存在しない時間と存在するはずの未来:新年に寄せて編集長から読者の皆さんへ

アントロポセン(人新世)を生きるわたしたちにとって、地球の気候変動や人間の意識といった、人々がその全貌を知覚し得ないものに取り組む10年になる──。2020年代において、未来を語ることの可能性について綴った『WIRED』日本版編集長・松島倫明からの年初のエディターズ・レター。

2020

YASUKO AOKI/AMANAIMAGESRF/GETTY IMAGES

時間がいかに存在するのかは、いまも物理学では証明できない──イタリアの理論物理学者カルロ・ロヴェッリは、昨年邦訳された世界的ベストセラー『時間は存在しない』において、アリストテレスが唱えた変化の差分としての時間と、ニュートンが提唱した数学的で絶対的な時間とを対比させつつ、アインシュタインの相対性理論による統合を経て、そう結論づけている。

近年の量子論によれば、存在するのは出来事の連なりや変化そのものだけであって、ぼくたちはそれに「時間」という概念を後付けで当てはめたにすぎない。だからこの2020年を特別な区切りの時間だと感じるのは、人間がつくりあげた絶対的時間とやらによるものなのだけれど、それでも、例えば過去10年を振り返ってみれば、その時間の経過がいかに主観的で、時間の向きですら相対的だったかもしれないことを思い出させてくれる。

10年という時間の差分

2010年になろうとする日本で、電車の中でスマートフォンのスクリーンを眺めていたのは10人にひとりしかいなかった(手にしていたのはiPhone 3GSだ)。Twitterのタイムラインはいまだサード・サマー・オブ・ラヴの空気に満ち溢れ、Facebookがmixiを抜くのは数年後のことで、韓国NHNの創業者はまだLINEの開発を思いついてすらいなかった。つまりは、とても牧歌的で無垢なる時間(そう、主観的な時間)が流れていたのだ。

ビットコインを使った初めての売買(ピザ2枚を1万ビットコインで購入)が成立するのも、のちに「AlphaGo」を開発するディープマインドをデミス・ハサビスらが創業するのも、イーロン・マスクが民間企業として初の宇宙機回収に成功するのも、まだ少し先のことだった。この時点でテスラの納入台数はたった数百台で、人工知能(AI)は長い「冬の時代」の眠りにあり、当時17歳のパーマー・ラッキーは大学でVRゴーグルのプロトタイプを開発中だった。

世界がそれからの10年で変わったと言えるなら、少なくともいまそれを「観察」しているぼくたちにとっては、その差分だけ時間は進んだことになる。ウィリアム・ギブスンのおなじみの言葉「未来はすでにそこにある。ただ均等に分配されていないだけだ」に従うまでもなく、ぼくたちは10年前に偏在した「現在」を、いまならいくつも指差してみせることができる。そして当然ながら、いまこの瞬間にも、次のサトシ・ナカモトやデミス・ハサビスやパーマー・ラッキーが、研究室で次の「未来」を準備しているのだ。

テクノロジーとロマン主義

2020年代に起こる未来をいまここに描いてみるなら(それは『WIRED』のレーゾンデートルでもある)、イノヴェイションの領域はいよいよ人間の身体の外側の世界から内側の世界へと主戦場を移し、生命活動をアルゴリズムとして回収していくホモ・デウス的世界に抗って、特にいまだ科学でも解明されていない「意識とは何か」という問題(ユヴァル・ノア・ハラリが「知能は必須だが意識はオプションにすぎない」と言ったあれだ)に、本気で取り組み始めるだろう。

18世紀に始まった産業革命に応えるかのようにロマン主義思想が生まれたのは偶然ではないはずだ。テクノロジーが社会を大きく変え、人間の存在をも飲み込んでいくと感じられる時代にあって、人々は理性偏重の合理主義に抗うように「人間らしさ」を再発見してきた。個性や自我といったものを尊重し,知性や理性よりも感覚や想像力こそが大事だとして、その源泉を手つかずの自然に求めたのだ。

