ミシマ社の話ミシマ社の話

第78回

自分の足元から少しずつーー「思いっきり当事者」として

2020.01.01更新

 あけましておめでとうございます。
 本年が皆さまにとりまして豊かな一年でありますように。そう祈念して、この文章を記したく思います。

 

「自分たちの手で 自分たちの生活 自分たちの時代をつくる」
 201510月、この言葉を掲げて、ミシマ社初の雑誌「ちゃぶ台」は創刊しました。以来、年に一度の刊行を重ね、昨年10月にVol.5「宗教×政治」号を出しました。
 最新号を「宗教×政治」号とした理由は、端的に言えば、このままではいけない、という抜き差しならない思いがあったからです。全方位にわたって、このままではいけない。放っておいたら、自分たちの生活が根こそぎ崩されてしまう。5年前に「ちゃぶ台」を創刊したときより、はるかに強い危機意識が自分のなかでありました。
 何がこのままではいけないか?
 大きくは、気候危機、環境問題があります。けれど、そうした問題に向かう以前に、民主主義の崩壊、メディアの不機能、教育の画一化、食料危機、などなど、大きな問題に向きあうための土台が、足元からくずれるような事態ばかりが進行しています。ひとことでいえば、ひとりの生活者のことなど歯牙にもかけず、ごく一部の人たちのだけが恩恵を蒙る政治と経済が進行している。
 こうした事態を打開するヒントを得たくて、政治特集のタイトルを「みんなのアナキズム」としました。
 そのなかで松村圭一郎さんが、「はじめてのアナキズム」を寄稿くださいました。

 「よりよき生を実現するには、ときに国家のなかにあってなお国家の外側に出ることが必要になる。そこでのアナキズムは、かならずしも国家体制だけに抗うものではない」

p.69

 無政府主義と訳されることが多い「アナキズム」に、松村さんは、新たな解釈を与えました。豊かな生を実現する、ひとつの手法としてのアナキズム。ガチガチにかためられたかのように思えるシステムにスキマをつくるアナキズム。

 では、どうしたら、スキマをつくっていけるのか?
 仲野徹先生が、『ほんのちょっと当事者』レビュー(HONZで「ほんのちょっと当事者運動」が広がるように、と書いてくださったとおりで、「当事者」としてかかわっていくこと以外にないと思います。実際、環境問題であれ、経済の問題であれ、すべての問題において当事者でないことはまったくないのですから。ほんのちょっと、から世界は変わっていく。
 これを実践しつつ、今年、もうひとつどうしても実践せねばと思っていることがあります。
 それは、自分の足元だけは必ず変えていく、ということです。
 僕で言えば、出版業界から。
 もし、自分のいる業界、自分の足元で実践できなければ、国家レベルや地球レベルの改善などとうてい無理ではないかとも思えます。
 なにせ、自分の所属する業界です。そこは「思いっきり当事者」でないわけがない。本来、自分の動きがもっとも影響をおよぼす領域。つまりは、もっともやりがいが出るはずの領域です。
 が、だからこそむずかしい、と言う人がいるかもしれない。
「そうはいうけど、下手に声あげたら、そこで生きていけなくなるよ」
 自分の所属している場所だからこそ、「これまで」とちがう動きをとるのがむずかしいでしょうよ、と。
 たしかに、そういう面があるのは否定できません。長いものに巻かれろ、多勢に伍するにしくはなし。結局、何かをしようとして傷つき、失うくらいなら、何もしないで黙っているほうがいい。これが生きる知恵。そう思っている人が少なくないのはわかります。
 けれど。
 思いっきり当事者であるはずの場で、何もしない。その積み重ねが、積年の「何もしない」が、現在のような危機的状況を生んだ。これを否定できる人はいるでしょうか?

