といえば、一般庶民のことを指す。
特に左派学者は「日本に聖徳太子のような優秀な人間はいなかった」としたい思惑があるからね。
どこかの国がやろうとしているディスカウントジャパンと同じ構造。
世界三大美人とかランク付けして喜んでいるのは日本だけもしくは日本は発祥が多いんだよなぁ…。
いや賤民はあった
例えば、藤原不比等の不比等とは渡来人の職能集団「文部(フヒトベ)」が由来。つまり藤原不比等は百済人で、藤原氏は百済人。皇室にも百済人の血が流れている、と主張する。
誇大妄想狂集団。
その説を如実に物語ってるのが、ゴッドハンド藤村新一の旧石器捏造事件よな
明の官僚の腐敗が酷くて、清にとって代わった経緯とか
『張献忠』をみて、この手の人間は出世させちゃいかんとか
歴史なんてその程度の解釈でええんよ
勉強が出来るってのは怖いことでもあるって証左
間違ったことかもしれないのに教師や教科書から教わったことを鵜呑みに出来るって凄く怖いことだと思う
同時にテストにその答えを書かないと上の学校に行けない型にはめる監視体制
アジアに新しい発明品が少ないことに起因しているような気がしないでもない
数学なんかは幾らでも検算は出来るがな
一応、近世の階級制度ではあるので現代や近代的な価値観から見れば差別まがいの制度や特権や権利の付与という差はでてくる。
でも江戸期のそれはそれに制度などに抵触しない限りは法の下に平等だったり別の特権や権利で補填されるケースがある。
例としてはエタは屠殺業や皮加工業などを独占化したおかげで職業差別はされても裕福な生活を送れるケースもあると
奥州はまだ豪族同士が内戦やったりゴタゴタ続きだったし、奥州藤原もいたし
韓国人の先祖とは違う。
そりゃ、太平洋戦争は見方によれば日米とも欧州戦争に巻き込まれた結果、見たいもんで欧州戦争がなければ日米がどこまで本気で戦争したかったのかわかったもんじゃなですしね。
平成天皇<桓武天皇の生母が
百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに
韓国とのゆかりを感じます💗
「将軍が酒乱やから酒造り制限するわ」
帝国北東部のブランデンブルク辺境伯国やオストマルク辺境伯国(後のオーストリア)がそれ
辺境伯という爵位自体は伯爵<辺境伯<侯爵とかなり低いが、帝国の軍を指揮する権限を与えられていて、実際その点での権限は大公爵並みで、王権の次に大きな権限を与えられていた
また、共和政ローマにおける軍お最高長官的役職、大きな権限を与えられていたのがエンペラーの語源となるカエサルが共和国軍の総指揮官たる役職だったimperator
なぜか突然始まるローマ語り
後期の方は、さらに執権の執事だった内管領のほうが権力者よw
問題はそれを明確に立証できた場合、であって出来ない場合は切腹を通り越して打ち首、お家断絶コースが待っている。
なので岡っ引きなどに金をやって調査などをさせているし、規則に町には一人で出るな、絶対に複数人で行けとかいうのもある。
あと他藩領でそれやると宣戦布告ともとられる、特に江戸などの天領なんぞでやろうもんならば将軍家にたしてそうなるので必死で避けている。
まぁ、先方も事を荒立てたくないから明確な証拠があればなあなあで済ませるけど
意外とどこも似たりなんよ
それは個人の認識であって「理系出身者だからこう思う」っていう、理系出身者の普遍的価値観であるかのように語る理由にはならんよ。
どれだけ長々書いたって、「自分は興味が無い、周りもそうに違いない」で纏められる程度の事しか書いてないし、それを個人的な考えではなく共有されるべき認識であると語る以上は否定するよ。
あんたがどう思おうがそりゃ勝手だよ。でも「理系出身者として物申す」とか「社会の一員としてこう考えるべきだ」なんて語り草、鼻で笑われて当然だと思うね。
その外交辞令に韓国人は天皇家は朝鮮半島からの征服王の子孫と主張したからw
在日のノルマン・コンキエストとの比較論文よんで腹抱えて笑ったよ。
実権がどんどん下位の役職に移ってくのは伝統だから・・・
それ斬新な視点だね。
封建時代の事をことさら悪く書いたり「圧政をしてたに違いない」と決め付け学説を発表したりしてワヤになった。
抑圧で民をバンバン処刑してたら誰が飯を作るの?って基本的な問題にすら気づかんのかと思う。
現代みたいに足りない食料を外国から持ってくる輸送力があるわけじゃないってのにさ。
リップサービスなうえに韓国側の資料にはそのような人物は確認が取れていない…自分の先祖が百済人と思い込んで生粋の日本人という可能性もあると
受験生が死ぬからダメです
なんで歴史はネタにされやすいんやろな?
実際に鎌倉幕府後期、執権北条高時のときに奥州で豪族同士の内戦が大きくなり、鎌倉幕府だけでは鎮圧できずに、京から朝廷正規軍として公卿北畠を将とする鎮圧軍が派兵された
まあ、この事もあって(もちろん鎌倉幕府内の不正や腐敗、権力の乱用も)幕府の管理能力なしと朝廷では判断され、倒幕に傾いたのかと
平家打倒やったときみたいに
1185に同棲して1192に入籍みたいなもん
二宮尊徳や新選組のように個人の才覚や実績で非武士階級から武士になったケースは普通にあります。
もっとも今の転職のように自己意志でなったりやめたりはできないだけ=そのあたりが現代や近代的な価値観や視点から見れば階級社会で差別的じゃないの、という話。
輪違家紋は足利家家宰の高家のものだから高師直か高師泰とされている。
高家も執権北条家における執事職だった内管領同様、足利家の執事職の家系だわなあ
で、実際やはり大きな権力を持ち、その後尊氏の弟の足利直義と対立して討伐された
>>抑圧で民をバンバン処刑してたら誰が飯を作るの?って基本的な問題にすら気づかんのかと思う。
そういやそうだなw日本は島国だから外国から流民が入りにくいから外から調達もなかなかできん
、
ちなみにこれって高家粛清してついでに弟も追放して実権を握ろうとした尊氏の策略っていう話もある…というのが延々と60年ほど義満の時代まで続くと。
どうやってこんなものを教科書で教えろと?
