2019年12月30日

セックスは接待である(女にとって)

※言い回しの元は
ドウォーキンが「言ってない・書いてない」
「すべての性交はrapeである」です。

「セックスは接待である」

ふと頭に浮かんだフレーズ、
単語が音声学的に近いから語呂が良いというのもあるが、
考えれば考えるほど、
セックスの真実はこれではないか?と思う。

女性に性欲はある。
しかしそれは結局のところ接待になってしまうのである。

なぜなら、
性交の仕組みが、
「女性が受動で男性が能動」
「男性が射精した瞬間に終わる」
であり、

生物レベルの強弱、
社会レベルの強弱、
が働き、
男の感情が最優先されることになっている、

男が女性を「つまんねー女」と言っても男は身の危険を心配しないが、
女性が男を「つまんねー男」と言ったら殺されかねない。

大変殺伐とした、しかし現実がそうであるのでそうならざるを得ないが、
もう少し殺伐感を減らして考えてみると、

まぁホームパーティーを想像してみてください。

料理は持ち寄りや取り寄せ(ケータリング)をするとしても、
迎えるほうは、掃除をし、部屋を整え、テーブルを整え、グラスや取り皿を用意し、
飲食が始まってからも何かと客への気配りをする。

客は、自分の家の中がどうなっていても関係ない。
料理や飲み物を持っていくとしても、やっぱり客のほうが楽である。

迎えるほうはどうしても接待をするんですよ。どうしても。

それで、先の女性の性欲に話を戻すと、

「料理が好きで、人を招くのが好きで、おもてなしが好きで」

という人は、いますよね。

それはその人が「好きでしたいこと」で、
招いてもてなすのは苦でないとして、
それは全然いいんだけど、「もてなし」であるのは事実です。

またふっと頭に浮かんだんだけど、
滝川クリステルが「お も て な し」とやったことも、
女性にそれを言わせたことが
(彼女が発案したとしても彼女の独断のはずがない、大きなプロジェクトの戦略なのだから)、
いかにもだなぁと。

「もてなし」を
する・させられるのは圧倒的に女性、
受ける・させるのは圧倒的に男性。

自分が男性に対してうんざりさせられるのは、
こうした
「当たり前に接待させられる・搾取される構造」
「それに乗って、のうのうとそれを甘受している男らの鈍感」です。

それで、
セックスも接待、
日常も接待、
なにもかも接待、もう本当にうんざりです。


※正月前に吐露してみましたーーーーーー。


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posted by Erin at 04:00| Comment(0) | フェミニズム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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