ねえ、えんちょー、
私なにか間違ったかな?





やっぱり札幌にいればよかったかな?





生き急ぎすぎたかな?


 

もっと、ゆっくり、
立ち止まったり歩いたり、
なんてことない時間を
意味も考えずに過ごした
ほうがよかったかな。





間違えちゃったのかな。





こんなこと、
えんちょーに聞くことじゃないね。





えんちょーの存在が
どんなに大きくても、
やっぱり、えんちょーは
私の世界では外の人。





人によって、大きさや
距離や濃度の違いがあっても、
やっぱりやっぱり、
私じゃないんだよ。





えんちょー、私はもっと、
その温かさの中でゴロゴロ
していたかったみたい。
帰りたい。





帰りたいって、思わせてよ。
わがまま、言わせて。
子どもみたいに、
駄々こねたいんだよ。





今まで駄々こねること
なかったんだもん。
いいじゃん、ちょっとくらい。





私には、ときどき、
こういう静かな風が吹く、
誰もいない、あたたかい
お日様の光が当たる
優しい緑の丘に一人で立って、
ゆっくり深呼吸する時間が必要なの。





気の済むまで、
自分の世界に浸っていたいの。





私の天国。





そこには、
どうやって行くかなんて、
誰も知らない。





教えない。





やーっと、書きたいこと書ける。
うれしい。












えんちょー、


えんちょーはみんなの
えんちょーだけど、
私には、えんちょーは
いつでも一人で生きているって見えてる。





孤独を知っているからこその、やさしさ。


孤独でいられるからこその、つよさ。





えんちょーの大事な本、
私、いつも鞄に入れて
持ち歩いてるよ。
自分の分身のように渡してくれた本。
えんちょーの大切な友達の
アインシュタインの本。





でも、本じゃなくて、
えんちょーのそばにいたかった。
えんちょーの声を聞いて、
体温を感じて、
時間を気にすることなく、
ただ伸び伸びとさ。














だけど、


気づいてしまう。





それすらも、頼っていることを。


甘えていることを。





でも、甘えたいんだ。
甘え足りないんだ。





それは、いつどんなときでも、
私という宇宙が
甘えさせてくれていることを
知らないからだ。





人は誰だって、
一瞬たりとも途切れることなく、
自分という宇宙に包まれているんだよ。





なかなか感知できないだけで、
すでに、守られているんだよね。





そう、なかなか感知できないだけ。


感知する時間を持っていないだけで。





もう、やーめた!
って言っていいんだよ。





やーめたって言うのが怖いのは、
中途半端に投げ出すことが
よくないって言われているからでしょ。





だけどさ、
もっとこわいのは、
自分自身から責められることなんだよ。





お前、なんであのときやめたんだよ。


なんで自分のやりたかったこと
最後までやらなかったんだよ。


なりたい自分になること
諦めたんだよって、
後ろからぶっ刺されることなんだよ。





世間の目なんざ、
比にならないんだよ。
わかるか?





今ならまだ間に合うから。





私はまだ何にもわかってない。





壱岐島に来て、
自分ビジネスは初心者なのに、
そのことを言えなくて、
言えない空気だったせいにして、
頑張んなきゃ、頑張んなきゃって
自分を追い詰めた結果が、今だろう。





一人でよくわからなく
なったんだったら、
その時は頼っていいんだから。





だけど、頼る人は選ばなきゃいけない。


頼りやすい人に頼っちゃいけない。


それは、甘えでしかないから。
もしくは、甘えに変化してしまうから。





本当にこわいと思う人。
腰が引けてしまうくらいの人。
恐れ多い人。
逃げ出したくなるくらいの人。
嫌いだ嫌いだ嫌いだ!って罵った人。





もう、
嫌われてもいい覚悟で、
飛び込んでみろや。





それができないで、
なりたい自分なんか
追いかける資格ない。





一から出直せ。





それが、
愛だと気付けるか。
愛だと納得できるか。





それが、分岐点だよ。