これから私が書くことは

新年にしてはしんどいテーマだし

私自身がしんどいと思いながら

年末からずっと考えていて

やっと思いをまとめられそうなので

ここに、今の考えを記していきます。


トークイベント仲間であり

映画評論家仲間である

松江哲明監督が2007年に撮った

「童貞を。プロデュース」

は正直見ておりません。


その前の「あんにょんキムチ」も

その後の「あんにょん由美香」も

「ライブテープ」や

「フラッシュバックメモリーズ3D」も

個人的にはとても興味深く

エネルギッシュで

ドキュメンタリーというアプローチの中で

彼の興味や考えが見えてくる撮り方をする

なにかを心に突き立てる個性が際立つ作品で

忘れられないものばかりです。


仲間だから、友達だから、といっても

好みではなさそうなタイトルには

及び腰になるのが、私なのです。


そして

友達だから、なんでも手助けする

というのも私自身

その人が作った映画が好みでなければ

なんでもかんでも紹介しようとは思わない

多分、自分の心に誠実でいたいのかもしれません。


だからこの事件を知ったのは

「童貞を。プロデュース」10周年記念の

舞台挨拶での一件が記事になってのことでした。


その時も松江さんと電話で長々と話し

彼なりの考え、気持ちを聞いていたのですが

今回、当時のことを告白した

加賀賢三さんのインタビュー記事を

リアルタイムで読んで

松江さんと電話で話して

仲間として

映画人として

仕事でもセクシャルハラスメントや

パワーハラスメントを受けて

生きてきた人間として

そして心理カウンセラーとして

十分考えた上で

自分なりの考えを書き記します。


まず

インタビュー記事を受けて

松江さんが何故、

昨年の12月に細かく説明がなされていない

謝罪文を出したのか?


私個人が理解できていたのは

彼という人物とリアルに接しているから。


「加賀くん本人と話すべきであり

加賀くん本人を前にちゃんと謝るべきことで

ネットで大衆に向けて書くこととは違う」


ということでした。


正直、10周年記念舞台挨拶で

加賀さんがステージに上がって、公共の場で

松江さんに当時のことを再現しようと

怒りを露わにした時点で

加賀さんの心の声や怒りが

松江さんにぶつけられ

話し合いの中で

解決するものだと思っていました。


だからこそ

松江さんやスポテッドプロダクションズの直井さんによる

その後の声明文で怒りが増長したのだろうし

更に深い心の傷になっての

昨年12月のインタビュー記事へと

繋がったんだと。


何が真実なのかは

正直、本人同士しかわかりません。


大切なのは、それだけ、加賀さんは辛かったということなんです。


思い出すたびに

嫌な気持ちになっていったのかもしれません。


だからこそ

松江さんと直接顔を合わすことが出来ずに

インタビューという形を取ったのかもしれません。


加賀さんと話していないので

これはあくまでも憶測です。


自分で言うほどカッコ悪いものはないですが

映画の仕事しかしていない私は

多分、どっぷり映画人であり

直井さんとも松江さんとも親しい立場です。


だからこそ

松江さんが、加賀さんに会ってしっかり謝りたい

全て受けると言った後

それ以上の何を

映画人として考えるべきなのか

頭を巡らせました。


私の元に

松江さんへの心無いコメントが届いたりすることが

加賀さんのイメージを悪くすることに気付かない

人たちに対して

とても残念でなりません。


そして映画界から追放、という考えの方たちに対して。


そのようなことを加賀さんが望んでいると思うなら

加賀さんに失礼だと思いました。


もしそうなったら

加賀さんは、"人をひとり消した"という意識に問われ

更に後悔に苛まれてしまう。


映画界におけるパワハラを世に知らしめようと

胸に誓って行動しているのならば

もう二度と「合意のない撮影で映画を撮らない」

と多くの映画人に

強く思わせることが望みなのではないでしょうか?


そして

あの舞台挨拶後

松江さんは、合意のない映画を撮っているのでしょうか?


私自身

仕事に支障をきたすような嫌がらせを受けた経験から

今回の事件のコメントは

慎重に考えてから書こうと決めていました。


松江さんが

加賀さんの心を深く傷つけたというのは

舞台挨拶という公共の場での松江さんへの

やり返しや詳細なインタビューなどから

分かることだし

そこは松江さんが真摯に向き合うことで

加賀さんの気持ちが収まるまで

加賀さんに謝ればいいのです。


そもそも松江さんは会社員ではなく

フリーランスなのです。


だから映画を撮らなければ

収入が無いという状況なのです。


そう考えると

映画会社やスタッフが

松江さんに仕事を頼むか否かを

彼ら自身が考えればいいのです。


私は

松江さんの映画愛に満ちた映画評論が大好きで

「公開前の新作は、いくら好きじゃなくても

口にするのはやめましょうよ」

と映画トークライブについての考えを述べる

松江さんの映画愛を信じています。


だからこそ今回のことで

映画トークライブに

松江さんには出ないでもらおう、なんて

思い付かないのです。


松江さんが

「気持ちよく映画についていつものように

評論出来るなら、イベントに出ればいい」

そう伝え、答えを待っていました。


合意のある仕事こそ、私自身が気持ち良いと思えるから。


私は、彼の映画愛に満ちた熱すぎる

映画評論が好きだし

彼と語り合うことで

映画を見直すきっかけにもなるからです。


それは私自身が、脅迫を受けた時に

多くの映画会社の宣伝マンが

「さとりさんは悪くない。さとりさんの仕事ぶりをかってオファーしたのだから」

と口にして、オファーを取り消さなかったように

私自身が松江哲明という人間の

映画評論を「好き」だからなんです。


そして、個人事業主の私の今があるのは

映画会社さんたちの「私への気持ち」だけだと

思います。


私の件に関していえば

嫌がらせした人は、私のことが嫌いだったんだと思います。


しっかり対面して話をしたことも 

顔を合わせたこともない人間を嫌うというのは

その存在が気に入らない

ということになり

だから潰したかったんだと。


その当時は、

安全を期して、オファーを取り下げた人達も居て

それはそれで致し方ないのです。


人の心は十人十色で

そこには多くの人が関わり、映画は作られ

何かを守るために

犠牲になってもらうこともあるのだから。


松江さんの一件で

私たちのイベントについて

意地悪なコメントをする人たちも

松江さんだけでなく

松江さんに関わる周囲の人々の心を

傷つけるという罪をおかしているんです。


加賀さんの心の苦しみは痛いほど伝わるし

松江さんの頑固なまでの

「公共の人たちではなく、加賀くんに直接謝りたいからネットは使わない」

という考えも尊重します。


そして、憔悴した声の松江さんに

私が発したのは

「私は松江さんの作る映画が大好きなんだから辞めないで!」

でありました。


プロデュースしたアニメ映画「音楽」

なんて、愛が溢れていて、夢があって

チャーミングで

人は外見ではないというテーマも詰まっていて

本当に心から大好き!


だだし

「童貞を。プロデュース」だけは

個人的には内容が好みではないし

今回の騒動が巻き起こした様々な人々の感情や

私としては友と思っている松江さんへの

外部からの誹謗中傷に

心が苦しくなり

今も見たいと思えない生身の人間です。

 
それが全てです。