私がTravis Japanに送った手紙





まずはじめに、決して明るい内容ではありません。このブログは私が母の最期をどうしても伝えたくてTravis Japanへ送った手紙の内容です。とても、とてもとても重いです。


初めてのはてぶろなのではじめかた、使い方が分かりません、、思ったことを話していく感じで書いていきます。



私は未だに手紙の内容を含め、この行動が正しいかは分かりません。

不謹慎だと思われる方もいるかと思います。

ですがどうしても自分の中で処理しきれず、トラジャに母の想いを伝えたくて、それを文字にすることで少し気が紛れた様な気がしたので手紙を出し、はてぶろにも上げてみることにしました。


もしかしたらすぐに消すかもしれないです。



手紙を書いた当時、郵送ではなくどうしても舞台のファンレターボックスに入れたかったので限られた時間で書き上げました。

今読むと文脈や日本語がおかしいです。そっと目を瞑ってください…笑 



そして純粋にファンレターの内容を公開するのはとてもとても恥ずかしいですね…笑










Travis Japan様へ


初の主演舞台、毎日の公演本当にお疲れ様です。今回の手紙は重たい話になってしまいますが、どうしても皆さんに母のことを伝えたくて筆を取った次第です。

忙しくてゆっくりできる時間が中々ないと思いますが、皆さんに読んで頂けると幸いです。


私の母は先日10月28日の夜に突然倒れました。約3日間、昏睡状態ながらも頑張ったのですが、結局一度も目を覚ますことも意識が戻る事もなく31日の昼、47歳という若さで帰らぬ人となってしまいました。

病名はクモ膜下出血でした。前触れは全くなく本当に、本当に突然でした。もうすぐで1ヶ月経ちますが未だに信じられません。


私の家族は父、母、三人姉妹の5人家族です。私たち姉妹が去年の夏あたりからトラジャを好きになると、無趣味でジャニーズにも詳しくなかった母がいつの間にか、私たちに負けず劣らずトラジャの熱烈ファンになっていました。


母はトラジャの若者ながら、誰よりも必死に努力し、プロ顔負けのダンスをする姿に胸を打たれたそうです。また姉が如恵留くんと、私がしめしずと同い年で妹が元太の一個下のため、メンバー達が息子のように思えて可愛くて可愛くて仕方がなかったと言っていました。


まさか母がここまでトラジャを好きになると思わず、私たち娘もとても驚きました。

「子供が趣味。娘たちの笑顔を見ることが私の1番の幸せ。」と言っていた母。


携帯の待ち受け画面は以前、私たちから贈った誕生日プレゼントが寄せ集められた写真だったのですが、いつしかトラジャになり、しかも自分でティジェなどを張り付け可愛く加工した待ち受け画面に変わっていました。笑


YouTubeなど動画やインスタが上がれば即刻LINEが入り、先に見ようとすると「ちょっと待ってて!今 洗い物するから一緒に見よう!」と怒られ、テレビの前で正座して見たこと、雑誌も離れて暮らす私の金銭面を心配し、忙しいのに毎回本屋を駆け回り全部欠かさず買ってくれて、帰省する度に嬉しそうに見せてくれました。


母は老眼で段々視力が悪くなっていたのですが、老けて見えるから嫌だと絶対に嫌がっていた眼鏡もトラジャの記事を読む為に、写真を綺麗に見る為に購入し、眼鏡を掛けて嬉しそうに雑誌を見ていたそうです。


最近だと、東海テレビ「スイッチ」の放送直後に中津川の馬籠宿に妹と行き、ロケ地巡りをした写真が送られてきました。今度は一緒に行こうね、という文章も。まだ行けてないです…。そうやって約束した一緒に行きたい所は本当に本当にまだ沢山ありました。


母は倒れた当日、体調不良ながらも、どうしてもこれだけは見たい!と、その日の朝に放送していたちゃかちゃん、海、元太が生出演していた「バゲッド」をしっかりと見てから逝ってしまったようです。この話を聞いた時はちゃっかりしている母に笑ってしまいましたが、母は最期の最期までしっかりとトラジャのファンでした。


今年はトラジャを好きになったことで本当にたくさん母と出掛けることが出来ました。

コンサート前は何着て行こう!とショッピングに行ったり、帝劇でのSHOCKを始め、(単独公演は仕事で行けませんでした)アイランドフェスティバル、Summer paradise2019、最期は梅芸でのSHOCKでした。SHOCKから始まりSHOCKで終わっていますね。


サマパラでは近くのお立ち台にちゃかちゃんが来てくれて母は「今絶対見つめて微笑んでもらえた!」と興奮して喜んでいました。私もその光景を真横で見ていました。ちゃかちゃん、母の最初で最後のファンサービスをありがとう。


母はしめを見るたびに可愛い可愛いと言っていつも「しめちゃんって何であんなに可愛いんだろう、、天使だね」とメロメロで視線泥棒だと言っていました。しめ、母に癒しをありがとう。