「自社だけよければいい」という時代が終わった時代に

 たとえば、自分の業界でいえば、もう何十年と「出版不況」という言い方がされています。返品率の高さ、出版点数の多さ、すごい勢いでなくなる書店、その一因である書店の利益率の低さ。こうした状況が、僕がこの業界に入った20年前から言われつづけています。そうして、なにひとつ改善されないまま現在に至ります。
 もし、20年前に手を打っていたら? まったくちがう光景が今、広がっていた可能性があります。
 本がこれほど消費材となっていなかった。書店という空間がもっともっと豊かで温かで、地域の人たちに愛される場になっていた。そうした書店がいっぱいあった。
 その可能性は十分考えられます。だが、現実はこうはならなかった。
 このまま、いける。いつかは改善する。
 あるいは、一度持ち直してすこし余裕が出てきたら、手を打とう。
 こう、出版界の中心にいる人たちが思っていたのか? そして現場は現場で、上の人たちがやることだから、として考えないようにしてきたのか?
 そのあたりは定かではありません。
 ただ、上下左右の区別なく、みんなで何もしてこなかったのは確かです。
 もちろん、目の前のしごとに対しては、とても真摯かつ尊敬に価するしごとが日々生まれているのも事実です。
 この間、すばらしい本が山のように生まれました。すばらしい書店員さんたちにもいっぱいお会いしてきました。
 だが、目の前の一冊をよくすること、それを届けること、を超えた動きをどれほどとれたでしょうか? 目の前に流れている仕事にプラスして、業界の枠組み自体を持続可能なかたちへと移行させていくための動きをとってこれたか。
 そう問われて、「かなりやってきたよ」と即答できる人はどれくらいいるでしょうか。
 どんなにすぐれた仕事をしてきた人たちであっても、読者を想い、一生懸命、いい作品をつくろう、届けよう、それで精一杯。業界のあり方を考えるのは、別の人の役割、としてきたのではないでしょうか。
 ですが、どんなに善人であれ、よき市民であれ、地球環境に多大なる負荷を与えながら生きている。気候危機を迎え、生き方そのものを問い直すことを避けて通れる人は、もう、いません。
 同じように、自分の業界、思いっきり当事者の場においても、そのあり方を変えていくことに無関係でいることはできない。

 僕自身もそうでした。正直、自分の会社を維持するだけで精一杯。すくなくとも、2015年にシリーズ「コーヒーと一冊」を出すまで、具体的な手を打てずに、ただ本を出し、届けることしかできずにいました。
 すでに流れがある。いったん流れている。その流れの裡にいるほうが楽です。
 僕たちも、すでにできあがっている流れのうちに、本を乗せて商売を営む。結局のところ、その流れの裡で、売れた売れなかったと一喜一憂をくりかえしてきました。
 流れが弱くなったとはいえ、まだ、十分流れているのだから。流れに乗っていけばいいんじゃないの。新しい流れをつくるのなんて、たいへんだからさ。そうこう言っているうちに、また流れが戻ってくるかもしれないんだから。
 こう本気で思えたら、ある意味、とても楽かもしれません。
 だけど、ちゃんとツケはまわってきます。しかも、先延ばしした分の利子つきで。先延ばしにするほど、かるい治療で済んだ病気が全身を冒す病になりうるのにも似ています。
 時間の経過は、時代の変化を孕みます。
 僕たちの業界でも、電子書籍のみならず、このミシマガひとつとっても、ウェブ雑誌の運営のやり方は日進月歩で変化する。それにある程度はキャッチアップしていかないと、ユーザーに不便をかけるばかり。そうならないために改善をしていこうとすれば、当然、費用がかかります。
 そうして、あとで出てきた課題に、対応すればするほど、もともとの患部の治療が遅れます。そっちへ時間とお金をかける余裕がなくなるという悪循環が生まれます。
 いまの出版界は、そんな状態に陥っているように思えます。
 もしかすると、もう手遅れかもしれません。地球の気候危機がもはや手遅れのところにきていると指摘する科学者がいるように・・・。
 ただ、それでも手を打たないといけないと思います。
 少しでもよくなっていく可能性があるのならば、そこに賭けていきたい。
 自社だけよければいい。そんな呑気な時代はとっくに終わっているのですから。

 そういう思いから、昨年「ちいさいミシマ社」というレーベルをたちあげました。
 返品率の高さ、書店の利益率の低さ。こうした根幹の問題を放置せず、「買い切り・書店の利益の倍増」を取引の条件に据えました。出版社と書店、読者との共存を考えたとき、絶対に踏み込まなければいけない取り組みです。もちろん、大量生産・大量消費のモデルからの脱却もめざしています。
 と、威勢良く理念を掲げてみたものの、現時点では、経営的成功からははるか遠い。
 書店員さんからは、「利益率を上げてもらうより、返品できるほうがいい」と言われることもしばしば・・・。ときどき、焼け石に水のように感じないでもありません。
 けれど、そうしてあきらめてしまっては次世代へパスすることができない。
 環境問題とまったく同じ構図です。
 とにかく、つづけること。短期的結果にとらわれることなく、つづけることでしか変わらないことがある。今はそういう局面だと思っています。

自分たちができることをすみやかにさしだす

 ただ、希望はあります。
 個別にみれば、ちいさな出版社がこの10年でかなり増えました。書店員さんのなかにも、「ちいさいミシマ社」の取り組みや理念に共感してくださる方々も少なくありません。
 問題は、点でありつづけること。
 個人としては、同感してくれる方が、組織レベルでの取り組みになったとたん、思考停止したかのように、「これまで」の流れにとどまってしまう。
 この事態をどう打開するか。
 これは、自分たちの業界のみならず、日本社会全体にとっても大きな課題のはずです。
 水面下で起こるちいさないい動き。それを点に終わらせず、線にし、面にし、立体にしていく。
 ちいさな点に可能性を見出してくれている人たちの輪をどう広め、力に変え、ある程度のうねりにまで高めていけるか。

