当然『けもフレ』よりも『2』に感動したという人もいるでしょう。 そういう方に是非とも論じて頂きたいのですが ・カットとカットの間のイメージの想起 ・カットの中に写っているモノをイメージで結びつける という映像の普遍性まで含めて『けもフレ』よりも『2』が豊かだったかを考えて欲しいです。pic.twitter.com/pawuZBLVCi
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僕の考えでは、『けもフレ』が大ヒットし、多くの人がたつき監督を支持した。 『2』はヒットせず、交代した監督にはたつき監督ほどの高い評価が付かなかった。 これは現象として紛れもない事実であり、合理的な理由は、作品の質を論じれば分かる。 作品の質は、作家の質にも当然繋がると思います。pic.twitter.com/KdbWSIyDlc
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この普遍的な映像の読み取り方を、あるフランス人映画評論家が、熱っぽく語っていました。 アンドレ・バザン。 彼こそは「映像から何を読み取るか?」ということを理論体系にまとめた、映画史上重要な批評家です。 (画像はイメージです。実際にはデコが広めのオッサン)pic.twitter.com/Ss2yGQ4P43
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彼が活躍したのは、20世紀半ば。 1940〜50年代のパリにおいて、映画批評を繰り返していました。 具体的には、 ・映画上映会を開いて「この作品の見どころ」を話す ・一緒に観終わったら、聴衆と内容について議論する ・上映会後に、コラムを書いて雑誌に載せる これを定期的に行っていました。pic.twitter.com/nAlJk9OFzv
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彼が他と少し違っていたのは「自分にとって『好きな事』を優先して話す」ことです。 既に19世紀末には映画が誕生していたので、60年以上の映画史がありました。 その中から好きな作品、ジャンルを選び「自分はこの映画をこう読んだけど、君たちはどう読んだの?」というふうに持っていく。pic.twitter.com/Xd5ZuaO33q
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バザンは更に、当時公開された映画に対して「この映画はここが良くて、あそこはダメだった」と論じます。 「監督はこうしたかったのでしょうが、それはフィルムにおいて実現されていない。あのシーンではこう撮るべきだった」 遠慮なく、これからの映画が良くなる為には必要だからと苦言も呈します。pic.twitter.com/2rswoUpjuA
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とにかく「好きなものヘの熱量」が彼の批評の中心にあって、多くの作品やジャンルを結びつけて、自由に、横断的に、あらゆるシーンや描写を丹念に調べて、映画を論ずる。 これが、アンドレ・バザンという「好事家」でした。 怜悧な批評というより、情熱を抑えつつフラットに語ろうとする人です。pic.twitter.com/uiZZWml1N2
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彼は吃音を患っていたそうですが、好きな映画を語る・書く時は、誰よりも雄弁でした。 彼の熱量に引かれ、映画好きの仲間たちが彼を中心に集まり、やがて映画史を変える「ヌーヴェルヴァーグ」に関わるのですが、その前にバザンは亡くなります。 こうしてみると、松下村塾の吉田松陰のような人です。pic.twitter.com/inJ6h60QON
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僕の論考は、バザンの論考集『映画とは何か』に影響を受けています。 彼は、 「好きなことを語ることで、自分の中の感動の中心に辿りつこうとする」 「好きな作品でありながら、良質で、これからの役に立つ作品を論ずること」 を行っていました。 現代には、こういう好事家が絶対必要だと思います。pic.twitter.com/ar2IeylODZ
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それは、たつき監督の作品にも通じる話だと思っています。 彼と、彼の仲間たちが作る作品の中心に「好きなこと」がある。 出来上がる作品は、丁寧で良質そのもの。 irodoriの作品を論ずることは無駄どころか、むしろ作品の合理性や普遍性を学べる有益なことしかないと思います。pic.twitter.com/C7AgdFSiuX
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一時期、僕に対して「論考を止めろ」と脅迫した人もいましたが、拒否した理由は 「『好き』を止めるな」 これだけです。 『2』についても、攻撃するために始めた論考ではなく、なぜ皆に受け入れられなかったかを論ずる。 そこから普遍的な基準に近づき、自分の好きと照らし合わせるものです。pic.twitter.com/SEQaWkch7p
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あの日、好きなことを断念させられたたつき監督達が、その逆境を跳ね返した感動がありました。 じゃあ僕もそれに倣って、バザンのような好事家になってやろう。 ネットの片隅であろうと、好事家であり続けることが大事だ。 こんな経緯で始まったので、本当に「好き」で始めて良かったと思います。pic.twitter.com/7MTHCyUNLi
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