アイヌ文化の形成は13世紀以降とされます。続縄文文化は6世紀ごろまで北海道から東北北部にかけて広く分布していたし、その後の擦文文化からの連続性をアイヌ文化も保持していたと考えるのが自然です。
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縄文人が持っていないハプログループY遺伝子を近世アイヌが40%も持っている事を考えてもアイヌはアムール川流域をホームタウンとした外来人と考えるのが自然です。
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日本人にないハプログループYを20%持っているのはアムール川流域やオホーツク人の影響ですが、日本列島に固有と言える D1bはアイヌは87%持っています。これは縄文人特有の系統であったと考えられ、琉球人で50%弱、本土日本人で30%ほど、樺太から南下したとされるC2は約12%です。
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Wikiの引用というのは解りました。間違いですよ。
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有難うございます。注6の表記は2004年。2014年以前の日本の人類学に関する本や、言説には注意が必要となりますので。
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私は瀬川拓郎さんのちくま新書のものと、山川出版の日本史リブレット他を参考にしています。蝦夷アイヌ説・非アイヌ説は共に一面的な捉え方であり、多様な蝦夷やアイヌの在り方を説明できない、また遺伝子解析は重要でも、民族の社会的文化的特徴も変遷して固定されてはいない、一事を以って断ずる事は
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出来ない、というのは変わりません。探索は指摘を受けるまでもなく自身で行いますが、Ishii様ご自身もまた党派性を帯びていないのか省みる事も必要ではないかと思われました。
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例えば、貴殿の示した資料には、総合研究大学院大学と東京大学はとありますね。普通、大学は研究成果の発表は独自で行います。共同研究はお互い譲り合っている可能性があります。そういう事も頭に入れてください。
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承前、お付き合いして頂いたことは感謝しますが、Yのみ着目してM7aを言わないのは分かりません。誠実な態度とは思えません。 http://yunnan-k.jp/yunnan-k/attac …pic.twitter.com/9aa4a7E73u
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M7aは縄文人は、7%。近世アイヌは5%。現代アイヌは16%。つまり、混交を繰り返してきた証明で先住民の証明にはなりません。
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31%?%が問題なのではなく、縄文人が持っていないハプログループYが問題では?
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