15行&文字数の制限で複数に分けていたものを1つにまとめますので、これ以降から副題のナンバーが初出の物とずれます。
拠点のない旅はつらい。
水分摂取の必要ない体だから、水場にありつけない日々が続いたある日。
「……サトル、ちょっと臭うよ?」
ここでキーノもだろう? と返す程サトルは愚鈍では無い。
大泣きされて、デリカシーない! と罵られる予測ぐらいはつく。
だから、考えを切り替える。本当に臭うのか?
アンデッドは腐った死体から死霊まであり、骨だけの自分は臭いランキングでいえば下位のはずだ。
そこまで臭くない臭くな……まさか加齢臭!?
俺そんな年じゃないはずだけど……ああ、伝え聞いた父親が思春期の娘に「パパこっち来ないで!」と汚物扱いされるのは、こんな感じか。
不意打ちのダメージに落ち込むサトルを見て、今度はキーノが狼狽する。
「わっ、私サトルの臭い嫌いじゃないよっ!?」
「いいんだ、気を遣わなくて……」
腐敗しなくても空気に混じる粒子の流れで臭いは生じる。
厳密に言えば無臭は存在しない。
虫や動物よりも人間の嗅覚が鈍いだけで、空気にすら臭いはある。
吸血鬼は嗅覚が鋭敏過ぎるのだ。
空気で動いた粒子レベルで、キーノがサトルの『 ささいな 』臭いを言い当てたのは、こうも言い換えられる。
彼女はサトルをずっと気にかけていたのだと。
サトルの臭いが変化した理由。
答えは簡単だ。サトルに着いていた別の臭いが薄れたから。
世界で最も気にならない臭い―― それは自分自身の臭いであり、サトルの衣服からキーノの臭いが薄れた(相手を意識する余り、少女が以前より距離を取った)為、サトル本来の臭いが感じられたのだ。
『……サトル、ちょっと臭うよ?』
『わっ、私サトルの臭い嫌いじゃないよっ!?』
無意識に出た少女の発言は、相手から自身の臭いが薄れた不満と、相手の臭いを意識した好意の訴えに他ならない。
慌てたキーノが弁解を口にして近寄ってくる。
こんな小さな子に気を遣われるのも情けない。年長者として余裕のある振る舞いをしよう。
「ほんとに本当に、サトルの臭いは嫌いじゃないからっ!」
「……ありがとう。俺もキーノの臭い好きだよ」
うへっ!? と奇妙な声が上がった。
続いて「こっち来ないでっ!」と叫んで後ずさる姿に少し傷つく。
自分も臭う可能性に気づいたのだろうが、こちらが拒否られているようで悲しい。
ペロロンチーノさんなら少女からのご褒美と喜ぶかもしれないが、想像してみるといい。
ゲームの理想とは異なるリアルの無情を。
仕事を終えて帰宅すると労働の汗を臭いと言われ、風呂で流そうとすると「お父さんが入るのは最後でしょう! あと洗濯は一緒にしないで!」と非難される世の父親たち。
娘を持つ友人――たっちさんの未来に心配を抱いた瞬間、キーノが腰袋から何かを取り出して振り撒いた。
ポーション? いや違う。これは……香水か?
この世界で香水は金貨3枚の価値がある――平民の家族3人が1ヶ月は暮らせる――高価な品だ。
キーノは貴族の出身とは聞いていないし、どうしたのだろう?
「私が自分で作ったの。魔法の実験の産物だけど」
「キーノって魔法開発の才能があったのか……」
魔封じの水晶と同じ性質を持つ水晶の瓶―― キーノは水晶を限定にした宝石特化タイプの地属性エレメンタリストを修行中らしい――に封じ込めた低位魔法。
別の世界線では、この香水こそが白い靄(もや)を放つオリジナル魔法〈蟲殺し〉の開発に繋がるのだが、サトルの保護力が強すぎて蠅の魔神対策が起きない為、この世界では至らなかったり。
キーノが説明をする。
香水は体温によって匂いが変化し、その違いを楽しむもの。
同じ香水を使っても、人によって香りの印象が異なるのは体温の差異があるからだと。
「でも私たちはアンデッドだから、ずっと一緒の香りだよ!」
体温のない不死者なのに、少女の言葉でサトルの胸が温かくなる。
旅はまだ続く。離れていた距離を詰め、二人は手を繋いで再び歩き始めた。