で、ここで問題なのがその将軍の価値が鎌倉、室町、江戸では全然違ってくるという。
江戸時代では必須の官職なのに室町時代では年単位で突かなくても平気で仕事しているとか・・・意味わかんないというお話。
まぁ、歴史学ではなく教養というレベルでは統一基準を設けたほうが理解しやすいのでしょうけど。
日本の教科書には
南京事件も慰安婦がウソなんて書いてないぞ
歴史的事実として扱っている
頼朝も源家も似たようなものでしょw
義経討伐、公暁が三代将軍実朝暗殺、北条家が実権簒奪
そりゃ日本が真珠湾攻撃したからだよ
海外で「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展の模様も同様だ。目覚ましい経済発展は労働者弾圧と国民の犠牲によって実現したもので、それによる政経癒着と不正腐敗、二極化の問題を過度に浮き彫りにしている。4・19革命(1960年。李承晩大統領が失脚)や5・18民主化運動(1980年の光州事件)、6月抗争(1987年)など韓国の民主化史における主な事件もまた、過度に刺激的な写真を載せている。このように韓国の過去およそ50年の歴史に厳しい物差しを当てがうのであれば、3代世襲や住民弾圧、経済破綻などでもっと大きな失策を犯した北朝鮮に対しては、さらに厳しい評価を下し、指摘せねばならないのは常識だ。しかし、そうはしなかった。北朝鮮の政権は国際的孤立の中でも「自立経済」と「社会主義経済建設」を推進してきたとして、とりわけ金正恩政権は「強盛国家建設」を模索している-と記述した。北朝鮮の核開発については「それに伴う国際的な経済制裁を受けた」くらいの記述にとどまり、それが韓半島の平和にもたらす脅威や緊張の悪化といった難点はきちんと書かなかった。
これらはセットみたいなものだし、無かったことにはしたくない勢力があるやん??
君、日本人か?
日本の教科書はそんなこと
書いたこともないのに
書けばって?
君の脳内の話をしてるのかね?
義満どころか義昭までずっとその構図
教科書で正解を教えるって教育は害にしかならないのでもうやめたほうがいい
頼朝は関東、奥州の実権握るために藤原北家の奥州藤原氏を滅ぼした
その源将軍も三代で断絶、実朝暗殺した二代将軍頼家の次男、源公暁も北条が討伐して、藤原北家の九条家が将軍職に、北条家は藤原氏将軍を戴いて執権として幕府の実権を握ったと
北条と朝廷・藤原家との間の何かを感じるねえw
一応清盛も武家ではあるけど、朝廷の太政大臣職よ
その次に、無くてはならない食い物を作り出す「農」
その次に、生活に必要な道具を作り出す「工」
何も生み出さず物を移動させるだけで富をなす「商」が最も下
そんな風に習った記憶があるが違うんか
カーストと違って移動可能だし実際に明確な身分の上下の差はなくて
金持ち商人が貧乏侍にでかい顔してたりっていうのはあっただろうが
概念的な上下はあったやろ
そして藤原北家支配統治の奥州藤原氏を滅亡させ(1189年)、頼朝は征夷大将軍の任命を受けた(反頼朝の後白河法皇が死去したから)
そないなこと言いだしたら征夷大将軍も何もかも全部朝廷の官職やんけ…
そうだよ
平氏政権は武家である筈の平氏が公家の仲間入りすることで担った政権だから、純粋な武家政権とは言えない。
また妄想にふけるのか
4・5代目将軍は公家、藤原九条家、6~9代目将軍は皇族
せいぜいが職業区分とそこからくる偏見であって当時の基準でいえばそれが当たり前だったという話。
ただし、近代や現代的価値観から見れば差別になる…というお話。
あるのは朝廷からの統治委託武家組織の興亡。
純粋に官位官職で考えたらそこまで高くも重要でもないんだよな
いや十分に高いし重要だが、実質的に日本を統治する立場と比較したらね
プロパガンダのために教育で広めたからな・・・
工作員丸出しw
いつもの工作のノリで書いてるだけw
重犯罪者は追放されるからな。
当時、そこらへんの村には裁判所も監獄もないから。
「大将軍」になりたかったのは御家人に大勢いる「将軍」の子孫と自分の家系を差別化したかっただけだもんな
歴史はこういうとこある
朝廷の作った地方行政区分、律令国の国主の代わりの鎌倉幕政による新国内統治地方行政区分、守護・地頭任官・任命システム
江戸時代は、徳川幕府による新地方行政区分の藩
現代は国民政府内閣による都道府県(でも知事は戦前とは違い政府からの任命・任官ではなく、選挙)
>士農工商は中国の書に書いてあんだし。
>四民平等を明治政府が言い出した、だからそれ以前はなかった!
新しく意味を付与して、セットで導入された概念なら、それ以前はそんなに意識していなかったとしても不思議ではないよね
高麗時代の一然著『三国遺事』(1280年代成立)に魏書からの引用と見られるのが、檀君朝鮮の文献上の初出である。『東国通鑑』(1485年)にも類似の説話が載っている。しかし引用元とされる魏書(陳寿の『三国志』や魏収の『北魏書』)などの中国の史書には檀君に該当する記述がまったくないので創作である。また『三国遺事』以前の古書・古記録によっても実在を立証できないため、檀君神話を自国の朝鮮民族主義歴史学の拠り所としている韓国・北朝鮮を除いては、国際的には信頼性や価値がある文献とされていない。中国の史書にはまったく登場せず、初めて朝鮮の歴史書に登場するのも13世紀と遅く、「仏教の宗教説話」の一つとして出てくるだけである。通常は神話として扱われ、歴史事実とは看做されていない。なお、偽書とされる『桓檀古記』、『揆園史話』には『三国遺事』とは異なる記述がなされている。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E5%90%9B%E6%9C%9D%E9%AE%AE
鎌倉幕政による地方統治新システムの守護・地頭
徳川・江戸幕政での地方統治新システムの藩
明治途中からの廃藩置県による地方統治新システムの都道府県(戦前は政府からの任官で戦後は住民選挙)
なにを・・いって・・おられる・・のか・・わかりま・・せぬ・・
なお
作と言うか、どれが誰の墓かワカランくなったから
根拠は薄いけど適当に当てはめちゃおうと言ったトコやで。
だからそれも解釈なんだよ。
実質的支配の成立より最高権威者の公的承認が重要なこともある。
役割分担をむりやり上下対立にして対立を煽りたがるクズはいつの世にもいるというお話
イメージとしては血液型論争
その次の穢多までいってようやく差別的意味合いが強くなる
どうでもいいんだが
今はデータを石英ガラス内に永久保存しておけるからこれが一般まで広まれば…
手軽に読み書きするもんじゃないがメモリアルとして残し続けるという意味では煮ても焼いても壊れないし
後世で読みだせるかは別として
でも、元寇の時の将軍って皇族なんだわ
ただその2つの政府による力関係などが逆転したみたいな特殊な状態
この手のクソ本を取り締まれよ。
諸悪の元凶だぞ。
でも足利家もその大本をたどれば皇族
まあそのせいで黒船勢がホワイジャパニーズって大騒ぎして結局一本化させられたが
韓国じゃ教科書。
年号などの暗記に大した意味など無い
歴史を学ぶ飢えで重要なのは、その時にどういう理由でそうなったのかを
理解し、どういう視点で答えを出すかだから
小説家で歴史オタクの田中芳樹はそう言っていたね
年号を語呂合わせで覚えてると便利ではある
「格式高い存在にするため」に、公卿将軍、皇族将軍を置いたんだよね
初代頼朝は「征夷大将軍『だから』偉い」んじゃなくて、「あの頼朝様が」って個人的人徳で御家人に支持されていた
なので二代目になると御家人たちが「いや俺らは頼朝様に従ってたんで二代目とは関係ねーんですわ」となって
三代目実朝の時期にも、頼朝からすれば遠縁の平賀朝雅って人物を将軍につけようとする事件が起きたり、実朝暗殺直後に尾張の方ではるか遠縁の人物が「次の将軍は俺だ!」と反乱起こしたりしてる
なので、有象無象が名乗りをあげないために、格式高くてその辺の武士じゃとても及ばない皇族将軍を北条氏は望んだんだよ
大学で専門書を学ぶと違いがひどすぎる
まあ、他の国だともっとひどいところが多いんだが
暗記ね。暗記
事件などが起きた年月をテストなんかにするなという話だよ
年月とかそんなものはテスト中に調べても良い程度のどうでもよい事なんだってさ
でも、暗記しなきゃならないものもある
近年では「旭日旗を韓国が問題にし始めたのは2011年から」ってやつ
これは年号を正確におぼえておかないと現実的に不利益を被る
「1945年」をわかってないやつが、「あしたのジョー作者は中国人!(※ちばてつやは1946年に一家で満州から帰国したから)」なんてのを言い出したのも見たことあるし
それね、ローマ皇帝位にも言えるんよ
最初の頃、カエサルのときなんて皇帝、エンペラーに大した権威なんてない
ただの共和国軍の総司令官が軍事クーデター起こして軍事独裁敷いただけの過ぎないから
だからカエサルも暗殺されて実権のすげ替え行われて、ただのクーデター政権交代でのいざこざがあったと言う程度
皇帝自体に大きな権威付けがされていったのはその後の長い歴史や由緒正しき時代ごとの名家が皇帝に選出されていったから、そして後世の後付の皇帝の権威解釈
※237
それも調べればいいだけなんじゃないのかな?