それはまさに、「AIの時代」と言われるこの2020年にも起こることだ。その「人間らしさ」の聖杯こそが「意識」であり、「意識とは何か」という探求は、やがて人間だけでなく動物やさらには植物にまでその射程を拡げていくだろう。同時に、マイクロバイオームや腸内細菌叢についての理解が進むにつれて、人々の生命観や空間認識、生物圏についての理解も大きく変わるだろう。

加えて、気候変動と次世代モビリティとミラーワールドの実装によって、体験価値や移動価値はいまとは大きく違うものになるだろう。人類の地理感覚も地球規模、あるいは宇宙規模で大胆に書き換えられるはずだ。何よりもこの10年は、気候変動という問題に人類が大いにコミットする時代となるだろう(もちろん、「地球のためのディープテック」によって)。

関連記事雑誌『WIRED』日本版VOL.35「DEEP TECH FOR THE EARTH」特設サイト

定まった過去も、不確かな未来もない

ギブスンは最近の『ニューヨーカー』のインタヴューで、彼が「ジャックポット」と呼ぶ緩慢に進行する終末の世界について語っている。海面上昇や飢饉、薬剤耐性疾患や資源戦争といったさまざまな最悪の出来事が、まるで天候がゆっくりと変わっていくように地球を覆っていく。つまり、「終末はすでにそこにある。ただ均等に分配されていないだけ」というわけだ。

人は歳を重ねるにつれて賢くなると同時に(だからこそ)未来に対して悲観的になる傾向を差し引いても、ぼくたちはこの老SF作家に耳を傾ける理由がある。なぜなら未来も終末も等しく、確かにすでにここにあるからだ(きっとロヴェッリも頷いてくれるだろう)。

ホモ・サピエンスというたったひとつの生物種が地球の生態系や気候を大きく改変してきた時代「アントロポセン(人新世)」の思想をけん引する哲学者のティモシー・モートンは、主著『自然なきエコロジー』において、自然を美しく無垢なるものとして崇め、保全しようとするロマン主義的態度を批判する。それは「美しい自然」という虚構を消費しているにすぎない。言うなれば過去を眺めるだけで、未来と終末を同時に引き受けてはいないということだ。

モートンの思想は地球環境について、ぼくたちを取り囲み、ぼくたちに影響を及ぼしていながら(あるいは、ぼくたちが影響を及ぼしていながら)その存在を知覚しえないものと定義した上で、人間はその対象にどうすればたどり着けるのかを問うている。それはもしかしたら地球環境だけでなく、時間や意識、あるいは微生物についても同じだろう。そこにたどり着こうとする営為こそが、アントロポセンに生きるぼくたちが、科学やテクノロジーをも使いながら未来を紡いでいこうとするこの2020年代に、もっとも大切な態度ではないだろうか。

『時間は存在しない』でロヴェッリは、「定まった過去と不確かな未来」といったものは自分という特殊な視点がつけた名前でしかないと語る。であれば、過去や未来を決める「自分という視点」とは何なのだろう? それを問うことは──つまりは意識や地球や時間の存在を問うことが──過去や未来と呼べるものをどう実装するのかに、そのままつながっていく。

あなたの視点は2020年にどんな過去と未来を見るだろうか? 『WIRED』日本版は今年も、それを問うための視座をあらゆるかたちで提示していくだろう。ぜひご期待いただきたい。


オンライン版WIRED特区
来たれ、「WIRED SZメンバーシップ」へ!

『WIRED』日本版が新たに立ち上げた特区(スペキュラティヴ・ゾーン=SZ)とは、社会に新しい価値を実装するための場だ。そこに集うSZメンバーには、スペキュラティヴ(思索/試作的)な実験を促すテーマが毎週設定され、次の10年を見通すためのインサイト(洞察)が詰まった選りすぐりのロングリード(長編)を中心に、編集部が記事をキュレーションしてお届けする。今後はイヴェントや編集部とのコラボレーションの機会など、『WIRED』が掲げ続けてきたタグライン「IDEAS+INNOVATIONS」を一緒になって実験し、社会に実装するための挑戦の場となっていくはずだ。もしあなたが隣の誰かとは違う、真に価値のある情報を手にし、その意味と文脈を社会に実装したいのなら、WIRED特区に足を踏み入れ、SZメンバーというパスポートを手にしてほしい。来たれ、WIREDの実験区へ

