生きていると「理不尽」なことに出会います。
以前の記事で、自己肯定感を高めることで上司から理不尽で感情的に怒られても、「気にならない」ようになりますと書きました。
この「理不尽」をもう少し掘り下げてみたいと思います。
理不尽なことがあっても平常心を保ち、成長に繋げるためには、どうすればよいかを考えていきたいと思います。
理不尽は少なくなってきた!?
まず「理不尽」の意味を考えてみましょう。
道理をつくさないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。
「道理が合わない」とは「すじが通っていない」と言い換えることができます。
いわゆる「こうだからこう」ということが成り立っておらず「こうなのに、何故そうなる!?めちゃくちゃやん」ということです。
一昔前の部活で「水を飲んではいけない」ということも、今考えると理不尽ですよね。
現代ではこの理不尽自体は減っているのでないかと思います。
ただ、これは大きく捉えて、世の中のルールや仕組みの中の理不尽が減っているだけです。
個人レベルや会社レベルまたは「生きていく中で」と考えると、まだまだ理不尽は根深く残っていると思います。
理不尽に弱い人の特徴
世の中の理不尽が減っているということは、年齢が若い人ほど理不尽の場面に出会うことが少なくはなっていると思います。
単純に考えると理不尽に出会うことが少ないということは「理不尽」に対する耐久性がついていないということです。
子供の頃に理不尽を体験していればしているほど、大人になって「理不尽」に対する免疫がついていると思います。
そのような人は理不尽に対して強いです。
やはり子供の頃に、このような社会や人間の「悪い」部分をある程度、経験させることは大切だと思います。
何でも無菌状態にして育った子供が、大人になって社会に投げ出されたときに困るのは本人ではないでしょうか。
もう一つ、理不尽に弱い人の特徴として「正義感が強い、曲がったことが嫌い」という特徴があると思います。
理不尽は「すじ道が通っていない。めちゃくちゃやん」ということなので、曲がったことが嫌いな人には受付られません。
自分が理不尽なことをしない分、相手が理不尽なことをしてくることが理解できません。
「正義感が強く、曲がったことが嫌い」なことはもちろん、長所に挙げられます。
その一方で「柔軟性がない」ことも表裏一体にあり、理不尽に対しては弱くなる傾向があると思います。
理不尽なことがあったとき
「上司から理不尽に怒られて」という個人レベルの「理不尽」は聞き流したり、気にしなかったり、自己肯定感を高めて対応しましょうと以前の記事で書きました。
ここでいう「理不尽」はもっと大きく多様な意味で考えたいと思います。
例えば、大きいところで言うと、
- リストラにあった
- 大きな病気になった
- 事故にあった
身近な例で言うと、
- 人のミスを自分にせいにさせられた
- 成果を出しているのに認められない
- 自分だけ仕事量が多い
このような理不尽なことがあったときには、どうすれば良いでしょうか。
私はこのように考えます。
- みんな一緒。自分だけではない
- 生きていく中で理不尽があることは当たり前
- 理不尽を真に受けるのではなく、その場を凌ぐ
理不尽は自分だけに降りかかるものではないし、生きていたら必ずあるもの。
だからこそ、真に受けて落ち込んだり、怒ったりするのではなく、取り合えずその場を凌ぐイメージです。
理不尽を嵐だと思ってください。
必ず通り過ぎますし、年月が経てば、いつかは笑って教訓にできる日がくるはずです。
「そんなこと言われたって、そんなに簡単に割り切って考えられないよ!」と思われるかもしれませんが、理不尽とは「すじ道が通っていないこと」です。
「すじ道が通っていない」のですから、いくら考えても理不尽に対する答えは出てこないのです。
だって、めちゃくちゃなんですから( ;∀;)
「AだからBよってC」みたいな論理的な考えが破綻していることが「理不尽」な訳なので、いくら考えても解決策は出ません。
答えの出ない問題を考えても無駄です。
だからこそ理不尽は嵐みたいなものと捉え、まずはその場を凌ぐことに注力してみてはどうでしょうか。
いつか理不尽は自分の元から去ります。
理不尽に応戦するべきか
「理不尽には応戦するべきだ!」という意見もあると思います。
それは最も意見で否定はしません。
ただ応戦して、戦った後に残るものをよく考えて応戦すべきだと思います。
特に個人レベルの理不尽に応戦して、相手を打ち負かすことが、自分に取って良いものなのか、プラスになることなのかをよく吟味してから、行動に移すべきだと思います。
まとめ
大なり小なり、生きていく中で理不尽はみんな避けられないものだと捉えてみましょう。
納得するしないではなく「そういうもんだ」と考える方が楽かもしれませんね。
私も若いころは「すじが通っていない」ことが嫌いで、理不尽なことを極端に嫌っていました。
「すじが通っていない」と応戦して相手も自分も傷つき、つらい経験もしました。
年齢を重ねたこともありますが、柔軟に考えるようになって、気持ち的には楽になりました。
どうせ不特定多数の理不尽が人生の中にあるのであれば、今回書かせていただいた理不尽に対する考え方を少しでも頭の片隅に置いて、参考にしていただければ幸いです。