紙でも機械でも記憶媒体は脳以外にいくらでも有るのだから
全ての数字を覚えておく必要性は無いと思うのだけれども
駄目なの?
237の後者の例で言いうなら1945年を知らなければ調べるって考えすら思い浮かばないはず
237の真意は解らんが、知の集積を経ずに情報の氾濫に晒されてしまうと何が正しくて間違っているかの判断がつかなくなる。特にネットには嘘や扇動も溢れているのでなおさら歴史なり思想なりの骨子を個々人が持つ事が重要になる。
そして骨子を持たずにネットに氾濫する情報に触れてしまうがゆえに捏造やデマゴーグに振り回されて価値観や常識を崩壊させているのが特亜三国とイスラームの社会。
先生 「うぅっっっ!!!」
先生 「そ、それはね、最下層だと農民がかわいそうだから、士農工商にして、字面だけでも上から二番目にして、ガス抜きしてあげてたんだよ」
生徒 「へー」
これが実話だからすごい。
2000以降、
「士農工商、農民一揆、鎖国、切り捨て御免、生類憐みの令、年貢の取り立て、日本人は農耕民族」
等はおおむね削除や修正されている。事実無根だからな。
日教組、御用学者、日弁連、公明党などが、日本の戦前を暗黒色に塗り潰したいから。
「戦争に負けて軍国主義を辞めたおかげで我々は幸せなんですよ」と洗脳するのが目的なので、
「江戸時代はメチャクチャ華やかで、ご先祖様たちは優秀だった」
が子供達にバレると、洗脳に都合が悪い。
「いい国作ろう」が軍国主義みたいでムカつくから変更させたし、
現在は戻ったが、聖徳太子を「厩戸王」表記にさせたのも、「日王」みたいなダサい名前にしたから
※240
あしたのジョージというものを知らないし作者が中国人だろうと
日本人だろうと知らないけれども、中国人という理由は何?戸籍?
1945年と中国人とどういう関係があるのかな。それは自分の
不利益になってしまうのかな?
※241
なるほど
そういう側面があるからそこは鵜呑みにしちゃだめよという注意事項
なのですね
嘘を平気で堂々とする人が多いから、そこは注意して調べないといけませんね
>それも調べればいいだけなんじゃないのかな?
※240が言ってくれてるとおり、そもそも基本的な知識が頭に入ってないと、調べるという発想自体が出てこない人が大半で
そういう層につけこむ連中が笑ったり、間違った知識が広められるばかりになる
アニメの話になるけど、Zガンダム(1985年テレビ放映)の再編集版が2005年に『機動戦士Ζガンダム A New Translation』として劇場公開されたんだけど
それを見た若い子が「これってガンダムSEEDのパクリだよねー」と言っていた(SEEDは2002年放送)という話がある
この話の真偽はともかく、この若い子は、Zガンダムの放映日時がいつか、この劇場版はかつて放映されたテレビ版の再編集版なんだ、なんてことは調べようとせず「あれってSEEDのパクリだったー」ということばかり周囲に広めたことだろうし
「ちゃんと調べて発言しろ」なんて言われても「しらなーい、おっさんウザッ」で終わらせたことだろう
趣味嗜好のひとつにすぎないアニメならまだしも、現代の政治にも関わるようなことでそれが発生すると、とにかく面倒なのよ
海外留学した、歴史勉強してない日本人が、某国の人に強く言われて「そうか、日本は昔から大陸の世話になってきたのか・・」と思いこまされる、なんてのもよく聞く話
そういう人に「調べろ!」と言うだけじゃダメ、元からある程度の知識は与えておかなきゃって話
この本、単に「江戸時代の風習を題材にして、現代日本人もマナーを勉強しましょう」
という程度の本だったが、「ト学会」の「原田実」っていうキッチガイが、
「江戸時代にそんな風習などなぃぃぃ捏造するなぁぁぁあx!!」
と曲解して、マスコミや電通に拾ってもらって、
「江戸しぐさは捏造です」と、大嘘をついて大宣伝した。
この「原田実」のツイッター見てみな。
>偽史・偽書の研究をしています。 ビリーバー的関心からいわゆる古史古伝と関わり始めたのがきっかけでそれからかれこれ40年もたってしまいました。 現在の主なテーマは「江戸しぐさ」
↑10年も前の江戸しぐさ騒動をいまだに大事にしてるから
この男はト学会にありがちな、「ただの逆張り炎上」
不可触民としてヤクザ・半グレ・在日不良外国人もいるわけで、
どこかでそれに名前がついたら士農工商扱いになるだろうと思う。
最も、年々人類の平等化は進んでるから、今の人から見れば苛烈だろうが、
当時の意識としてはそれぐらいのもんなんじゃね?
