ドウォーキンが「言ってない・書いてない」
「すべての性交はrapeである」です。
「セックスは接待である」
ふと頭に浮かんだフレーズ、
単語が音声学的に近いから語呂が良いというのもあるが、
考えれば考えるほど、
セックスの真実はこれではないか?と思う。
女性に性欲はある。
しかしそれは結局のところ接待になってしまうのである。
なぜなら、
性交の仕組みが、
「女性が受動で男性が能動」
「男性が射精した瞬間に終わる」
であり、
生物レベルの強弱、
社会レベルの強弱、
が働き、
男の感情が最優先されることになっている、
男が女性を「つまんねー女」と言っても男は身の危険を心配しないが、
女性が男を「つまんねー男」と言ったら殺されかねない。
大変殺伐とした、しかし現実がそうであるのでそうならざるを得ないが、
もう少し殺伐感を減らして考えてみると、
まぁホームパーティーを想像してみてください。
料理は持ち寄りや取り寄せ(ケータリング)をするとしても、
迎えるほうは、掃除をし、部屋を整え、テーブルを整え、グラスや取り皿を用意し、
飲食が始まってからも何かと客への気配りをする。
客は、自分の家の中がどうなっていても関係ない。
料理や飲み物を持っていくとしても、やっぱり客のほうが楽である。
迎えるほうはどうしても接待をするんですよ。どうしても。
それで、先の女性の性欲に話を戻すと、
「料理が好きで、人を招くのが好きで、おもてなしが好きで」
という人は、いますよね。
それはその人が「好きでしたいこと」で、
招いてもてなすのは苦でないとして、
それは全然いいんだけど、「もてなし」であるのは事実です。
またふっと頭に浮かんだんだけど、
滝川クリステルが「お も て な し」とやったことも、
女性にそれを言わせたことが
(彼女が発案したとしても彼女の独断のはずがない、大きなプロジェクトの戦略なのだから)、
いかにもだなぁと。
「もてなし」を
する・させられるのは圧倒的に女性、
受ける・させるのは圧倒的に男性。
自分が男性に対してうんざりさせられるのは、
こうした
「当たり前に接待させられる・搾取される構造」
「それに乗って、のうのうとそれを甘受している男らの鈍感」です。
それで、
セックスも接待、
日常も接待、
なにもかも接待、もう本当にうんざりです。
※正月前に吐露してみましたーーーーーー。