出したい。
ブログにいろいろと詰まってる物出したいのに、出てこない。
焦ってるの?
出したくないの?
まだ見えてないだけ?
むなしい。
いろいろ分岐点あったよね。
自分で決めることだってできたのに、あの人に言われたから、こんなことがあったから、そういう理由が導きかのように、結局は何かのせいにして自分で決めるのを避けてきた。
本当?
じゃあ、壱岐島に来たことは?
自分で決めたことじゃなかったの?
「壱岐島に行こうか」って言葉は、絶対に、自分の中から突然出てきた言葉だった。
だけど、夫がいいね!と言ってくれたから、来たの?もし反対されても、一人で来た?それだと来てないよね。だったら、やっぱり自分で決めたことは何もなかったのか?
全部全部、周り頼み。
どんなに信頼し合っていると思っていても、夫も息子も、私という世界からは他人。私がなりたい姿がある以上、惑わす存在になり得るということ?
そんな悲しいことがあるのか。
どこまでも、これでもか、これでもか!ってほど、自分しかいない世界なのか。
寂しすぎる。
虚しすぎる。
会社に勤めて、普通に生活している家庭のほうが幸せそうに見えてきた。
私が、夫も息子も巻き込んだ。
息子から、札幌の幼稚園を奪ってしまったんじゃないかって思う苦しさが、その穴埋めでいいお母さんでいようとする原因になっているんじゃないかな。息子に嫌われないように息子を傷つけないようにって思いが働くのも、同じなのかな。
とにかく私は、もっと自分の気持ちにゆっくり寄り添いたい。
壱岐島に来る前、自分で何かをやってみたいと思って6月ごろから始めた、豆腐やおからのレシピをブログにアップし始めたとき。
それから自分ビジネスを知って、自分の気持ちを公開し始めたとき。
起業すると決めて、開業届にまつわる自分自身と葛藤したとき。
初めてのお茶会はお客さんが0人で、悔しい気持ちも惨めな気持ちも全部書いて、
その次は自分の好きな洗顔をテーマにお茶会を開いたら、お客さんが来てくれて嬉しくて。
そんな、壱岐島に来るまでの自分のほうが、よっぽど、よっぽど、自分のペースで、自分の気持ちに寄り添っていたよね。
なんか、あの時の日々がもう懐かしいよ。
今、あの頃…といってもまだ半年から4ヶ月前のことだけど、その頃の私が書いた記事のほうが、刺さる。
言葉一つ一つは拙いよ。ありふれたワードチョイスばっかり。でも、自分の中から溢れたものを、丁寧にキャッチして書いたものばっかりなの!!
今の私が読んでもさ、なんて素敵なんだろうと思った。素直で、真っ直ぐで、一生懸命で、本当の自分と真摯に向き合っていて、なりたい自分を目指すことを諦めない強さがある。すごく、眩しい。
なんなのよ、今の自分。
ふざけんなよ。
かっこわるすぎだろ。
毎日毎日泣いて、一人になれないから強がって。
いつまでいい人してんだよ。
さっさと嫌いな奴は嫌って、苦手な奴は苦手なままにしといて、自分のその真ん中に空いた穴自分でどうにかしやがれや。
もういいって。人はどうだって。
もう気にすんな。もう散々気ぃ遣ってきただろ。
自分のこと押し殺してまで、人の気に触んないようにってやってきただろ。いつからやってんだよ、それ。保育園の時からだろ!
大人になりすぎんだよ。
物わかり良すぎんだよ。
人が良すぎんだよ。
もっとズルく生きろよ。
もういい加減呆れてんだよ。
いつになったら誰にも遠慮しないで生きんだよ。
人にばっかりそういうこと言って、自分なんもやってないじゃんか。
そうだろ?
自分に必要なこと、全部人に言ってんだよ。
なんでそれが分からない?
それが正真正銘の馬鹿なんだよ。
うるさかったんだ。
いろんなことが。
ノイズだらけで。
さっさと振り払えばよかった。
私だけに集中することに、怠慢してた。
どんな人でも、本当の私はわからない。
わかられて、たまるものか。
どんな人でも、私の上には置かない。
私にはそれができる。
知っている。
遠慮しすぎて曇っていただけ。
落ち込め。今は。とことん。