「よくぞ来た勇者よ。私こそが魔界の王、魔王である」
玉座に深く腰掛けた私は、謁見の間に入ってきた人間の男に言った。
男は青鍛鋼製の甲冑を身につけ、手には長剣と盾を持っている。
しかし兜をしておらず、少し長めの黒髪と端正な顔を露わにしていた。
「魔王さん! あなたを倒して再び世界に平和を取り戻します!」
そう言って勇者は黒い瞳で私を睨みつけ、剣先を私に向けた。
「わあっはっはっはあ、なんとも威勢がいいな勇者よ? 私はそなたのような者が現れるのを長い年月待っておったのだ。どうだ? 私の仲間にならぬか? そうすれば——」
「嫌です!」
勇者は私の話を最後まで聞かずに返事をした。
「最後まで話を聞け。味方になれば——」
「嫌です!」
またしても最後まで話を聞かずに断られた。
「あのう、いい話だから最後まで話を聞いた方がいいと思うぞ」
私は少し不愉快に思いながらも辛抱強く言った。
これが魔王の余裕、いや器の大きさというものだ。
「お断りします! なぜなら、僕の家には『魔王が持ちかける話にいいものはない』という家訓があるからです。それにそんな醜く肥えた腹の魔王さんの味方なんてする訳がありません!」
「醜いだと?」
私は自分の腹を確認した。
やはり腹はまるまると肥えているが醜くはない。
「確かに私の腹は肥えているが決して醜くはない」
「よく見てください。醜い腹がどんどん膨れていますよ!」
勇者に言われて再び腹を見るとボコッボコッと腹は膨らんでいた。
「それでも醜くないと言えますか?」
何なのだ、これは?
いったい何が起こっているのだ?
私は両手で頭を抱えた。
「魔王さんが取り乱している! なんて見っともないんだ!」
私の様子を見てゲラゲラと笑う勇者。
何だ、この男は?
本当に勇者なのか?
それに私の体に何が起こっているのだ?
二十万年生きてきたが、このような経験は初めてだ!
何だのだ、本当に!
そんな私をよそに腹はみるみるうちに膨らんで足元に垂れ下がり、まるで液体のように床に広がっていく。
やがて勇者の足元まで私の腹は広がる。
勇者は私の腹が自分の足に絡むのも気にせず、狂ったように笑い続けている。
やがて私の腹は謁見の間の床を覆い隠した。
やっと治まったか?
「さてひと仕事しましょうか」
笑うのをやめて勇者は盾を捨て、両手で剣を逆手に持ち、ゆっくりと頭上に持ち上げた。
勇者は剣を私の腹に突き刺す気だ!
「うわあ! 止めろう!」
私は叫んだ。
その途端、目の前の光景は消えてなくなり、ランタンの明かりに照らされた天蓋が現れた。
静かな寝室には「ハアハアハア」と私の吐く息の音しかしない。
どうやら私は夢を見ていたようだ。
私はそろりと体を起こして座った。
汗で寝間着は濡れているらしく、肌に張り付いて心地悪いし冷たい。
私は右手で腹の肉を掴んだ。
掴んだ腹の肉は、かなりぶ厚い。
かつての私の腹には、これほど肉はついていなかったのだが。
「魔王様、大丈夫ですか?」
突然、線帯状の垂れ幕の向こう側から男の声がした。
この声は側近の一人、魔界で一番の魔法の使い手だ。
「何用だ? 私の寝首を搔きに来たのか?」
「滅相もございません。お休みのところ、失礼かと存じましたが急な用件で参りました」
「急用? 申せ」
「は、ボーエン卿の謀反にございます」
ボーエン卿とは大変優秀な男で、かつて重臣にとりたてた臣下である。
「何、ボーエン卿の謀叛だと?! それが是か非か論ずる必要はない。それよりも即刻迎え撃つぞ!」
「恐れながら魔王様は逃げられた方がよろしいかと」
「たわけ! 魔王である私に逃げろだと? まるで私が負けるみたいではないか?」
「その通りでございます。軍の主な兵士団は遠征に出ており、現在城に残っている兵は僅か五百。それに対しボーエン卿の軍勢は一万三千でございます」
「見くびるな、それくらいの兵力差など私一人で埋められるわ!」
「いくら魔王様でもその肥えた腹では無理でございます。その肥えた腹が魔王様からすばやさを奪っておりますがゆえ、戦場では兵士たちの足手まといになります。また飲んでは食べての生活で、かつては魔界一と言われた腕力も衰えておりますゆえ、たとえ戦われたとしても僅かな時間で討ち取られておしまいになることでしょう。」
「言わせておけば! 貴様、ボーエン卿よりも先に剣の錆にされたいか?」
「滅相もございません」
私の恫喝に怯えたように側近は深々と頭を下げながら続けた。
「これもひとえに魔王様のお命を想ってのこと。どうかここはお逃げください」
「ぐぬぬ。しかし、どこに逃げる? 逃げたところですぐに見つかるぞ。ならば打って出て、戦場で散った方が名を汚すこともなかろう」
そうだ。
例え城から逃げたところで魔力感知を使えば、たちどころに私の居場所は分かってしまう。
ならば戦って命を散らせる方が潔い。
側近は「私に考えがございます」と言うと、寝室の入り口に向かって右手を突き出した。
すると、側近が手を突き出した少し先の空間が歪む。
空間の歪みは戸口くらいの大きさで四角い。
