紅白見た? 本人歌唱はないけど3曲が米津作曲作詞っていう待遇。何年か前も浅倉大介の曲が2曲流れたけど今回はめっちゃピックアップされた米津。
私は米津のファンで、次のツアーも行く予定。でもさ、嵐への楽曲提供であるカイト、いくらなんでもあれはなくね????
嵐の歌唱前にあった本人のステートメントがもう嫌なんだよね。「周りに生かされている。生きていくことを許されている」とかいうの。千葉雅也がTwitterで「生かされているんじゃないくて生きていくんだよ」って言ってたけど、本当それに尽きると思うんだよね。
歌詞も全体的に「糸=他者とのつながり」を強調したものだし……。
私が好きな曲のひとつにTEENAGE RIOTがあるけど、そこに「誰より独りでいるなら誰より誰かに届く歌を」ってのがあるんだよね。これ、本人がなんかの番組で言ってたけど「SNSとか、周りとなじもうとしなきゃみたいな同調圧力への抵抗」みたいなことを含んでいるらしくて、それがとても響いたんよ。でもさ、カイトはなんか「生かされている」って共同体的な考え方が前に前に出てきてしまっていてさ……。もちろん、そういうのが好きな人にはいいのかもしんないよ。私が個人主義だからってのもでかいと思う。そこは個人の嗜好だけどね。TEENAGE RIOTとカイトの米津、どっちが本物なのかってことでもないだろうし、きっとどっちも本当なんだろうし。
米津は変な音たくさん使って電子音楽しい系って面もあると思うんだ。でもなんかカイトはそういうのないんだよね。勿論、嵐の曲だからってのは確実にあるんだろうけど、オーケストラっぽい音がこれまた「お手軽壮大感」を出している気がしてならない……。馬と鹿でその片鱗をちょっと感じちゃったのもあって、余計にね。
カイト歌唱後に、内村が「これが来年、オリンピックでたくさん流れるわけだよね」とにこやかに言ってたのもまたひっかかって、この「他者との繋がり」を強調する音楽がオリンピックとかいうナショナリズムを、創造の共同体を強く結びつけるイベントに乗せられることを思うと暗い気持ちになる……。
結局は、米津玄師が劣化したってことじゃなくて、「ウケるものをわかった」こなれ感を感じてしまったという失望感なんだよな。勿論、本人がどんなものを好むかなんてわかんないしさ、私が勝手に幻想を抱いていただけなのもわかってるよ。でもなんかさ、中高生の時にハチが直撃した身としては米津は「変な文体でファンタジー書く人」みたいな印象が強くて。謎の空想世界を見せてくるようなのもすごく好きだった(パンダヒーローもそうだし、KARMA CITYとか爱丽丝が大好きなのよ)。けどなんか、そういう独自性を感じられなかったんだよね。なんか、薄まったものを、悪い意味でのJ-POPを聴いた気分になった。
これからも応援するしCD買う(高音質マスターがあるならさっさとハイレゾで出してくれ)けど、カイトみたいな方針がずっと続かないように私は勝手に願っておく……。まあ、楽曲提供だけのスタンスもあるだろうし、嵐だからということも絶対にあると思うので、今までの米津とリニアに結びつけるのは乱暴だともわかってる。あと、これが好きな人はごめんな。