お前さんが煽りで言ってるだけならともかく
「あしたのジョー」を知らないのはさすがに、まともな教養持ってる人扱いはできないよ
>1945年と中国人とどういう関係があるのかな。
ほら、まさに「知識がないと調べようという発想自体が出てこない」という実例があっという間に現れたw
>「江戸しぐさは捏造です」と、大嘘をついて大宣伝した。
大嘘だ、っていうなら
どこがどのように嘘なのかの具体的な指摘
「江戸しぐさ」が実在したという史料
せめて「江戸しぐさ」の存在を主張している人の著作を出さなきゃだめだろ
>一方の農民も戦もなくなり人口は増えたが、度々飢饉が起こり地方によっては一揆も発生した これが正解な
一揆で死んだ人は2人。
ちなみに、「一揆をする権利を与えられてた」。
本当に厳しかったら取り締まられてる。
※248
だから答えになっていないよ
分かる?こたえになっていませんよ
煽りとか意味分からない
※245
うん。ま、言いたいことは分かる
ただ数字の方だよ。意味じゃないよ。意味は勿論知らなくても良いなんて
一言も言っていないよ
じゃあ、そういう事で
※248
あとまた何か勘違いしそうだからいっておくけれども
どっちが先、どっちが後というのは事件の理由を知る上で
大事なのは当然でしょ
ちゃんと読みなさいよ
じゃあそういう事で
第~何次産業とかみたいなもの
そしてそれには含まないものやあえて排除してたり一括にして脚光を浴びせていないものもある(日本でも欧州とか外国でもそう)
商に含まれて曖昧にしてある金融業(金の貸し借りで商・財をなすことは卑しいとされていた概念のある地域は特に)などもそれだし、公卿、皇族、寺社仏閣・宗教勢力の持つ権威と力はあえて触れないようにしている
欧州だと本来、商に含まれる金貸しの代名詞のユダヤと一般的な商業者たちと一括にされていたり
力関係とか、場合によっては、士農工商そのまんんま
有名名家の士族名家には豪農だろうが豪商だろうが、太刀打ちはできないか対等関係に持ち込むのがせいぜい(上下関係を争うよりは、利害も踏まえた上で協力関係にあったほうがいい)
年代低かったらしらんぞ
カムイ伝だのあしたのジョーだの普通に知ってる年代は俺から見ると15~20歳くらいは年上だわw
>そもそも武士自体が最底辺だよんなにしろ傭兵だったんだから
は? 武士は幕府に仕える公務員だぞ。
傭兵は「忍者」「武芸者」だ。
特に今の仕事や生活に関係ないなら、それで現状満足できてて過去なんてどうでもいいなら、歴史も科学さえもどうでもいいわなあ
こんなスレに来ることさえそもそも無駄だし邪魔な人
(そういう意味では知行=行政を決定するのは上士だけだから武士とはいえ下士が支配階級に属していたか、は疑問)
でも知行権だけで君臨したというのは凄いな。他の国で例はあるんだろうか。
欧州などの王侯貴族はそうだよ
なるほど。でも欧州の王侯貴族を封じる皇帝は土地を所有してるんじゃないの?
江戸時代、大名はともかくそれを封じる将軍ですら土地を所有してないというのは稀有では?
しかもじゃぁ土地所有権が帝にあったかといえば維新以降そうはなってないんだよね。
むしろ先進的。ロシアなどは20世紀まで農奴(農奴解放令は1861年だけど、ロシア革命まで事実上は農奴)込みの直接土地支配。それを皇帝が保証。
身分階級的には貴族だけど
鎌倉はまだしもなんでついこの前の江戸時代のことさえ分からんのやろ。
皇帝は帝国内有力諸侯の中から選出された嗜好の代表者にすぎないよ
例えば、ドイツ伊皇帝なら、帝国内の所領はプロイセン王国量の中のホーエンツォレルン家の直轄領だけ(プロイセンユンカーたちの領地は彼らのもの)
道中なら無礼打ちしない方が士道不覚悟で御取り潰しになるよ
まあ他藩の領民切り殺したら切腹、打ち漏らしても切腹になるけどね
その当時、「大陸と太平洋に挟まれた孤島の日本」とわざわざ貿易できる国自体が少ない
「切り捨て御免」
ルール厳格
「生類憐みの令」
74回も布告されるほど、庶民はルールを破って肉を食ってた。
綱吉が死んだとたん、即日撤廃され、似たような法すら二度と作られなかった
「農民一揆」「年貢の取り立て」
一揆をする権利を与えられてた。一揆がおきると管理者の責任になるので、なるべく抑えていた。
田んぼの面積で年貢が決まるので、農民は面積計算が出来たし、暦を読む為に天文学さえ修めた。
「日本人は農耕民族」
西洋こそ小麦大国。日本は細長い島国だから山海の幸が豊富。
宗教で肉食が禁じられてたなど大嘘。革製品を作るし、「ももんじ」屋が公然とあった。
わざわざ「精進料理」というカテゴリを作ったのも、みんな肉を日常的に食べてたから。
仮に宗教で肉を禁じてたなら、精進料理など作る必要も内。
でも将軍家領有地以外の土地や国への配属は公であって私有地じゃないから自由というわけには行かない
まぁ言いたいのは絶対的権力者が土地所有権を持たない形で封建制が成立してた日本って相当変わってんなってこと。
文化は朝鮮半島を通って日本に来てないとかなw
稲は日本は3600年前、朝鮮半島は2400年前。稲は温かい長江のものだから当時の中国ですら北の方は取れない。満洲、北朝鮮の辺りが厳冬過ぎで、道が険しすぎるし野蛮人しかいない状態。ヤバすぎて通れない。
日本のごく一部しか産出しない黒曜石が黒曜石の矢じりになると、日本全国的に出土する。その頃から海運は結構発達していた。そもそも弥生人ガーって言ってるんだから船で来てる。無かったら来れない。赤壁の戦いで余裕で海戦してるぐらい、長江、黄河は海運がある。日本は西暦57年には金印を貰うぐらいの国力。つまり、長江から船でダイレクトに九州に稲が来てたって考える方が自然。二毛作できるぐらい温かいし。二毛作って言ったら水田だけどね。陸稲は連作障害あるから二毛作とか無理。
もう、なんでもちょ
自分のして私有地・不動産なのか、管理運営を預かっているだけに過ぎない不動産なのかで変わってくる
プラントオパールでも証明済。長江下流域にはA・B・C・Dという種類の稲があり、日本にはA・B・Cの3種類が出土。しかし、朝鮮半島南部にはAとBだけって感じ。しかも遼東半島周辺では古代稲作遺跡どころか20世紀になるまで稲作は行われていなかった。
何をもって幕府とするのかてえと将軍の統治機構なんだからして
将軍就任前に幕府が成立してましたってのは無理があるよなあ
>「鎖国」
清やオランダとは貿易してたし、清を通じて欧州諸国と間接貿易も行っていた。清が失敗した維新を日本が僅かな期間で成し遂げたのはアヘン戦争の顛末と欧米列強の実力を理解していたからだ。また文化の熟覧した19世紀欧州にジャポニスム(日本文化趣味)が起ったのも開国以前から陶磁器や浮世絵などの美術工芸品が欧州に齎されていた事による。
>「切り捨て御免」
武家諸法度に続く法令によって「無礼打ち」等も明確に規定はされていたが、各種奉行が現在の司法に及ばずとも近い制度の捜査と司法判断を行ない、武士側に非が有れば武士が処罰を受けた。
>「生類憐みの令」
生類憐みの令は江戸初期に戦国時代の荒れた風習が強く残り秩序を回復させる為に行ったもの、秩序が回復すれば生類憐みの令も必要なくなった・
それ以外は同意。日本人は江戸期以前から治水技術に長けた文化を長年培ってきた。水稲は小麦などと違い連作障害が極めて起こりにくく、アミノ酸値も高い食品である為に日本人の人口の安定に大きく寄与していた。但し、江戸期は数度の寒冷期の時代でもあった為に不作や飢饉を克服する事は出来なかった。冷害を克服できたのは戦後暫らくしてからだしね。
お薬出しときますね~
あんまり効きがよくないみたいなんで強めの奴出しときますね~
昼寝していたので遅レスすまない。
あのねえ、あなたこそ長文でまとめているけど、結局私の疑義に答え得てないどころか、返信レスなのに自説ぶちまけてるだけじゃないか。
>自分は興味が無い、周りもそうに違いない」で纏められる程度の事しか書いてない
(結局こういう論点ずらしの輩には、一貫性を持った主張をするのが大切なので、)同じことしか書かないが、繰り返す。
なぜここで興味などという言葉が出てきたのか?