私は母に恋愛相談とかはしてきませんでした。ですが、しーくんが好きな私は、母にしーくんの話をたくさん聞いてもらって、なんだか恋愛話をしているような感覚でとても楽しかったのです。しーくん、お話のきっかけを作ってくれてありがとう。


母が初めてトラジャを生で見たのは帝劇のSHOCKでした。松松を見て「本当に2人は似てるね!チップとデールに似てるって言われてるのが納得できた!」と話し私も「だよね!!可愛いよね!」といわゆる“ジャニオタ“のような会話が出来て楽しかったです。松松、母と私を友達のような感覚にしてくれてありがとう。


母は幼い頃から保育士が夢で、実現させ、若くして園長に就任しました。如恵留くんが保育の勉強をしていると知るととても喜び、如恵留くんのメンバーへの対応を保育士目線で褒めていました。「園長先生です」団扇を作ろうかな!とも言っていました笑 

また、ピアノが好きな母はサマパラで演奏していた夢ハリを耳コピして弾くのが老後の楽しみ。と嬉しそうに話していました。あと母が好きだった青の時代のピアノも!いつかトラジャで聞いてみたいなあ、、如恵留くん、たくさんの共通点をありがとう。


最後に海。母はトラジャのみんなが大好きでしたが、海だけは「やっぱり海ちゃん可愛い」と少しだけ特別扱いをしていました。(母は無意識にお気に入りの子は〇〇ちゃん、とちゃん呼びするのです笑)推しというものですね笑 

サマパラでは有難いことにメンステとバクステの真ん中あたりの席だったので、海のソロは丁度真前で歌ってくれて、下を潜ることもできました。羽も手に入り「海ちゃんの羽!」ととても喜んでいました。

その後も「本当に良かった。冥土の土産だな〜!」とずっと言っていて、まさか本当に冥土の土産になるとは思いもしませんでした。

海の羽は母のアクセサリーケース(宝物入れ)に入っておりますので、行った先々のチケットと共に大事に取ってあったので、一緒に棺桶に入れ、母の手元に戻しました。

あまり自分から行動しなかった母がいつの間にかFCに入り(虎者の為だったようです)、お気に入りJr.は中村海人で登録していました。トラジャでは誰が一番好きなの?と聞くと少し照れながら「海ちゃんかな」と言った可愛い母を思い出します。海、母を少女に戻してくれてありがとう。


トラジャ、たくさんの楽しみ、幸せをありがとう。


本当にとてもとても楽しくて、これからもこうやって一緒にトラジャを応援していくんだろうな、と思っていました。


母は本当に虎者を楽しみにしていました。どれだけ疲れた日も、大変な仕事も、しんどくても虎者のことを考えると頑張れる!と言っていました。今でも奇跡のように思いますが、私と妹が当選し、チケットが届いた時、どちらも席がとても近かったので母に喜んで貰える…!と、とても嬉しかったことを覚えています。

妹が当選した日にちは11月4日でした。母が倒れた日から1週間後が4日でした。

あともう少しでした…。



倒れたその日、医師からはもう、脳に反応がなく、今は機械のおかげで何とか心臓を動かし呼吸をしている状態。手術も何も出来ず、ただ最期を待つしかない。と伝えられました。


何度も何度も現実逃避をし、母が目を覚まし一緒に虎者に行ける!という有り得ない奇跡を何度も、何度も願いました。


病室でも母の周りに家族、ペット、トラジャの写真を目を覚ましたときにすぐに見えるような位置に並べました。


トラジャの音楽もずっと流していたのですが、その時聞いたNamidaの結晶は今でも忘れません。眠る母の隣で聞いたNamidaの結晶は歌詞にとてもとても共感して、胸に刺さって痛かったです…。

初めてしっかりと歌詞の意味を理解しました。会いたい、会いたい。涙が止まりませんでした。


脳死状態で意識不明の母、いつ容態が変化するか予測出来ず、こんな気持ちで虎者を見に行く状態ではありませんでした。

ですが、トラジャの初めての大切な主演舞台、母がとてもとても、とても楽しみにしていた舞台、私達はどうしても会場に四つも席を開けることが嫌で、母の楽しみを中止するのが嫌で、形だけでも母と一緒に観劇したかったのです。


でも、でも、、と本当に、悩みました。舞台に行くのか行かないのか決めるタイムリミットが近づいたとき、それを察してか母の容体が急変しました。


半日で数値がじわりじわりと下がり、集中治療室での面会も特別対応に変わりました。

家族で夜通し母の手を握りながら側にいました。


結局、倒れてから長くて2週間と言われていた日にちを勝手に鵜呑みにしていた私の考えより遥かに早い、3日間程で母は亡くなりました。


31日、ハロウィンの真昼間でした。私たちの会話を聞いていたのか、11/4の虎者に合わせたかのように、翌日に通夜、翌々日に告別式を行い、1日体を休め4日、という完璧な流れで無事舞台に行く事が出来たのです。

