息子との関係。

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私の居場所を確保できなかった理由に、子どものことがある。






札幌で通ってた幼稚園は、家族で通えたから、息子のことを見ながらケータイとか触れた。
自分のことがなんとなくはできた。
それに、一人一人のペースや気持ちを大事にしてくれる環境に安心してた。






壱岐で保育園って考えたとき、囲われた塀の中で、みんな一緒が良しとされてる場所に預けるのが、嫌だと思ってしまう。






でも、預けないと、当たり前だけど、仕事できないってわかった。






この葛藤、どうしたらいいの?






しんぱいしんぱいしんぱい。



何が?



息子が、自分の気持ちを言えなくなってしまうことが。



あれはダメ、これはいいって、周りの価値観で自分を埋め固められてしまうことが。



でもそれ、本当かな?






もしも、こうしなさいって押し付けられたとして、そのまま、ロボットのように「はい、わかりました。」って、言うかな?
その心に残った違和感をどうするのかは、彼の責任だし、その違和感を無視しない生き方を私がしていたら、彼もそれを見て学ぶはず。






少なくとも、息子は、ちゃんと自己表現している。意思表示も、しっかりする。だれかと遊ぶこともできる。



押さえつけているのは、私なんじゃないの?



怖がって、息子を握りしめているのは私だよね。






おっぱいもそう。
最初は、息子が自分でおっぱいいらないって言うまで、授乳しようと思ってた。






だけど、何度か、授乳が億劫だと思ったことがあったけど、その気持ちスルーした。






自分で何かをやりたいと思って、本格的に始めたら、授乳の時間が、「拘束されてる!」って感じるようになって、おっぱいを求められる度に嫌になった。






それでもさ、拒否ると泣く息子を見ると、かわいそうなんだよね。「もらえなかった」って傷付いたらどうしようって思って。






なんでそんなこと思うんやろ?



わからない。



どうして、わからないの?



見たくない。



何を、見たくないの?



私のせいで傷付いて、私に反撃してくるようなどうしようもない息子になる未来。



傷つけたら、後々の人生でつまずいたとき、母親のせいにされて、暴力とか振るわれるのがこわい。






なぜって、私の弟が母親にそうしたから。
暴行を受けた母親から突然電話が来た。当時の私はもう実家から出ていて、その母親からの電話がトラウマになって、母親から電話がかかってくるのが怖くなった。



今はもう、そんなことは全然ないけど。
本当に、昔の話。






私、母親からは心配されたことしか記憶にない。
私が小6のときに家を新築したことを境になのか、私の成長によって認知できる範囲が広がったからなのか、母親がいろいろと苦しそうな様子が増えて、愚痴を聞くのも一人娘の私の役目だった。






「なんとかなるさ」とか言われても、他人任せの「なんとかなる」で、積極的な「なんとかする」じゃない。






お母さんがくっついて離れない。
離れてくれない。
あっちに行けよ。
ベタベタくっついて来んなよ。
黙って見てろよ。
いちいち人に心配ばっか向けんな。
その心配、自分のだろ?
人のこと、心配にかこつけて干渉してくんな。
いちいちうるさい。






私は、もう、お母さんに見守っててほしいとか生優しいことは言わない。






見守っててほしいって言葉も、お母さんを傷つけないようにって遠慮して言った言葉だった。






自分に集中してないお母さんのダダ漏れたエネルギーが、こっちにバンバン干渉したがってくるのがわかるんだよ。






全然心地よくないんだよ。



鬱陶しいんだよ。



私はお母さんの操り人形じゃない!



「じゃあどうあんたに接すればいいのよ?!」とか、考えなくていいから。扱いにくい私なら、それでいいから。扱いにくいって思うなら、関わらなければいい。






お父さんに気を使うのも、お父さんが悪いんじゃないよ。かと言って、お母さんが悪いわけでもない。
私は、みんながお互いを気にし合ってる中にいて、調整役をすることに疲れた。行くと、疲れるの。






もう、頼んないで。






あーあ、こんなことまで言って、もう頼れないや。って、今だに何かの時にすがれるようにキープしておこうとしている自分に気付く。ほんとに、反吐が出る。



そのロープ、切るね。






あなたは、自分でなんとかすることができる。



自分の中にあるものを全部使って、頭でもなんでも下げて、自分の力で切り拓いていける。



世界は、自分で立とうとする人を無碍にするほど、残酷ではないよ。



だって、すでに、私には応援のメッセージがたくさん届いている。



見ている人は、見てくれていたことを知った。






私のおから味噌を待っている人が一人でもいる限り、完成する日が来ることを諦めないよ😌






だからさ、大丈夫だって。






お母さんに言いたいこと言えないで我慢してたのは、私だった。



我慢が身についてたのは、私だった。



自分の意見を言ってよかったんだ。



息子は、言える。



私も息子に自分の気持ちを言わなかったら、息子は人にも気持ちがあることを知らないで生きてしまうよね。



私が気持ちを伝えることは、私にとっても、目の前の人にとっても、大切なことなんだ。



やっぱり、遠慮や我慢は誰のためにもならない。






それに、子どもは、言われたことをその通りにするんじゃなくて、言っている姿を真似するんだよね。






息子はさ、もう十分、「自分は愛されている」ってことがベースになって生きているね。私との関係は、もう十分出来ていたんだ。



これ以上は、甘え、なんだね。



私が甘えているから、息子にも甘えることを良しとしている。



それだと、自分の人生を自分の責任で創っていくことができない。私がそうだったように。






誰の影響下でもない、
自分だけの影響下で生きていく。






動物たちは、ある程度成長したら、子供でも親から巣立っていくよね。それは、人間も同じことなのかもしれない、と思った。もちろん、衣食住を整えることはするけどさ!






だから、大丈夫。



私はいつでもあなたのことを見ているよ、思っているよ、ということを伝えることができたら、息子はこれからも大丈夫だね。