1、学ばないと日常生活に支障が出るもの・興味がないもの
2、学ばないと日常生活に支障が出る・興味があるもの
3、学ばなくても日常生活に支障が出ないもの・興味がないもの
4、学ばなくても日常生活に支障が出ないもの・興味があるもの
の4つに分類できるはずで、俎上に乗っているのは、日常生活に支障のない知識かどうかの議論ではなく、あなたは勝手に興味の次元の問題へと変換している。
私が求めているのは、私の主張がなぜ年号がなぜ日常生活に支障が出るかどうかじゃなくて、興味の問題に帰着できるのかの理由を客観的に示して欲しいんだがね。
※159じゃ、好意的に解釈しても、「私が歴史に興味を持っていない」ということしか述べておらず、日常生活に支障が出るかどうかの問題について触れていない。
初めて民間人の死者が出た1942年の東京空爆のことか
(銅像の除幕式の時、西郷の夫人が「夫に似ていない」と言ったから)
明治時代の人間の事さえ、確信しきれていないのだから
それ以前の時代のことなんか、推して知るべし
>大嘘だ、っていうならどこがどのように嘘なのかの具体的な指摘「江戸しぐさ」が実在したという史料
「実在した」なんて言ってないだろ。
江戸しぐさが、実在してたとかしてないとか関係ないんだよ。
番傘を差して歩く時、向かいの人とブツからないように傾けるのは「当たり前」であり、
わざわざ「マナー化するまでもない事」だ。
で、「江戸しぐさの本」とは、「こういうマナーがあった」と言う本じゃなく、
「江戸の人はこうやって生活してました」という程度の本に過ぎないのに、
原田実って男は、わざわざ「相手の著者がマナーを捏造したことに仕立て」た上で、
「そんな物はなかった~!」と騒ぎ立てた。
>せめて「江戸しぐさ」の存在を主張している人の著作を出さなきゃだめだろ
そんな物はないっつってる。
西郷隆盛の像一つとっても
西郷夫人が「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ(うちの主人はこんなお人じゃなかった)」って言うくらいだぞ
その婆様が何知ってるってんだ?
うちがそれですね。
江戸時代はずーっと藩主の侍医をする家系でしたよ。
高い身分と収入だったようですけど、10年以上勉強しないと継げなかったみたいだけど。
(。´・ω・)ん? 今はど底辺ですわ(泣)
あれは「こんな姿で出歩くような人じゃない」と言う意味だと聞いたけど
>何をもって幕府とするのかてえと将軍の統治機構なんだからして将軍就任前に幕府が成立してましたってのは無理があるよなあ
この前提からして間違ってる。鎌倉時代に「鎌倉幕府」なんてない。頼朝が拠り所にしたのは右大将・総守護総地頭(頼朝家は通称右大将家と言う)。
鎌倉・室町を通じて「将軍はいないが『幕府』は運営された例」は何個もある。幕府の長は絶対に将軍でなければいけないという概念が生まれたのは江戸以降。
周りの歴史学者に色々聞いたところ、この年に成立したという説を
推す人間が誰も居なかったなんて話があった。
教科書作ったの誰だよ?
だいぶ影響力がなくなったのか最近の歴史学者たち、過去の歴史学者たちをストレートに批判し始めたよな。
抗日って嘘ばかりなんだろうな。
抗日朝鮮民族は嘘ばかりなんだろうな。
つまり、鎌倉幕府の成立は1192年である。
>豪商みたいな大金持ちは大金の支払いで郷士みたいな下級武士にはなれたけど
そんなのあたりまえじゃん
役職に取り立てられないとただの浪人だぞ
階級差別でも何でもないってば
全面鎖国ではなかっただけで民間交流は禁止してたからな。
南蛮貿易は幕府の重要な収入源だったのも広く知られた事実だし。
天皇が幕府として認可したのが1192年だから「鎌倉幕府は1192年から始まった」でいいんだよ。
それを日教組の息がかかった連中が「天皇がどうとか関係ないよ、幕府運営の機能はすでに1185から
あったんだから、それでいいでしょ」と言ってるだけ。
いいわけないじゃんか。天皇を守るから認可を受けた幕府なんだよ?