 その一歩として、出版社と書店をつなぐシステムを開発することにしました。
 具体的には、後日、しっかり述べますが、出版社と書店、双方の事務業務や取引の手間を劇的に改善するシステムを開発します。たとえば書店側が現在、私たちのような直取引の出版社の本を仕入れようとすれば、各社のホームページを訪れ、各社にいちいち注文しなければいけません。仮に100社から仕入れるばあい、100社個別に調べて注文する必要があります。それが、このシステムのページ(「一冊!取引所」と名づけました)に訪れたら、そこで一括で、しかもワンクリックで注文していける。それくらい簡易で便利で、かつ、使うのが楽しくなるようなシステムを開発するつもりです。
 それはまた、長時間労働から解放する会計システム(「一冊!奉行」と命名)も兼ね備える予定です。つまり、直取引と会計の両方をあわせもつシステムです。たとえば、私たちのように書店さんと直取引をしていると、毎月、月末月初の請求業務だけで約10日拘束される。その膨大な仕事量を、AIによる自動計算できるようにするつもりです。
 これを自前でつくることにしました。すでに銀行からかなりの額の開発費を借り、本年4月のスタートをめざしがんばっています。

 すこし話はずれますが、自分たちにとって本当に必要なシステムを開発していくことしか、中小企業の仕事改革などありえないと思います。
 長時間労働の禁止、など法律でしばることで、救われることはもちろんあります。とくに大企業においては、ルールを厳格にすることでしか動かないことも多々あるでしょう。
 けれど、中小企業のばあい、そのまま適応させてはただ生産性を下げることになりかねません。結果、自分たちの生活をよけいに苦しめることになります。労働時間の削減。同時に、生産性の向上。これがセットでなければいけない。
 法律を遵守した結果、生産性が下がったとしても、その分を誰かが保障してくれるわけではない。待っていても始まらない。ならば、自分たちで手を打つしかない。
 きびしい話ですが、いま僕たちが生きているのは、そういう世の中です。
 幸い、自分たちは、13年間、なんとかこの仕事をつづけさせてもらってきました。経済的にはあいかわらず汲々としていますが、それでも多大な学びをこの間してきました。そうした意味で、13年前とは比べものにならないくらい余裕があります。
これからの世においては、そのすこしできた余裕を少しでも社会に役立てていかなければ、循環はありえません。きびしい時代だからこそ、すみやかに自分のできることを自分の足元へさしだすことが肝要と心得ています。
 今回のシステム開発は、育ててもらった業界へのささやかな恩返しになればと思っています。
 ちいさな思いをちいさなかたちにする。そういうことを大切に仕事をする人たちが、ちゃんと生きていけるシステムを。自分たちにできることは、ほんのわずかではありますが、13年積み上げてきた知恵や技術や経験知をすべてそこに注ぐつもりです。

 思いっきり当事者として、自分の足元から少しずつ変えていく。
 あきらめず、つづけることで、ちょっとずつでいいので、「スキマ」が生まれてほしいと切に願います。
 松村さんが国家のなかでアナキズムができると書いたように、どんなに自分たちのいる業界や世界が止まっているように見えても、必ずスキマをつくることができる。
 どんなに国家がダメになっても、現時点では私たちは国家で生きるほかありません。
 この「国家」は、「会社」や「業界」にも置き換え可能です。
 その二重性のなかに生きるしかない現代人にとって、常に、命を新たにしていける。その一例になるためにも、今年はその一歩を踏み出す所存です。
 これが実現していけば、きっと気候危機にまで対応できる何かが見つかるのではないかとも期待して。
 どうか、温かく見守っていただければ幸いです。そして、皆さんもごいっしょにいかがですか。ご自身の足元から少しずつ。ぜひ。

三島 邦弘

三島 邦弘
(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。 ミシマ社代表。「ちゃぶ台」編集長。 2006年10月、単身で株式会社ミシマ社を東京・自由が丘に設立。 2011年4月、京都にも拠点をつくる。「原点回帰」を標榜した出版活動をおこなっている。著書に『計画と無計画のあいだ 』(河出書房新社)、『失われた感覚を求めて』(朝日新聞出版)がある。

イラスト︰榎本俊二さん

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ミシマ社の雑誌 ちゃぶ台Vol.5 「宗教×政治」号

・上記のような思いのもと考察と実験と暴走をくりかえした5年分の記録が一冊になりました。
『パルプ・ノンフィクション 〜出版社つぶれるかもしれない日記』
3月上旬、河出書房新社から刊行となります。三島の約6年ぶりとなる単著です。ご期待ください!

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