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もはや人類は地球上の支配的なアクターではなくなる:デザイン理論家ベンジャミン・ブラットン、「ポストアントロポセン」の可能性を語る(後編)

アルゴリズムによる統治、人間排除区域、逆転する不気味の谷──デザイン理論家ベンジャミン・ブラットンがモスクワで教鞭を執るプログラム「The New Normal」では、この3つの急進的なテーマが研究されている。彼が2016年に提唱した「The Stack」という理論をひも解いた前編に続き、後編では3つのテーマと「ポストアントロポセン」の可能性について、スペキュラティヴ・ファッションデザイナーの川崎和也が訊いた(『WIRED』日本版VOL.35に掲載したインタヴューの完全版)。

PHOTOGRAPHS BY SHINTARO YOSHIMATSU
INTERVIEW BY KAZUYA KAWASAKI
TEXT BY KOTARO OKADA


ベンジャミン・ブラットンへの単独取材が終わったのち、Gallery IHAにて講演も行なわれた。

前編から続く>

The New Normalが探求する3つのテーマ

──あなたがStrelka Instituteでプログラムディレクターを担当しているThe New Normalでは、いくつかの研究テーマを設定していますよね。それについて教えていただけますか。

今年の研究テーマはAlgorithmic Gorvernance(アルゴリズムによる統治)、Inverse Uncanny Vally(逆転する不気味の谷)、Human Exclusion Zone(人間排除区域)の3つです。まず、Algorithmic Gorvernanceについて説明しましょう。それは、さまざまな文化的背景のなかで、自動化(Automation)とは何を意味するのかを問うことから始まりました。

また、わたしたちが考えている以上にテクノロジーと政治は密接に結びついています。テクノロジーには政治的な価値観があったり、政治がテクノロジーを監督するかもしれない状態になっています。だから、ガヴァナンスについて考える必要があります。

アルゴリズム・プラットフォームは、ガヴァナンスの一形態として機能します。その所有者は国家でもあり、私有のものもあり、両者が混合しているものもありえます。また、わたしたち自身を支配しているアルゴリズムをどうやって支配するか。そのためには、中央集権的か分散的か、国家か公共かという二項対立ではなくその組み合わせが重要になります。

わたしは以前、エストニア政府のデジタルアドヴァイザーを務めるMarten Kaevatsと話をしたのですが、エストニアではアルゴリズム賠償責任法(Kratt Laws)の制定の話が進められており、アルゴリズムによる統治の観点においてもユニークです。

──Inverse Uncanny Valleyについても教えてください。Uncanny Valley(不気味の谷)とは、ロボットが人間に近づけば近づくほど、ある閾値を超えると気持ち悪く感じるという現象のことですよね。それを逆転させるとは、どういうことでしょうか?

機械の眼を通して、あなた自身を見ることです。自分が思っているようには映らずに、ぞっとしてしまいます。自分が想像しているのとは違う姿で現れますから。Inverse Uncanny Valleyは、顔やカモフラージュ、コンピューターヴィジョンにまつわる問題です。重要なのは、このような視点により人間の認識をどう変えるのか?ということです。

浮かび上がってくることのひとつは、それが人間か非人間かという考え自体が間違っていること。人間とAIは常に混ざっており、融合しています。なぜなら、AIの背後には通常、人間または人間のトレーニングがあり、人間の背後には常に一連のテクノロジーがあるからです。

ベンジャミン・ブラットン|BENJAMIN BRATTON
デザイン理論家。カリフォルニア大学サンディエゴ校の視覚芸術学教授兼「The Center for Design and Geopolitics」ディレクター。ストレルカ・インスティチュートにて「The New Normal」ディレクターを務める。同校にて「地球のテラフォーミング」に関するプログラムを準備中。単著に『The Stack』、共著に『Dispute Plan to Prevent Future Luxury Constitution』など多数。

──なるほど。Inverse Uncanny Valleyは、機械の眼から人間を再解釈する営みなんですね。ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの「環世界」の概念を連想しました。