天皇を守らなくて勝手に動いたんなら、そりゃただの野伏せりの集団だよ。
連中は高麗に背乗りして自分らで勝手に高麗を名乗ってるからな。
古代ローマ人といまのイタリア人くらいの人種レベルで歴史が違う。
日本の定義の違いや言い方の違いあたりの話と一緒にしちゃだめよ。
ビックリなのは、韓国じゃそれを教えてないってことよ。
ま、教えてないのは、ついこのまえあった保導連盟事件もそうだけどね。
いまだに生き残りが随分いるのに、みんな口をつぐんで語らない。
都合悪いと替えられるのはどこの業界でも同じなんだろうな
でも、「武士たるもの」が庶民に襟首つかまれて、刀を抜かなかったことがお上にばれても死罪なんだよ。
実際にそれで武田の食客が耳鼻そがれたあげくに国外追放の途中に打ち首になった。
食客ってのは国を回り修行を目的とする武士のことで、そこそこの国主は客としてもてなした。
そこに滞在する代わりに、その期間は兵士として主を守った。そういう面々が館内であるときつかみ合いの
ケンカになったのだが、その時双方刀を抜かず、ケリをうけたあげく片方が卒倒した。そういう理由で打ち首。
基本その一、武士はうかつに諍いをしない、するときは命かけ抜刀し一族を巻き込みとことんする。
ちなみにその二人のつかみ合いを止めずに見ていた者たちも何かしらの処分はあったそうだ。
天皇が自分を守らせるために、自分から一番遠く地でかつ、天皇の敵に近い最前線に自分の親族で形成される武士に
「征夷大将軍」(朝廷の夷てきを征する軍の将)という地位を与えて陣地(何重もの幕で囲われた戦場作戦部)を
作らせ置いたのが、そもそもの「幕府」。だから基本幕府は京都からはるか遠くに離して配置するのがセオリー。
そのあとは形式は変わっても「帝をお守りする」役割は同じ。幕府には朝廷から2つ、「徴兵」と「収税」
の特別権が与えられている。政治の権利が移るのはただの時世で本来は関白の仕事。そこが朝廷に歯向かえば当然、
幕府はなくなる。室町幕府だけ特殊で、「自分らが作った北朝天皇」が南の天皇に襲われる危険があったので京都に
幕府を置かざるを得なかったという情けなさ。
そうね。西欧で判り易くたとえると、辺境伯。
元々は一般軍人だけど職位の権威が上がってからは王族から出すようになったのも似てる。
その後の成り行きは大分違うけど、欧州各帝国が権威の大元を国外に依存する以上どうしようもない。
万年保つ。
アホか
「江戸しぐさ」を言い出した人は「明治政府に撲滅された」なんてことまで言ってるんだぞ
論点は「誰もが当たり前のマナー」かどうか、じゃないっての
そういうこともわかってない人が何か言ったところで滑稽なだけなんだよ
だからこそ「気になったらとにかく調べる」という行動を学生時代に基礎の基礎として叩きこんでおかなければならないし
「ひとつ調べてそれでおしまい」にしない、ということも教えておかなければならない
「心に棚を作れ!」by島本和彦
自分が「こう!」と思いこんでるものが「もしかしたら違うかもしれない」という「棚」を作っておくのが、真の教養ある者となる道への第一歩だよ
>アホか「江戸しぐさ」を言い出した人は「明治政府に撲滅された」なんてことまで言ってるんだぞ
それとこれとは話が別だろ。
>そういうこともわかってない人が何か言ったところで滑稽なだけなんだよ
それとこれとを切り離せないお前がキッチガイだろ。
>だからこそ「気になったらとにかく調べる」という行動を学生時代に基礎の基礎として叩きこんでおかなければならないし「ひとつ調べてそれでおしまい」にしない、ということも教えておかなければならない
まさにお前の事だ。
>「心に棚を作れ!」by島本和彦
漫画脳、気持ち悪い。おえー。
>自分が「こう!」と思いこんでるものが「もしかしたら違うかもしれない」という「棚」を作っておくのが、真の教養ある者となる道への第一歩だよ
釈迦に説法、ブーメラン。
>天皇を守らなくて勝手に動いたんなら、そりゃただの野伏せりの集団だよ。
いや、実際武家政権って合法のヤクザが日本仕切ってる様なものだし。
鎌倉殿が気にすべきなのは配下の武士団。
そんなもん残しても好き勝手に解釈されるわ
広開土王碑の顛末みてみろ
将軍の不在=幕府の瓦解じゃないんだから
任官の空白期があることと将軍任官前から幕府が成立したとすることは全く違う
そもそも「武家政権としての幕府」の概念が成立したのは江戸以降だしねぇ。
御白河法皇から関東管理を任された時点(1183年)で「幕府」が成立したと言えなくはない。「鎌倉幕府」的に征夷大将軍はあまり重要ではなかった(右大将・総守護総地頭の方が大事)。
鎌倉政権としてどちらが重要かという問題と「幕府」の成立は関係ない
(単に幕府である必要性が低かっただけ)
1183年時点で政権が確立したとは言えても「幕府」は成立していない
>鎌倉・室町を通じて「将軍はいないが『幕府』は運営された例」は何個もある
そもそもそれは政権を通じて将軍のいない空白期間があっただけで将軍職に任命されずに幕府が確立した政権が何個もあったわけではない
その空白期間でも何らかの形で次代の将軍を擁立しようと動いているし擁立することが(建前上であったとしても)前提となっている
逆に将軍任命を受けずに幕府を開府した(というか認められた)事例は一つもない
>「幕府」は成立していない
源頼朝が1183年から積み重ねた既成事実を後世の人々が「幕府」と呼ぶのであって、征夷大将軍の有無が武家政権を左右するものじゃない。
最近の研究で、頼朝は「大将軍」という肩書が欲しかっただけと分かっているしね(恐らく鎮守府将軍の家系である奥州藤原氏への牽制)。
>将軍職に任命されずに幕府が確立した政権が何個もあったわけではない
確かに結果として多く例があった訳じゃないが、「鎌倉幕府」草創期にあった承久の乱が分かりやすい。あれでは将軍不在(しかも朝廷に征夷大将軍を与える意思なし)という圧倒的に不利な状況だった。
大事なのは征夷大将軍ではなく「鎌倉殿」「室町殿」という武家の棟梁の称号。これさえあれば武家は一つにまとまる(後醍醐帝から離反した足利尊氏とかね)。
「幕府」開府は朝廷が認めるのではなく、いつの間にか既成事実として認められているのが「幕府」(唯一将軍任命が開府になったのは徳川家康)。
続き
>将軍任命を受けずに幕府を開府した(というか認められた)事例は一つもない
この発想は江戸末期に流行った「大政委任論」に近いね。幕末の人々は「朝廷が武家に朝廷の政務・軍事を代行させた」と考えていた(だから「大政奉還」が成立した)。
しかし史実を見ても、源頼朝及び「鎌倉幕府」(後の幕府も然り)が政務・軍事を任された事実なんてない。ただいつの間にかそうなっていただけ。
奥州藤原氏に対しては朝廷から討伐勅許が出ていないんだよね
頼朝自身の対抗心と敵視、藤原氏を排除して関東以東・以北の覇権を掌握したかっただけだと思う
頼朝の動きはなにかと不穏すぎる
義経敗北と奥州藤原滅亡で朝廷は頼朝を渋々認め、征夷大将軍を与えて一時的に抱き込むことにしたのかと
時を見て源氏、頼朝の家系を滅亡させればいいと
それを実行に移したのが三代将軍暗殺と暗殺役やらせた公暁も北条氏使って誅殺
そして奥州藤原氏と同じ藤原北家の九条家が征夷大将軍を引き継ぎ(奥州藤原氏滅亡させられた報復)、北條氏を執権として関東以北・以東鎮守と政務担当させたのじゃないかと
>しかし史実を見ても、源頼朝及び「鎌倉幕府」(後の幕府も然り)が政務・軍事を任された事実なんてない。ただいつの間にかそうなっていただけ。
そりゃ、朝廷が任命はしても主体的に政務を任せたわけじゃなく時の実力者が政権を取っただけだからそんな事例があろうはずがない
幕府ってのがそもそも一時的な軍政機構なわけで、政権取った側が体裁整えるために征夷大将軍が幕府を開府したって故事を利用したに過ぎないんだから当然の話
だから、「政権の確立」と「幕府の成立」はイコールじゃない
鎌倉政権が樹立した時点で(将軍の任命もなく)幕府が成立したってのは論理的に矛盾する
鎌倉政権が後に「幕府」という体裁取ったから政権樹立をもってして「幕府の成立」とするのは時間的に逆に見てるからそう見ることもできるってだけで、政権樹立時には幕府は成立していないとしか言いようがない
そんな理屈が成立するなら豊臣政権だって「将軍にならなかっただけで豊臣幕府と称すべき」って話になりかねんくらい無茶な話
因みに「大政委任論」については・・・別の話、色々ごっちゃになるからそれはそれ
やるなら今だ!