やがて空間は歪み終え、明らかに寝室ではない、そして見知らぬ風景に変わっていた。
まるで絵画をそこに置いているかのようだ。
しかし、それが絵画でないことは、その風景から聞こえてくる音や獣の鳴き声で分かる。
異界の門という魔法だ。
「あれは私の知っている異世界です。あちらへお逃げください。そうすれば追っ手に見つかることもございません」
そして朝比奈宗平という人間の男を探すのです」
「アサヒナシュウヘイ。なぜアサヒナシュウヘイを探すのだ?」
「朝比奈は痩身と減量に詳しい男です。しかもお節介で扱いやすい。朝比奈なら魔王様のかつての肉体と力を取り戻すことができます。魔王様、朝比奈の弟子になり痩せる方法を教わるのです! そして、かつての肉体と力を取り戻したあかつきには、魔界にお戻りになり王座を取り戻してください!」
恐れ入った。
側近、貴様はなんて思慮深い奴なのだ。
ここまで私のことを考えてくれているとは。
なんて主人想いの臣下だ。
私が再び王座を取り戻したあかつきには、今よりも良い待遇で召し抱えてやるぞ。
期待して待っているがよい。
「であるか。それでは行ってくる!」
「魔王様、少々お待ちを! これをお持ちください」
どこから取り出したのか、布製の背負い袋と変わった形のサークレットを側近は私に差し出した。
「背負い袋の中には、異世界での魔王様の身分を証明する書状、お金、朝比奈に渡す紹介状、着替えが入っております。どうぞお使いください」
「うむ、それはありがたい。ところで、この奇妙なサークレットは何だ?」
「それはサークレットではありません。眼鏡というものでございます。失礼」
そう言って側近は眼鏡を私の顔につけた。
眼鏡というものを初めてつけたが、鼻の頭と耳に違和感が気持ち悪い。
「その眼鏡には言語通訳の魔法を付加しておりますので、異界の言葉を理解できますし話すこともできます。向こうでは外さないでください」
たぶん眼鏡をつけた私が嫌な表情をしたのだろう。
その様子を見て側近が眼鏡の説明した。
「うむ」
「それでは行ってらっしゃいませ、魔王様」
「貴様は一緒に行かないのか?」
「はい、私は魔界に残って魔王様の王座奪還のための準備を致します」
側近は、ほんとうに忠義のある良い男だ。
「であるか。色々と苦労をかけるが頼んだぞ。それでは行ってくる!」
私は答えて異界の門をくぐった。
この物語は、地球のどこかにある町に落ち延びた、肥満体型の魔王が魔界を奪還するために少しずつ減量する様子を描いたコメディである。
了
ナレーション:筋トレがよくわかるブログを書いている朝比奈宗平
あとがき
2019年12月31日夕方4時、あらためまして筋トレ歴3年の中年トレーニー、朝比奈宗平です。
よろしくお願いします!
違和感たっぷりの今回の筋トレがよくわかるブログですが、まぎれもなく筋トレがよくわかるブログです。
たぶん常連の読者の方ででさえ、今回の違和感にはさぞかし驚かれていると思います。
朝比奈自身も驚いています、まさか筋トレがよくわかるブログで今回のような記事を書くなんて思っていませんでしたので。
なので、一見の方ならなおさら「なんじゃこりゃ?」と思われたことでしょう。
しかも今回のタイトルが「魔法の国からはるばると」ですからね。
いよいよ筋トレのブログなのか何なのか分からない。
アハハ。
しかし、繰り返しますが、今回の筋トレがよくわかるブログはまぎれもなく筋トレがよくわかるブログです。
遠回しにですが太ることに対する恐怖、肥満体型の不便さ、食べ過ぎ飲み過ぎがいかに人を変貌させるのかを説明しています。
かなり遠回しですけど。
ところで、魔王と青年シリーズを過去に2回おとどけしていまして、その両方ともすでに魔王は筋トレをしており痩身に励んでいます。
ところが、すでに話が始まっているのにも関わらず、登場人物について全くと言っていいほど説明していません。
説明していることと言えば魔王が肥満体型のトレーニーであること、青年がトレーナーであることくらいです。
初めはそれでいいと思っていましたが、いくら何でも少し乱暴ではないかと。
それに魔界奪還について気になられた方もいらっしゃるようなので、せめて魔王が地球のどこかにある町に落ち延びてきた理由くらいは説明しておいた方がいいと思いまして、今回このような形をとりました。
つまり、今回は魔王と青年シリーズの第1回めの話なのです。
反響と機会があれば、魔王と青年の出会いについても補完しようと思っています。
以上で「大晦日だよ筋トレがよくわかるブログ特別企画『魔法の国からはるばると』」を終わります。
筋トレがよくわかるブログ、お相手は朝比奈宗平でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
バイバイ。
朝比奈宗平の筋トレがよくわかるブログ。
このブログは53名の優しい読者の方に支えられてお送りしました。
※今回の記事に登場する団体と設定はフィクションです。そのため実在する団体と一切関係ありません。