そうですね。マシンランドスケープのような概念とも関係しています。AIはときには自律的で、実用的な方法で共同研究者のようなものになるかもしれません。AIと協力して何かを行なうように。AIはあらゆる種類の知性の拡張になりうることを意味します。世界には、さまざまな知性が存在します。動物、人間、イルカ、カラス、タコ、野菜、ミネラルなど、知性はさまざまな形で存在します。そしてAIは共同研究する知性がどのようなものかは気にしません。人間以外の知能が人工知能をもつようになったという考えは、非常に面白いです。

──面白いです。

もう少し踏み込んで話せば、コンピューターやAIは、アフリカ大陸のある地域から採取した岩石でつくられ、中国で組み立てが行われ、石炭を燃やしたりロシアの天然ガスを圧縮したりして、それに電力が供給されます。すべては地政学的なプロセスであり、コンピュテーションは地政学的な事象なんです。では、そのAIを何に使うべきか。わたしたちの生命を存続させるために、この知性の爆発を気候変動のような差し迫った問題に対処するために使わなければなりません。

(写真右)聞き手を務めた、スペキュラティヴ・ファッションデザイナーの川崎和也。取材後に発売された編著『SPECULATIONS』にて、ベンジャミン・ブラットンが提唱した「The Stack」や「The New Normal」のプロジェクトを紹介している。川崎へのインタヴューはこちら

──なるほど。地球の資源を使ってAIをつくることが環境に負の影響を与えつつも、それ自体が気候変動に対応するツールにもなりうるということですね。Human Exclusion Zoneについても教えていただいてもいいですか。先ほど話されていたように福島第一原子力発電所のように人間が住めなくなった土地はそれにあたりますよね。

それだけではありません。「自動化」された機械にとって最も快適な環境は、工場の内部にあります。特に高度に自動化が進む工場では、人間とロボットは非常に分離されています。それは人間がKUKA[編註:ドイツの産業用ロボットメーカー]に斬首されるのを防ぐためであり、KUKAにプログラムされた動きが人間によって混乱させられるのを防ぐためです。動物園で虎を人から遠ざけるように、ロボットを飼育する仕組みになっています。

工場や農地は自動化の最もインテンシヴな形態のひとつですし、それはかなり普通なことです。しかし、それが都市規模で普及するにとれ、工場の論理はどのように都市に浸透し、Human Exclusion Zoneが出現するのか、を解き明かそうとしています。工場では移動させる箱を決め、箱を取り外して移動させますが都市はこれとどれほど近いのか。

この力学を小規模、中規模、大規模、超大規模と定義し、空間領域プログラミングの論理を適応しようとしても、この問題に関する重要な理論的研究は存在しません。その理由のひとつは、この種の建築の多くが本物の建築だとは考えられていないからです。かつての美術館建築などとは対照的に、単なる産業建築として片付けられていましたから。


 

工場における自動化の論理を、都市の規模に拡張してみましょう。2018年、米国のアリゾナ州でUberの自律走行車が、車道を横断しようとした歩行者に衝突する死亡事故がありました。これを防ぐために、都市での生活を「人々が行くことを許されている区画」と「クルマが行くことを許されている区画」に切り離すこともできるでしょう。都市の多くは人間の立ち入り禁止区域になり、残りの場所に人々が住むことになるのです。

より大きな規模で考えれば、Human Exclusion Zoneは都市の規模ではなく、国土の規模で考えられます。いくつか例を挙げましょう。SF作家のブルース・スターリングが提唱した「Involuntary park」という言葉があります。これは環境、経済、政治上の理由で、、人間の居住区が非意図的に野生の状態に戻ることを指しており、チェルノブイリや福島第一原発のような場所がそれに当たります。


 

また、生物学者のエドワード・オズボーン・ウィルソンは『Half Earth: Our Planet’s Fight For Life』にて「人類の文明が生きのびるためには、地球の半分を自然保護区にせよ」と主張しています。地球の半分が回復と再野生化に戻れるように、そのプロセスを慎重に行なう必要があると。それにより、進化が続き、野生動物のコリドーが続き、川の流域が回復するかもしれません。SF作家のキム・スタンリー・ロビンソンも『ガーディアン』誌への寄稿で同様の主張をしていますね。