私たちを困らせたく無かったのかな…馬鹿…。


こんな時まで母は本当に、どこまでも娘思いで、トラジャ思いでした。



当日はスタッフさんに許可を頂き、母の席に写真を置いて一緒に観劇しました。こんな形になってしまいましたが、母を連れて虎者を見ることが出来て少しだけでも報われたかな、と思います。

明日、11/24の京都公演は母の代わりに祖母を連れて観劇します。また母の写真を持って観劇させて頂く予定です。とてもとても楽しみです。



実は、今こうして手紙を書いているのも不思議です。受け入れなければいけない、受け止めようと頭では思っているのに、まだ心では現実が受け止められそうにないようです。

まだまだ若い、母の命を突然、しかも一瞬で奪っていった病魔が憎いです。


母のトラジャへの愛ともう一つ、この手紙で伝えたいことがあります。

皆さんも自分のお母さんを大事にして欲しいのです。アイドルのお仕事をしていると会える時間はとても少ないと思います。忙しくてもなるべく時間を作り、お話ししたり恥ずかしいと思いますが感謝を言葉で伝えて、手を握ったり、ハグをしたりして欲しいです…。


私は病室で寝ている母の手をずっと握っていたのですが、普段から手を繋ぐことも触れることも全くしていなかった為、母が今どんな容態なのか良いのか悪いのか比較することができず、本当に本当に悔しい思いでいっぱいでした。

ハグなんてしたこともないかもしれません。


今思い返すと最後に手に触れた確かな記憶は、サマパラの時に私がしーくんとハイタッチが出来て、それが嬉しくて無意識に隣にいた母の方に向き一緒に手を握り喜んだことです。

とても幸せな良い思い出です。


もっと触れていれば良かったなあ、とずっと頭の中は「ママ大好き」「会いたい」で埋め尽くされています。

でも、もう触れることも抱き締めることも伝える事さえもできないのです…。

誕生日とか特別な日だけでも良い、何で伝えてこなかったのか、と後悔しかありません。


今書いている内容は私の後悔を押し付けているだけかもしれません…。

ですが、本当に人生はいつ何が起こるのか分からないのです。私はこの一件でこれでもかという程、身をもって知りました。

また、クモ膜下出血は女性の40代からが多いそうです。みなさんのお母さんの年齢ぐらいかと思います。

健康診断だけではなく、脳ドックも受けることを勧めてみて下さい。



とても長くなってしまいましたが、どうか母と私たち家族の思いが伝われば、という一心で書きました。このタイミングで虎者の一幕のテーマが「究極の家族愛」。

繋がりを感じずにはいられませんでした。


私たち家族にとってTravis Japanは特別なグループです。トラジャのおかげで母の最後の一年が、とてもとても幸せな一年になりました。

決して大袈裟な言葉ではありません。 

Travis Japanを見るたびに、母を思い出し、私たち家族は笑顔になれます。

これからも母の想いを乗せて、みんなで応援します。Travis Japanが大好きです。



涙 涙 枯れるほど 泣いたあの日にさよならはまだ出来ないけれど、前を向いて明るく生きていこうと思います。


会いたい 会いたい 募るこの想い どうか

風よいつか 届けて夢の空へ。




2019.12.23









長くなりましたが、以上の内容でした。


今思い返すとチケット運も席運も全く皆無だった私含め家族が、こんなにも今年運が良かったのは全てここに繋がっていたのかな、、とも思ってしまいます。本当に異様でした。


今年は妹が高校を卒業し、母の自由な時間も増え、やっと家族でこうやって出掛けられるようになりました。

家族でジャニーズを追った日々はとてもとても楽しくて、ゆっくり長くこんな日々が続いていくんだろうなあと思っていました…。本当に、本当に楽しかったなあ。


職場での母はとにかく娘の話、トラジャ、ジャニーズの話ばかりしていて「今、とっても幸せ!」とよく言っていたそうです。

それはそれはとても楽しそうで幸せそうだったそうです。


あ〜あ、、Travis Japanのデビューを母と喜びたかったなあ…



書きたいように書いていたら、かなり論点からズレてしまいましたが、、

太くて短くて密な人生を歩んだ母。

最後の最後はTravis Japanでいっぱいでした。最後の最後が幸せで本当に良かったです。

また、私も11月は虎者のレポが毎日流れてきてくれるおかげで少し気を紛らわし、何とか保てていた部分もありました。

Travis Japanには感謝してもしきれません。

ありがとう。



人生はいつ何が起こるか分かりません。

皆さんどうか、いつが最後になっても悔いが残らないように、後悔なく丁寧に日々を過ごしてください。



私は今、もし一つだけ願いが叶うのなら宝くじが当たるでも超能力が使えるでも何でもなく、ただ母を抱き締めたいです。




私のよく分からない独り言にここまでお付き合い下さり、有難うございました。


今日は2019年最後の1日ですね。

どうかみなさま、良いお年をお迎えください。