できるのはお前らしかいない!
奥州藤原氏は「源氏の家人だから」という理屈がある(実際朝廷は奥州藤原氏討伐を追認した)。
>朝廷は頼朝を渋々認め、征夷大将軍を与えて
朝廷は不利になると義経・奥州藤原氏をあっさり切り捨てた。
頼朝にとって大事なのは征夷大将軍より前の権大納言・右大将の方。これで武士団の中で絶対的な権威を手にした。
>時を見て…
朝廷からすれば官位で宥める事ができる頼朝一家(右大将家)より「獣の集団」である北条以下関東武士団の方が恐ろしいぞ。右大将家は皆朝廷を尊重していたから朝廷にとっては都合が良かった。
まず「幕府」という概念が生まれたのは江戸以降という事実を理解しないと。
>時の実力者が政権を取っただけだからそんな事例があろうはずがない
頼朝は先駆者である清盛みたいに政権を奪うつもりはなかった。ただ関東の権利を認めて欲しかった段階から既成事実を積み重ねた結果、何故か全国の大部分を支配してしまっただけ。
武家政権にとって大事なのは「既成事実」。朝廷が関東管理を認めた1183年の時点で「幕府」はスタートしたと考えておかしくない。征夷大将軍も通過点でしかなく、承久の乱での支配体制確立が終着点にした方がスッキリするぐらい。
征夷大将軍より「武家の棟梁」が優先されるのは護良親王の例で明らか。後醍醐帝の子で武勇に優れていたにもかかわらず、大多数の武士が支持したのは尊氏だった。
尊氏は「鎌倉殿」と呼ばれ武士団から心酔された。そして鎌倉掌握の時点では逆賊であり征夷大将軍ではない。
>豊臣政権だって「将軍にならなかっただけで豊臣幕府と称すべき」って話になりかねん
最終的な覇者が徳川幕府である時点でそういった疑問は発生しない。徳川に都合がよければ「幕府」、不都合なら「政権」で誤魔化せばいいだけ。260年もあれば刷り込みは簡単。
幕府を開くのには征夷大将軍任官が必要。で、鎌倉幕府は事実上は将軍支配ではあるが執権政治。将軍はお飾り。
室町幕府は自分の領地を持たず、事実上朝廷との共生関係。支配は事実上山城一国。
徳川家康に至って「征夷大将軍」任官のみならず、「源氏長者」という文武にまたがる(源氏は清和源氏の武家だけではない)源氏の支配者にもなり、江戸幕府は強固な支配を実現した。
守護・地頭にあるように全国の警察権だけで、鎌倉幕府は軍事・警察権の組織で、当初は京都と東北・九州にまでは鎌倉幕府の権限は及ばなかった。奥州藤原氏討伐で東北、承久の乱で京都、元寇で九州と、「探題」と言う出先機関を設けた。北条時宗の子、貞時の代に霜月騒動で有力御家人の安達氏を滅ぼし「得宗専制」が成立して、執権政治の全国支配が成立した。ただ、それは鎌倉幕府滅亡の40年前の事だった。
>幕府を開くのには征夷大将軍任官が必要。
後付けの理屈だね。平安の朝廷は武家に「幕府(武家政権)」を認めたつもりはなかっただろうし逆も然りだろう。歴史を後から見た時にそう解釈されただけ。
>徳川家康に至って「征夷大将軍」任官のみならず、「源氏長者」
それも家康のオリジナルではなく足利義満の前例を踏襲したもの。あくなき権力欲の持ち主義満が手に入れた既成事実を後世の武家政権が引き継いだだけ。
武家政権(源氏三代・義満以降の室町・江戸)が重視したのは右大将。織田信長も義昭追放後に右大将を賜わっている。
それを日本が名前だけ頂戴し、日本式身分制度に改造したってことらしい。
現代のアジアの穀物栽培分布図ですら、米と麦の境界線見ると半島由来って説は相当無理してることがわかる
まして品種改良も何もない古代において、日本に半島経由で米が来るわけないんだよな
存在しなかった農奴をでっちあげ地主を悪人に仕立て上げた歴史の捏造やんか。
小作丸儲け。
素晴らしい例えww
やっぱ理系だなぁ。
全てが損得でそこに「興味」と言うものの入る余地が無い。
しかも歴史というのは各国国民のアイデンティティそのもの。
こういう経緯があったから我々は今こうなってる。
だから今後はこうしようっていう将来を考えるに当たっての指標。
だからそれは本スレでもここでも完全否定されてるんだが…
いや、ホンマもんの理系人間、技術バカって損得勘定にはものすごく疎いし、無頓着
そんなものどうでもいいんだわ、好きなことを好きなだけやれて、それでいくらかかろうが、貧困生活になろうが、とことんまでやりたい人たちだから
損得勘定、合理性で考えるのはただの経済一辺倒バカ
自称理系は、経済バカにとってただ単に理系分野が役に立つというだけのただの道具でしかない
>実質的に頼朝中心の体制が出来ていたから1185年説なんてのがあるんや
説は説として面白いが、「そうだ」と言い切り教科書にのせるのは乱暴でしょう。
勅許が1192なら、鎌倉幕府も1192だよ。
日教組がいくら天皇嫌いでも勝手にすり替えるなと言いたい。
「士農工商」ってもともと儒教の思想で中国産だろ。
あからさまな商業蔑視はまさに儒教そのもの。
今は共産主義を掲げながら、重商路線を推し進めつつ、孔子学院で文化アピールだからワケわからんねw 金目かwww
分かりやすい在庫だな。さすがウリナラファンタジー。
ソースを出して言えよ
農民だろうと町人だろうと相手が武器を持って襲いかかってきたら返り討ちにしても無罪
ただし喧嘩に負けたり逃げたら切腹&家の取り潰し
教科書解説してないだろ。なんで戦国大名が生まれたのかって
樋口一葉が口語体で文学を作った時が、口語の記録の最初。
>>幕府を開くのには征夷大将軍任官が必要。
>後付けの理屈だね。平安の朝廷は武家に「幕府(武家政権)」を認めたつもりはなかっただろうし逆も然りだろう。歴史を後から見た時にそう解釈されただけ
後付けも何も征夷大将軍の開く軍政敷くために開くのが幕府なんだがね
朝廷が内心で武家政権認めようが拒否しようが当時の実力者がその制度を外形的に利用しただけだからそんなもん関係ないし
後付けの理屈だってんなら将軍任官せずに幕府を開府した事例でも挙げてみせてくれよ
任官前に「幕府」が成立したってんならそういう事例があるんだろ
後付けも何も征夷大将軍が軍政敷くために開くのが幕府←訂正
あと蛇足だが付け足し
政権の確立と幕府の成立はイコールじゃない
政権確立時には(構想としてはともかく)幕府の形とるかどうか、(実質はともかく)朝廷が将軍就任を認めるかなんて決まっちゃいない
後に幕府の体裁取ったからって任官前に遡って政権確立時を幕府の開府時とすることこそ後付け
現代に例えれば内閣の発足を閣僚就任時じゃなく直前の選挙の開票結果確定時にするぐらい乱暴な話
幕府という制度も、征夷大将軍という官位も律令制の中にないものだからややこしい。
それこそ義満に触れてる人もいるけど鎌倉以外は1代目の征夷大将軍任官年なんだからそれと合わせればいいだけの話だし将軍あっての幕府と考えるとそこでの矛盾も生じる
尊氏・義詮と南朝の宮将軍が戦前どう扱われてたのか知らないけど
ここの宮将軍は鎌倉幕府の宮将軍ではなく後醍醐帝の子供たちのことね
ちうごく……
黒電話「五大やぞ」
幕府貶めは言うほど天皇貶めに繋がるか?