つまり、人間の小さな居住区の外に自動化ゾーンがあり、さらにその外に自然がある状態です。これは極端な例ですが、人間排除区域を考えるときには、超高密度の巨大都市の倫理的必要性と、地球を回復させるための議論が必要になってきます。もしわたしたちが住む都市が自動化されたシステムに基づいたものだとしたら、人間が暮らすアパートの中のような場所以外の地球の半分は、Human Exclusion Zonesとなるでしょうね。

未来はキャンセルされていない

──あなたはThe New Normalにて「The Future Has Not Been Canceled(未来はキャンセルされていない)」というメッセージを掲げていますよね。なぜこの言葉を選んだんでしょう?

わたしたちは都市を非常に短期的な視野でデザインする傾向がありますよね。もっと長期的な視点で課題やさまざまな方法を見ていくべきです。

また、このメッセージは悲観的な物事の見方に対するレスポンスだったと思います。例えば、1960年代の文学を見ると、2000年や20世紀に対するアイデアは多く出てきます。2016年には、2100年のことについて悪いニュース以外の話は出てきません。

それはロシア未来主義にも関係していると思います。このオフィシャルな未来主義が長い間存在し、この共産主義の未来はかなり古びたものになっていたからです。そして、それはキャンセルされたばかりでした。だからこそ、このメッセージを掲げる必要があったのです。

──「中華未来思想」に対する、あなたの考えを聞かせてください。

中華未来思想にはいくつかの解釈があると思いますが、そのひとつは西洋が中国をみて、想像を膨らませていることです。それは自分自身に対する恐れを中国に投影し、それを逆側から観ていることであり、中国が西洋に取って代わるような未来を想像する行為です。しかし中国における中華未来思想と、SFとしての西洋が考える中華未来思想は関連性はあるにしろ、まったく同じものではありません。


 

──あなたは「ポストアントロポセン」という言葉を使いますよね。人類が地球環境に影響を与える時代を定義しようとする言葉を「アントロポセン(人新世)」と呼びますが、そのあとにやってくる世界はユートピアでしょうか、ディストピアでしょうか。

ユートピアでもディストピアでもなく、そのあらゆる範囲が可能だと思います。人間中心の時代であるアントロポセンは永遠に続くわけではありません。アントロポセンへの反応とは、できるだけ早くアントロポセンと呼ばれる時代から抜け出すことだと考えています。ポストアントロポセンとは、どのような状態であれど、人類がもはや地球上で支配的な地質学上のアクター(行為者)ではないという時代です。

しかし、人間が絶滅してAIゴキブリがあとを継ぐような状況だけではなく、さまざまな可能性が考えられます。人間がまだ認識可能なかたちで存在しているかもしれませんが、ほかの何かが支配的な種となり、地質学上のアクターになっているかもしれない。あるいは、人類は自分たちをもはや人間と認識していなく、異なるものに進化しているかもしれません。それもポストアントロポセンの可能性のひとつです。

──最後に、あなたが次に取り組むプロジェクトを教えてください。

The New Normalの次にわたしが取り組むのは「The Terraforming」というプロジェクトです。テラフォーミングという言葉は、人為的に惑星の環境を変化させ、人類の住める星に改造することを意味します。地球ではなく火星などの他の惑星への入植という意味で使われることが多いですが、わたしはテラフォーミングを異なる意味合いで使います。これまで地球は人間によってテラフォーミングされてきましたし、気候変動が深刻化して地球に住めなくなる土地が増えるなかで、再び地球をテラフォーミングするにはどうすればいいのか、を考えます。ロシアはロシア宇宙主義や宇宙開発の歴史がある土地です。このロシアで、テラフォーミングという言葉を使いながら、その未来を探るのです。

──ありがとうございます。あなたの話には希望をもらいました。

必要なものはすべて揃っているんです。問題は解決可能ですが、パースペクティヴや惑星規模での生化学の大きな転換が必要とされているのです。

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