来年はどんな買い物をしようかなーと考えていて、普段履きのスリッポンがヘタれてきているのでスリッポンを買おうかなと。
そんでいわゆるブラックフォーマルも揃えてなくて黒の内羽根ストレートチップは持ってない。
それでふと黒のローファーじゃだめだろうか。と考えた。
同じくらいの年代の結婚式はあらかた住んだので次にあり得る冠婚葬祭イベントは多分身内の弔事だろうと思う。
しかし弔事でわざわざ靴を気にするだろうか。通夜なんぞは着の身着のまま駆けつけた体にするのが「マナー」とか言われているのに。
というか実家の雰囲気として細かいドレスコードの知識なんてない。そういう感じの人達が集まるわけだし多分ローファーでなんとかなるよなという気はしている。
ここまでは靴の話である。そして靴に関してはもうローファーで推し進めるきでおり特に増田諸兄諸姉の意見を仰ぎたいわけではない。
次に服である。新卒就活のときに来ていたリクルートスーツは体型の変化により切られたものではなくなり、生地もペラいのでだいぶ前に捨てた。
というわけで「黒いスーツ」がない。これも黒いユニクロジャケットと黒のデニムパンツとかでなんとかごまかせないだろうか。
靴をローファーで押し切ろうという人間がこんなところで迷うのは、葬式で黒の礼装以外のものを着ている人がいる風景を想像できないからである。
靴は多分視野における面積が小さいので許されるだろうというか気に止まらない人が多いのだろうと思っているのだが、スーツ部分は面積が大きすぎてここを変えると式の空気が変わりかねない。
悩ましいところだ。
追記:
ここで悩んでる時点で「解放」は無理。葬式中に周り見て「やっぱ変かな」とか考えちゃうから「ルールなんてどうでもいい」とハナから自信をもって言えないのであれば無難なの揃えた方が余計な思案から解放される。
みたいな絶対無理とか言う人が出てくるのでプライベートなつながりでの弔事では絶対にスーツ着ないようにしようという気分が高まってきた。
色彩が与える心理的効果に基づいて喪服が黒だというのは決まっていてこれは形骸化した作法ではないのでそれは守ろう。
追記2:
「ググらないとわからないようなマナーは守らなくても良いか」ということに関してはそうは言えないと思っている。
例えばちょっと前に箸の持ち方が話題になった時私は箸先を揃え力みすぎなくても箸を扱えるように持つのは効率性のための意味のある作法であるという旨の記事を書いた。
そしたらその記事に「そういうこと言うやつって箸さばき三手とかもいちいちやるのだろうか」というツッコミが入った。
ツッコミが入った時点では私は「箸さばき三手」という言葉を全く知らなかったのでググった。結果としては言葉としては知らなかったがやっていた。
箸さばき三手の理屈を説明するならばそれは「正しい箸の持ち方」の要件に「箸先が揃っていること」があることと関係する。
右手でいきなり箸をひっつかんだとして箸先が揃っていることはまずない。したがって何らかのやり方で揃える必要がある。
その際右手だけでにじりにじりと調整して済ませることもできる。しかしこれはあまり安定したやり方とは言えない。
箸置きに置かれた状態から箸の重心あたりを左手で支えあげる形まで持っていき、右手を柄の方にやって箸全体を右手親指に押し付ければ柄が揃う。柄が揃えば箸先が揃う。
私はいわゆるマナーというものには **少なくともそれが生まれた時点では** 十分に考慮するべき理由があったのであろうと思っている。
しかし生活の端々まで効率や公衆衛生の観点から作法を考えたとしていちいち理由とともに教えるのはコストが掛かる。
そこで天下り式に教えられるものとしてのマナーのあり方が成立したのだと思う。
この観点からは必ずしもマナーを天下り式に教えることをそのやり方が天下り式であるからと言う理由だけで批判はできない。
つまり理由はなんだかわからないがマナーを守らされているひとがいるという事態に関しては仕方がないと思っている。
というわけでググらないとわからないようなマナーに関しては守らなくても良いとは一概に言えない。
しかし上に書いたとおりそのマナーがよってたつ理由というものがそれが生まれた時点・生まれた場所に依存するものであり、場所は日本ということでずっと変わらないのだとしても時代は変わるので時代遅れになる物も出てくる。
例えば夜に爪を切ることに関して「夜爪をすると親の死に目に会えない」などと忌避する習慣は江戸時代に生まれたものであるが、
これは迷信的な何かで親の死に目に会えないよというわけではなく当時の庶民には今の爪切りのような細かい鉄細工は高価なものでさらに照明環境も良くなかったので、
夜に爪を切るというのは薄らぼんやりした視界の中で小刀のような刃物で爪を削るということに等しく、そんなことをすると怪我をして破傷風にでもなって死んじゃうよという話である。
しかし、今は照明環境は整っているし爪切りは手に入るし破傷風でもそうそう死なない。
というわけで天下り式に教えられる作法自体を考えられるひとが見直しアップデートしていく必要がある。
マナー講師の悪いところは本人たちまで理由をよく考えず迷信みたいな理由でその作法を根拠づけているところにあると個人的には思っている。
ビットローファー以外ならありかとタッセルとかコインとかも微妙かな。
そこまで言うなら結婚式に赤いシャツとか着てけよ
は?色彩の与える心理的効果は考慮に値するって書いてあるだろ?読めなかったか?