マスターキートンでわかったやで。
要するにそういう事だね。だから頼朝・尊氏・家康が発行した公文書には征夷大将軍署名の物が少ない。
征夷大将軍になった=全国に影響する政務権を得た、という訳ではないからなんだな。
あくまでも将軍職は名誉職であって、実務職ではないという訳だ。
追及していくと事実が違っているって普通だから。
歴史修正主義者ってレッテル貼り連中も今後なんも言えねぇだろwww
室町幕府は「京都の室町に幕府を置いてる」から。
「現在鎌倉幕府と呼ばれる権力機構の権利獲得の経緯を述べよ」でいいだろ
五百年後の教科書
「スマンの、スーパーファミコンの販売はファミコンの後や、しかもセガじゃなくて任天堂だ」
「何だってーーーーーー!」
「何をもって鎌倉幕府成立とするか?」で
意見分かれててごっちゃになってんじゃなかったのか?
わざと今まで間違ってたような言い方は止めた方が良いと思う。
この時代百姓でも苗字があったが正式に名乗れなかっただけのよう。
刀狩りと一緒で苗字狩りをされておいたんだろうよ。
因みに我が集落の神社の入り口にある2対の石灯籠に寄進した名前が彫られているが、ここにも59名の名前が姓名で彫られているんだよ。
しかし、この石灯籠を作った石工の名前が苗字が無く名前だけなんだよなあ~。この石灯籠は文久年間に作られた。
歴史も書き換えられている、いいくに1192と元寇で鎌倉北条氏がやりだまになった。
マジ騙されてたわ
士農工商なんて完全に思い込みの間違いだもんなぁ
こういう陳腐なミスまだまだあるのかな
>征夷大将軍の開く軍政敷くために開くのが幕府なんだがね
征夷大将軍に軍政を敷く権力はない。プラスアルファで持ってる別の官位によるもの。
>将軍任官せずに幕府を開府した事例
源頼朝・足利尊氏。他にも室町末期に地方へ亡命した足利家の皆さんの体制も当時は武家政権扱い。
>政権の確立と幕府の成立はイコールじゃない
当たり前じゃないか。頼朝・尊氏の時代に「幕府」なんてないんだから。
てか当時の武家が重視したのは「鎌倉殿」(室町殿」という武家の棟梁だぞ。棟梁ではない奴は例え皇子であっても支持が集められない。
征夷大将軍を絶対視したのは徳川幕府からで、それ以前の「幕府」が重視したのは棟梁・右大将など。
実際に、穢多も職業を持っていて牛馬の死体処理は有名だけど、銭形平次のような岡っ引きも穢多の仕事だったとか。士農工商に含まれない歌舞伎役者などもそうなんだろうか?
サイパン取られた時点で詰んだかな。しかしB-29の性能試してから降参かな。
教科書の内容が完璧に正しく一つ完結したものだと思い込むことこそがゆとり思考だよね
訂正
>征夷大将軍に軍政を敷く権力はない。
これは違うわ。ごめん。
ただし征夷大将軍だけでは政治ができないのは本当。プラスアルファで何らかしらの官位を持ってる。特に重視されたのが右大将。
大将軍なら遠征中の臨時占領統治のために家政機関である幕府を組織することができたからね。
歩いて東海道で江戸から京まで一人だいたい5両必要ってことは20万くらいかかったわけで、そう考えるとすっげー高いけど、その間の旅程が約15日と考えるとちょっと安いか?
そー言うの、もういいから、、、とっとと祖国に帰れよ。
その役割なら鎮守府将軍でもいいんだよ。奥州藤原氏はそれで軍政を敷いていたからね。
頼朝が「大」将軍にこだわったのは、鎮守府将軍家系である奥州藤原氏へのマウント取りだと最近の研究で分かっている。
ただなぁ、
その理屈でいくと鎌倉幕府の成立は1184年じゃないとおかしいんじゃね?って気がするんだよな。
木曽義仲を打倒して朝廷に鎌倉殿の支配権を認めさせ征東将軍に任じられたのがこの年だろ。
確かに平家の勢力はまだまだ健在で何時ひっくり返されても不思議の無い弱小体制ではあるけど、それは室町幕府だって同じだし、平家の滅亡後だって改善されたわけじゃない。
そもそも守護地頭が認められたのは1185年の12月だ。本格的に整備されたのはどう考えても次の年以降になるだろ。
名目上の官位に合わせる必要はない、となったら解釈次第でいくらでも数字を変えられる。
そういう曖昧な基準は使うべきではないと思うがね。
言っとくがマルクス史学だって負けず劣らずヒドイもんだからな。
皇国史観を否定しようとするあまり、逆方向の改竄や捏造で恣意的な史観をでっち上げてきた。
それが修正されてきたのは本当に最近。
近年の歴史家だけが真摯で清貧で有能なんてのは真っ赤な嘘。
普通に我欲に満ち保身的で姑息だ。藤原不比等の頃からナンラ変わらんよ。
気をつけなきゃならんのは、「南京事件」と「南京虐殺」、「慰安婦」と「従軍慰安婦」の違い。
いずれの後者も歴史的事実かどうかは不明、かなりあやしくなってるって事をどの程度理解できてるか?って事だな。
肯定派は得てしてこれらを混同し誤魔化そうとするもんだが、
そういうやり方をする時点で自分達の欺瞞を理解してるんだろうて。
劇やドラマなんてモノは今の基準に合わせて作られてるもんだ。
お嬢様の類いは歯を真っ黒にしていたし、奉行所に看板など無かった。
身分制度だって似たようなものだ。当時の基準を出したら視聴者に引かれてしまうから緩和して流してるに過ぎんよ。
だいたい“インドのカースト制度”とかどの程度分かってるのかね?
あれだって年代事にはかなり変遷があるだろうし、区別もかなり多種多様なものらしいよ。
あなたの考えるカーストや士農工商はイメージに過ぎないだろう。
そんなもので嘘も無いもんだと思うがね。
とか言ってしっかりみんな勉強
してるやん!嘘つき!